居場所をなくして、死んでしまったのだ

この中の一文で、ハッとしたことがある。
私にとっての居場所は、図書委員会だった。
だが、それは、私が輝いているようにある種の人からは見える場所でもあった。
それは、私がありのままでいられる場所というわけではない。

「私が輝いているように見える場所」

を私は自分の居場所だと勘違いしていたのではないかと言うことだ。

私は中二までピアノを習っていて、私が習っていた先生の生徒の中では四天王と言われるレベルに上手な方だった。
先生曰く、貴方光ってるわということだった。

この、ピアノ教室と、図書委員会での私の評価はかなり高いものだった。
私は、自分が病んでしまってから、これらと一切繋がりを断ってしまった。

図書委員会だって、新月ちゃんから声かけられるの待ってた~というような受け身の子の方が多い。
私から声かけないと誰もこねー。
皆、私に引っ張られるのをまっていた、節がある。
(図書委員会の先生はその点、声かけてくれた方だろう)
つまり、このnoteにあるように、「社会的にダメでも受け止めてくれる居場所」でもなんでもないということだ。
私が輝いていないと、受け入れてくれない。
存在価値を認めてくれない。
そういうことだ。

私はそう感じていた。
いやこのへん混乱してるかも知れない。
どの道私は輝いていたかった。
輝いていないと社会的に抹殺されるというような気もしていた。
これは学校一日でも休めば不登校児扱いされて殺されてしまうという切迫した気持ちと同じだ。

輝いている場所がないと、死んでしまう。
この場所を失ってしまったらという恐怖。
輝き続けていないと必要ともされない、そんな風に思っていたのだろう。


その私の考えは正しかったのかもしれない。
そうじゃなかったのかもしれない、だがそうじゃな方と言える根拠は何もない。


結局私は、『居場所』を失くして死んでしまったのだ。


でもさ、ダメな自分でいても良い他人なんているのか?
そんな場所は本当にあるんだろうか。
私がないだけなの?

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