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「君たちはどう生きるか」宮﨑駿監督~母への賛歌として~

宮﨑駿監督「君たちはどう生きるか」を観ました。
予告編やあらすじ等の事前情報や宣伝は一切無し。
一枚の絵と、タイトル「君たちはどういきるか」というタイトルのみの情報が告知され映画が封切られた。

意図的な宣伝戦略もあると思うし、もしかしたら、現代の巨額の宣伝費をつぎ込み、巨大広告代理店に操られながら、あらゆるメディアを駆使する商業広告業界へのアンチテーゼの意味もあるのかもしれない。

ボクが小学校の頃、テレビのロードショーで「となりのトトロ」を観て、親に連れられて「魔女の宅急便」を映画館で観て、その後、遡って「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」も映画館でのリバイバル上映を観た。
その他、宮﨑駿監督作品はもちろん、高畑勲監督のものをはじめ、「風立ちぬ」まで、スタジオジブリ作品はほとんどを映画館で観た後、DVDやテレビ放送を通じて繰り返し観てきた。
いや、正直に書くと、「ホーホケキョ となりの山田くん」と「コクリコ坂から」をまだ観ていない。
申し訳ない。

とはいえ、幼少時から親しんだ、宮﨑駿監督の長編作品は、前回の「風立ちぬ」で最後かと、上映された2013年当時、心して、非常に感慨深く拝見したのだが、ところがどっこい引退宣言を撤回!!
その後、宮﨑監督のご年齢で、約10年!という膨大な時間と労力をつぎ込んで、新たな長編を完成させるとは!!
心から敬服し称賛したい。
今度こそ、宮﨑駿監督の集大成となる作品だろうと思い、感慨深く、そして大いに期待して拝見させていただいた。
期待通りの作品であり、ボクは感動して、ボロっボロに泣いた。
何より、絵が非常に美しかった。

ネタバレしない程度に、「君たちはどう生きるか」の感想を述べてみたい。


「タイトル」について

「君たちはどう生きるか」
事前に最小限の情報として提示された、映画のタイトル。

このタイトル自体は、吉野源三郎が1937年に書いた小説のタイトルからとったものであり、映画中にも、この本が出てくる。
残念ながらボクは、小説を読んではいないし、もしかしたら小説を読めば、映画について理解が深まるのかもしれない。

ただ、その小説云々よりも、この映画のタイトルを、純粋に言葉として解釈して、宮﨑監督から、観客に対して「君たちはどう生きるのか」という問いかけをされていると捉えて差し支えないように思う。
ボクは映画を観る前に、タイトルを見て、今、この時代に宮﨑監督から「どう生きるか」と問われることにドキッとしたし、映画を観て改めて、そのことを自分に問うことになった。

作品の内容について、御幣を恐れず、ネタバレしない程度に、一言で言えば、宮﨑駿監督からの「私はこう生きた」という提示である。
もちろん、監督の実体験そのものを、決してそのまま描いているわけではなく、宮﨑駿監督が思いを寄せて創作したフィクションである。
あくまで主人公「眞人」の生き方として宮﨑監督が描いて、観客に提示してきたのだと思う。

「ボクはこう生きた」→「君たちはどう生きるか?」
宮﨑監督が、全力で観客であるボクらに問いかけてくる映画である。

Answer「こう生きたい、こう生きよう!」
子供たち、若年層にとっては、心の中に夢と希望を抱かせてくれるだろう。

Answer「こう生きている、しかし、まだこうもできるかもしれない」
大人たち、今を生きるのが必死な人(ボクかも!?)にとっては、少し立ち止まって、「どう生きるか」を問い直すきっかけになるかもしれない。

Answer「ボクは、私は、こう生きてきた」
高齢者層の方々にとっては、様々な思い出がよみがえるだろう。
誇りに思うこと、後悔していること、死ぬまで話せないこと・・・。

ボクとしては、宮﨑監督の問いに答えるとすれば、10年前、20年前よりも、今でなければ、答えられなかったところがあると思う。
やはり何ものにも代えがたい重要な経験として、「結婚したこと」「親になったこと」が、この映画のもう一つの重要なファクターとして描かれていると思うからである。

「母」について

では、宮﨑監督が「君たちはどう生きるか」の映画で提示したかった内容は何なのか?

最初にボクが思った感想としては、「母への慕情」
「母との関係性の構築の物語」

前作の「風立ちぬ」が、「父」の物語だったから、その対になる作品として、今回の作品では「母」を描いたのかな、と。

いや、何度も申し上げるけど、あくまでフィクションとして描かれていますよ。宮﨑駿監督の実体験がどのくらいシンクロしているのかは、ここでは言及しませんが。

これを読んで、「えー?お母さんかよ!そんな幼稚な物語じゃねーよ!」と思う人もいるのかもしれませんが、「母への慕情」を描くって、大変なことだよ!

