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劇場版アイドリッシュセブンと、2020sのアニメが向かう先

2023年の半分が過ぎた。新入社員としてあたふたしていた昨年と比べると、多少余裕が出てきた。学生の頃には及ばないけれども、月1、2回のペースで映画を見、毎日Netflixで海外ドラマを見ている。上半期のベスト映画といえば、スラムダンク怪物を真っ先に挙げる。この2本は20余年の人生の中でも、最も好きな映画にランクインしてくる。そしてまさか、そこに劇場版アイドリッシュセブンが追随しようとは。
※コンテンツの事前情報が少ない人間が客観的に見た、映画「劇場版アイドリッシュセブン」の感想です。アニメやゲームには精通していません、ご了承ください。

「アイドリッシュセブン」というゲーム発コンテンツ

アイドリッシュセブン』(IDOLiSH7、略称:アイナナ)は、バンダイナムコオンラインが提供するスマートフォン向けアプリケーションゲーム。父親の経営するアイドル事務所「小鳥遊芸能事務所」で働くことになった主人公が、所属する7人組男性アイドル「IDOLiSH7」のマネージャーを担当することになり、彼らをトップアイドルに成長させるために奮闘するストーリーが描かれる。

wikipediaより

劇場版アイドリッシュセブンは、ゲームに登場するアイドルが実際にライブを行うという形式で進行する。
「IDOLiSH7」「TRIGGER」「Re:vale」「ŹOOĻ」の合計16人のアイドルが登場し、合間にMCを挟みながら、それぞれの持ち歌を披露する。映画の上映時間は93分で、歌と幕間のMCのみのシンプルな構成。配信サービスでは、劇場版で上映される曲目のプレイリストが公開されており、劇場上映版の編集が楽しめる。

ゲーム版アイドリッシュセブンの大きな魅力といえば、ストーリーが全編、声優によるフルボイス録音されていることだろう。これまでに1〜6部まで、各10話前後ずつ収録されている。私は必死に予習していたが、惜しくも4部の半ばで劇場版の鑑賞日を迎えた。そのため各キャラクターの声色は把握していたが、劇場版で衝撃を感じたのもまた、キャラクターたちの声だった。

一流のアニメ映画と言えるわけ

最近のアニメ映画では、ドラマや映画に出演する役者を声の出演としてアサインするという傾向も見られる。アニメ監督の中には、特別な訓練を受けてきたからこその声優の声による演技を過剰と感じ、あえて起用を避けるという人もいるようだ。

私自身、ここまで総声優で構成された映画というのは久々だった。ただ、スラムダンクの時にも感じたのだが、やはり声優の表現力は凄まじい。
「ふぅん」「おう」「はあ」「ふうむ」など、アニメでは、特徴的に作り込まれた相槌というものがある。たしかに現実の人間は、あそこまで細やかに発声しないという点で、「リアリティ」は損なわれるかもしれない。けれども、アニメ絵と組み合わさることで、その過剰とも取れるほどの表現豊かな声が、劇自体をリアリスティックに見せる。

アイドリッシュセブンにおいては16人もメインキャラクターがいるため、彼らが一堂に会して踊り、歌う劇場版では「ふぅん」「おう」「はあ」「ふうむ」も大渋滞である。
大渋滞ではあるのだが、そのほんの一秒足らずの発声でキャラクター性を吹き込めるのが声優の演技力であり、今回大きく感動したポイントだった。交通整理されずに入り乱れた相槌の数々も、耳を凝らすと誰が何を言ったのか、さっとわかる。
それこそ、我々が人混みの中から友人の声を探し出した時と同じ、親しみとときめきが発生するのだ。

私たちは簡単に推しの声を見つけ、小さな相槌からも彼らの性格を読み取ることができる。これは「脱キャラクター化」が広がっている邦画の俳優とはまた違った演技の仕方がもたらす効果だと言えるだろう。
私は「自然」な演技が必ずしも良いとは思わない。特にアニメにおいては、声優による、過剰なほどの声の演技が、生身の人間よりも表情の情報が少ない分、有効に働いているところも多分にあると今回感じた。そしておそらく、ファンの脳内ではキャラクターたちが、声とは切り離せない状態で生き生きと根づいていると思う。そして繰り返し彼らの楽曲を聴き、さらにキャラクターは声と一体化していく。
声により、人物造形をキャラ化して補強していく面白さを感じた部分だった。

