Moonshot Coffee

カフェを開くのが夢でした。だからnoteで開きました。 忙しい日常にコーヒー代わりの奇…

Moonshot Coffee

カフェを開くのが夢でした。だからnoteで開きました。 忙しい日常にコーヒー代わりの奇譚をお出しします。noteの片隅にある小さなコーヒースタンド。

最近の記事

歯磨き禅師のお言葉

私は以前、「英単語なんか覚えたくない。どうせ明日になったらすぐ忘れるんだから。もう勉強なんかしたくない」とうそぶいた少年に、こう言ったことがあるんです。それならば、今日からすぐに歯磨きをするのもやめなさい。だって明日になればどうせすぐにまた物を食べて汚れるんだから、と。 不安になったとき、辛いときには、心を掃き清めることですよ。いわば歯磨きですな。歯磨きと掃除は、これ同じことですから。古来から、禅の修行においては掃除は大事なものとされています。かの道元禅師も、中国に学びにい

    • 水まきおじさん

      帰宅すると部屋に水まきおじさんがいた。 「またかよ」と僕は言った。「もう勘弁してくれないかな。辛いんだよ人生が、僕も。うまくいってないんだ」 「そんなこと言うなよ」と水まきおじさんは短く言った。いつも通りバケツに水をいれて、ひしゃくをもっていた。今どき、ひしゃくなんて見る機会もなくなってきた。この水まきおじさんの姿を目にするときを除いては。 「頼むよ」と僕は静かに下を向いて言った。「そんな気持ちの余裕はないんだよ」 「話を聞かせてよ」と水まきおじさんは言った。「何が問題なんだ

      • ペラックT錠

         ペラックT錠が僕の目の前に現れたのは、インフルエンザでひどく苦しんでいる最中だった。  子供がかかり、僕もかかった。インフルエンザは何度か経験があるけれど、ここまで喉が痛いのは初めてだった。もう何日も、活動そのものはできるのに喉が腫れ上がったようで声を出すこともできない。何より食事は一口ごとに身悶えしなければならず、心身の気力の低下は著しかった。  僕は妻が買ってきてくれた「ペラックT錠」という聞いたこともない薬のパッケージを眺めながら横になっていた。「眠くなる成分を含まな

        • ヤノルクの群れ

           ヤノルクの群れが僕の目の前を横切って行ったのは、夜中に人けのない山道を車で走っている時だった。一人きりのドライブで退屈していたし、ラジオはもちろん入らない。スマホを車につないでYouTubeを流したりもしていたのだけれど、その電波さえ途切れがちという有様だった。何しろ山奥なのだ。  眠気もいよいよ危なくなってきていたが、ライトをハイビームにしていたおかげで、僕はすんでのところで車を停めることができた。もしあと少しでも道が急な下り坂だったり、あるいは急な登り坂だったり、ある

        歯磨き禅師のお言葉

          青い鶏

           青い鶏が夢に出てきたのは昨晩、つまりクリスマスの二日後の夜だった。僕にはそれが夢だということがはっきり分かっていたし、それが鳥ではなく、鶏という漢字で指されていることも分かっていた。もう明確に分かっていたし、僕がそのことを分かっていることも鶏のほうでもちゃんと分かっていた。夢とはそういうものなのだ。 「しかし、青い鳥っていうのはよく聞くけど」と僕は言った。「鶏っていうのは初めてだな。それはつまり、やっぱり何かの意味を持ってるんだよね」 「まあ漢字っていうのはそういうものだか

           お昼休みの終わりに、会社の給湯室で弁当箱を洗っていたときにそれは起きた。シンクの片隅で一つの泡が際限なく大きくなり始めたのだ。僕はもちろん初めからそれを注視していたわけではなかった。ほとんど心を無にして弁当箱をスポンジで磨いていただけだ。これをしなければ、帰ってから妻に小言を言われる。だから仕方なく洗っているだけの最中に、それほど大した考えを巡らせているわけがない。視線だってまっすぐに手元に落としたままだった。  しかしその泡はすぐに否応なく僕の注意を引くことになった。非常

          心の深海

          村上春樹さんの言葉を久しぶりに読んだ。 「村上春樹」と久しぶりにニュースを検索したら記事が出てきた。今春の早稲田大の入学式でスピーチをしたのだという。中身はいつもの話だった。けれどもそのいつもの話が懐かしく、いつも通りはっとさせられた。はっとさせられるというより、もっとじんわりしたものなのだけれど。 「僕らは普段、これが自分の心だと思っているのは、僕らの心全体のうちのほんの一部分にすぎないからです。つまり、僕らの意識は、心という池からくみ上げられた、バケツ一杯の水みたいな

          鈴木

           ある国のヨールグルトメーカーから、潜入調査員が日本に送り込まれた。何でも日本で売れに売れている新しいヨーグルトがあるという。  さっそく調査員がスーパーに行ってみると、無糖、加糖、砂糖などと並んで、鈴木が売られていた。しかも一番品数も多く、どのメーカーも競うように鈴木を開発、販売している。しかしいくら眺めても一体なぜなのかがわからない。無糖、加糖、砂糖、鈴木。いくら見比べてもやはり分からなかった。  当然、まずは食べてみるしかない。調査員は買い求め、すぐに店先で食べてみた。

