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展覧会「翻訳できないわたしの言葉」

国際結婚した友人が「夫婦喧嘩をしても、本当に言いたいことが伝わらないと諦めているから、あまり言い合いにならない。私にはそれがちょうどいい。」って言っていてなるほどと思ったことがある。

一方で私は海外旅行が好きだけど、現地へ行くと常にコミュニケーションのストレスがあって、そんな中で意思疎通ができたりするとすごく嬉しくなったりすることがある。

母語と非母語の間を翻訳するという行為はどういうことなのか知りたくて、東京都現代美術館でやっている「翻訳できないわたしの言葉」展へ行ってきた。

興味深かったのは、言葉というのはアイデンティティや感覚と深く関わっているということだ。人種や文化に優劣なんてないのだけど、自分のアイデンティンティをどうとらえているかで言葉に対する態度が変わるというのはとても興味深かった。自分の属性が社会的に差別されていると感じるとそれを隠そうとする心理もまた言葉に影響する。

コロナ禍で北米にいたとき、アジア人ということで街中で差別的なことを言われたことがあった。その時私は恐怖を感じたが、実際はその言葉を発した本人もまた何かしらの恐怖を感じていたのかもしれないと今では思う。

展覧会を通して感じたのは「言葉には何かしらの重みがある」ということだ。その重みは軽いかもしれないし、重いかもしれない。そして言葉を通じて孤独を感じたり、人とのつながりを感じたりして影響しあっている。そしてみんなちょっとずつ違った言葉を話したり、その言葉を理解したくて勉強したりする。

なんだか言葉を大切に扱いたいなと感じた展覧会だった。

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