求めていた「アニメ」が詰まっていた

そして私は、モーションキャプチャが好きだった。
モーションキャプチャ特有の、微妙な隙間に見られる体の揺れが非常にダンスと相性が良かったと思う。
MMD(3DCGソフトウェア)でも服や髪は揺れる。けれども、肉体自体に個性が生まれることはない。肉体の個性とは、個体差であり、癖であり、バグである。本来ピシッと揃うべき振り付けの細かいズレが、かえって躍動感として胸に迫った。

私が小学生だった15年前と比べても、明らかにアニメの技術は変化した。より精細に、色彩豊かになった。色々な展開を見せる多種多様なアニメ作品がある中で、私が見たかったのは、劇場版アイドリッシュセブンのようなアニメなのだと確信した。細かな背景の描き込みも、言葉と口の完全な連動もない。プロポーションが完璧で、目が大きい、フィクションとしての人物が息を切らし、踊っている姿。
声優によって計算し尽くされた、完璧なボイスと合わさって、どう見ても作り込まれた圧倒的なフィクションである。にもかかわらず「その世界」では生きていると思える説得力を、このアニメ映画は持っていた。

圧倒的なフィクションに呑まれる、非日常な体験を、劇場版アイドリッシュセブンは与えてくれた。

具体性を極めたところに生まれる、詩的な余白

劇場版のMCは、どのグループも詩を聞いているような抽象的なやわらかさがあった。もちろん、俺様やクール、ツンデレなど、一見するとやわらかさ、朗らかさからは遠いように見えるキャラクターも多いのだが、彼らの言葉遣いは総じて抽象的である。
先に述べた、声優の、声優らしい声による演技が、漫画家によってスタイリングされたキャラクター造形にリアリスティックを吹き込む。それに対して、彼らのどこか浮世離れした言動が組み合わされるからこそ、浮遊感を持ったフィクションが絶妙に立ち上がってくる。

ゲームにおいて、アイドルたちが置かれている状況は生々しい。楽曲が盗作されたり、スキャンダルをでっち上げられたり、事務所の勢力争いに巻き込まれたり。しかも芸能界とは離れたところでも、進展しようのない複雑な家族関係が描かれる。ストーリーの基本は悲劇と、その解消であり、華やかな彼らの姿から連想するような喜劇ではない。それでもアイドリッシュセブンのプレーヤーが、多幸感を感じらるのは、アイドルキャラクターたちが底抜けに「性格が良い」からだろう。
真面目で、仲間への思いやりがあり、ひたむきに努力する。シャイだったり、口下手だったりはするものの、基本的には善性の性格なのだ。複雑な言動の中にある、「性格の良さ」という核は、抽象的な、詩のようなモノローグや台詞で発露する。

そして多くの詩がそうであるように、私は彼らの抽象的な言葉の数々を、自分の身に引き寄せて考えていた。そして、まだよく知らない彼らの身の上や行く末、日常を思った。

「性格の良さ」が軸となって展開する台詞とストーリーと見事にリンクする楽曲の数々もまた、いわゆる「アイドルソング」ではなく、ガールズクラッシュ系KPOPのような自己啓発的な歌詞で構成されている。

世界で一番 永遠に近い
青い青い 空の果ての太陽
僕らはひとときに過ぎない存在 でも
輝く星野ように うねりは想像を超えて
時代と思いを 繋げてく

劇中歌「Pieces of The World」より

それこそ現実でこれほど清らかな人は見たことないと断言できるほど、彼らは「性格が良い」。けれども、決して「明るい」わけではない。
本来、老うことも、死ぬこともないはずの彼らが頻繁に語るのは、アイドルとしての旬であり、寿命なのだ。

劇場版アイドリッシュセブンは、明らかに映画の鑑賞者=ライブの鑑賞者として感情移入させるよう作られている。ホールを埋め尽くす観客を映し出し、サイリウムを力一杯振るファンの姿を描く。
ゲームで彼らの日常を知れる私たちだが、私が劇場版を通じて見たのは、紛れもなく今を輝くトップアイドルであり、直接的には旬が終わることへの憂いは感じられない。けれども眩いサイリウムを見、この瞬間が少しでも長く続いてほしい、いつか終わってしまうとしても、と切なさが胸に込み上げてきた時、すごい映画を見たのだと確信した。

その切なさこそ、アイドリッシュセブンというコンテンツが、具体性と抽象性の反復横跳びをこなす上で生まれた真理であり、一つのアニメとしての表現なのだと感じている。

私はこれからアイナナのゲームストーリーを進める。そして4DXでの上映もできることなら見に行きたい。そして、この映画について多くの人と語りたいと思っています。ぜひ感想を聞かせてもらえると嬉しいです。


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