          アパラチア山脈のふもと

          「俺はアパラチア山脈の麓で生まれたからな」  それが友人の口癖だった。どうやらそれは本当の話らしかったが、だからといってどうだと言うのかさっぱり分からなかった。その事実は彼のアイデンティティ形成に深く影響を与えているらしく、むしろ根本から規定しているといっても過言ではなかった。何しろそれは出自にまつわることなのだ。当然なのかもしれなかったが、しかしだから何なのかよく分からなかった。  たとえば居酒屋でビールを頼むときに、彼は好んで外国の銘柄を飲んだ。 「みんなはキリン? じゃ

          アパラチア山脈のふもと

          ヒルベルチオのフン

           僕がヒルベルチオのフンを拾ったのは初冬の朝だった。まだ陽が昇るか昇らないかの日課散歩で、ついに成果が出た。  ヒルベルチオのフンはやはり黄金色に輝いていたのですぐに分かった。それは道端の草むらに落ちていた。八年ぶりだ。僕は駆け寄って手に取り、確信してから脱力してしばらく道に座り込んでしまった。これで少なくともあと10年は生活できる。  前回ヒルベルチオのフンで得た生活資金もそろそろ底をつき始め、僕はいよいよ本格的に焦り始めている今日この頃だった。当然のことだが、ヒルベルチオ

          ヒルベルチオのフン

          金賞おじさん

           スーパーで買い物をしているときに、ある商品の「金賞受賞」という宣伝文句を見て、僕は「最近は何でも金賞だな」と大きな声で笑った。友人も笑った。「金賞の価値も落ちたもんだ」  その夜、ふと暗闇で目を覚ますと枕元に金賞おじさんが立っていた。 「金賞を馬鹿にしたな」とおじさんは言った。「今日のお昼に」 「し、してませんよ」と僕は何度も息を飲み込んだり吐いたりした末に絞り出した。「金賞を馬鹿になんかしてません」 「した」と金賞おじさんは言った。「したよ」  長い沈黙がおりた。僕とおじ

          金賞おじさん

          チュバキュローシスの卵

           私が庭で一生懸命にチュバキュローシスの卵を洗っていると、近所の子供がきて言った。 「それ、チュバキュローシスの卵だろ」 「よく知ってるね」と私は返した。「危ないから向こうへ行き」 「お父さんが、チュバキュローシスの卵なんか洗ってる人には近寄るなって言ってた」と子供は言った。 「だから向こうへ行きってば」 「言いふらしてやる、この家はチュバキュローシスの卵なんか洗ってるぞって」  私がどう言い返そうか考えていると、その子の父親らしき男が慌てた様子で走ってきた。「何してるんだ!

          チュバキュローシスの卵

          ゆすり屋

          「私はプロのゆすり屋です」と彼は言った。「私は実に秒速2765回の超高速で相手を揺することができます」  私はその仕事ぶりを実際に見せてもらったことがある。彼は相手の両肩に手を置いたかと思った次の瞬間、信じられない芸当を涼しい顔でやってのけた。揺すられた人間は輪郭だけでなく全てがぼやけて向こうが透けてしまうのではないかと思うほど小刻みに激しく振動した。 「こんなことは何でもありません」と彼は腕だけを振動させながら言った。「何日だって続けられますよ」  彼にゆすられた人間は例外

          ワンバウンド坊や

           ワンバウンド坊やは何でもワンバウンドさせずにはいられない性質だった。ワンバウンドと言っても食事の話である。おかずをタレなどにつける。その次に、それを必ず白ごはんの上でワンバウンドさせずにはおさまりがつかず、食べられないのである。  ワンバウンド坊やは物心ついた時からそのようにして食事をしてきた。  哲学とは概念を創造することだ、とジル・ドゥルーズは言った。確かにある概念や言葉がはっきり作られると、ものの見方が定まる、ということは日常生活の中でもままある。ワンバウンド坊やに起

          ワンバウンド坊や

          クレラップ

          「騙したなぁ!」とその少年は叫んだ。「よくも僕を騙したなぁ!」  それはかつて私が導いてやった少年だった。食品用ラップフィルムが途中で斜めに切れたり裂けたり、切れ目が見つからなくなったりする災厄を相談され、クレラップを薦めたのだ。クレラップならまん中からクルッと簡単、V字刃の採用で数ある製品の中でも最も切りやすく、またラップをキャッチして巻き戻りを防止するストッパーニスつきのマチもある。さらに、巻き戻し時のために使える「引き出しシール」まで付属。まさに至れり尽くせり。万全の備

          クレラップ

          ペンギンの素

          「丸山さんがまたペンギンの素をくれたのよ」と妻が言った。 「ええ? また?」と私は絞り出すようにして叫んだ。「もういいよペンギンの素は。どうするんだよこれ以上」 「仕方ないでしょう付き合いもあるんだから」 「もうベランダも一杯じゃないか。どこに置くんだよ」 「だったらあなたが直接断ってよ。できもしないくせに」  これ以上言っても喧嘩になるだけなので、私はそこで口をつぐんだ。 「ここに置いておくから」と妻は言った。  そんなの自分でやってくれよ、と私は言いたかったけれど、喧嘩に

          ペンギンの素