以前に、庵野秀明監督の「シン・エヴァンゲリオン新劇場版:||」を観たときに感じたのだが、庵野監督が、26年かけてエヴァンゲリオンで行きついたところも、同じく「母」だったんだな、と思った。

御幣を恐れずに申し上げると、エヴァンゲリオンで26年かけて追い求めたものを、宮﨑監督は、「君たちはどう生きるか」1作品で描き切ったとも言えるかもしれない。
いや、同じアニメーションの世界だが、描き方が異なるから、もちろんどちらが優れているということではないですよ!
それくらい、「母」を描くことは、大変なことだと思うのです。

まぁ、「母」をテーマにした作品が増えすぎるのも気持ち悪いと思うけれども。

しかし、少子化が叫ばれる昨今の日本で、「母」への慕情を描き、「母」への賛歌を贈ることは、とても大切で意味があることなのではないかと思う。
だからこそ、宮﨑監督は、今、集大成として、「母」への賛歌として、この作品を描いたのではないかと思う。

誤解しないでほしいけれども、宮﨑駿監督はもちろん、ボクも、決して、親になることを強制はするべきではないと思うし、親になったから偉いとか、マウントを取るようなことを言いたいわけではないし、言ってはいけないとも思う。
親になりたくてもなれない人もいるかもしれない。
子供は産まないという人生の選択をした人も、それはそれで自由であることは大前提としてある。
もちろん、日本の戦前戦中、「家父長制」を尊重し、富国強兵「産めよ殖やせよ」という国策に対する反省があることも承知している。

無責任に親になれとは言えないし、経済的な理由もあるだろうし、国や社会がもっとアシストするべきであるとボクも思う。
しかし、まずは、もう少し、母になる、親になる喜び、幸せを声高に叫ぶ作品が増えてもいいのではないかと思う。

「眞人の親になりたい!火なんて怖くない」

子供を産むことは、女性にとっては直接的に身体的苦痛を伴うし、自由も制限されるし、経済的負担にもなるし、責任も増えるし・・・確かにそうだ。その通りだ。
しかし、そんな一面ばかりクローズアップされて、少子化が進む昨今の風潮に対しては、大いに疑義申し上げたい。

どれだけ比較しても比較しきれない、「親になる喜び」「親になる幸せ」って、ものすごく大きいんだよ!と。

すっごく大きく抽象的に申し上げると、「生命って何なのか?」っていう問いに対して、おぼろげながらも、自分なりに回答を見つけることができるって、そういうのって、楽しくないかい?喜びじゃないかい?っていう。。。

うーん、女中さん、ばあや(お手伝いさん)を雇える裕福な家庭や、数世代、あるいは、親族が同居する、農家などの大家族家庭が多かった時代でなければ、「母になる」「親になる」ことを明るく描けないとしたら、あまりにも悲しいなぁ。
うーん、まぁ、核家族化が進んだ現代の家庭、さらには、シングルマザー、シングルファザーも増えた中では、多くの家庭で、子どもを育てることに対して、あまりにも希望が持てない時代になってしまった。
親の経済格差、ネグレクト、孤独化、精神的に病んでしまったり、子どもも、不登校、引きこもり、いじめ、ヤングケアラー、等々・・・。

それでも、ボクも含めてだが、この現在の日本で、たくさんの、お母さん、お父さんが、全力で子どもを産み、全力で子どもを育てている。
頼れる力があれば、祖父母や親戚、保育園、幼稚園、小中学校や学童、行政、さらには、希薄になっているとはいえ、地域や近所の力、もしかしたら家事代行などのサービス等々、ありとあらゆる持てる力をフル動員しながら、何とか子育てをがんばっていることと思う。

そんな、母親、父親に対して、賛歌を贈る作品として!!

うーん、ボクがここで稚拙な言葉を重ねるよりも、宮﨑監督が描いた作品を観た方が何倍も、何万倍も説得力がありますよねw

子育てしているみなさん!観てください!!

「ファンタジー」について

「ファンタジー」を外に求めるだけではいけない。
→ファンタジーが失われていく現代世界に対する危惧
→ストレスや人間関係の歪み、孤独感に苛まれる現実世界から逃れ、幻想世界を欲する人々の増加に呼応するように、ファンタジーもどきの、商業的で過度に華美な張りぼてで飾られた幻想世界があふれている。
大量生産されるアニメやゲーム、メイド喫茶、コンカフェ、ホストクラブなどの異性交流型飲食店、風俗店の乱立・・・。
昨今の状況は、本来あるべきアニメやゲームなどのオタク文化醸成の枠を超えて、そこには巨大な商業主義が支配し、消費者は、搾取され、薬物的な歪んだ依存状態から抜け出すことのできない関係性になってしまったのではないか。

あまりに、ファンタジーを自分の外に求めていないだろうか?
妄りに自分の現実世界から逃げ続け、他力本願に幻想世界を求めすぎると、巨大資本の商業主義的の餌食になり、似非ファンタジーの消費者として、搾り取られて捨てられるだけの運命が待っている。

そうならない為の方法とは何か?
自己の内なるファンタジーを見つめ直すことではないか?
自分が、人間が、あなたが、生まれてくることこそ、最大のファンタジーに満ちている。
そして、あなたが生まれてきたことは、こんなにも冒険に満ちていて、エキサイティングでファンタスティックで、そして、美しいことなのである。

そんな、宮﨑監督の「人間愛」に満ちたメッセージを感じた。

この映画は、他にも、深読みしようとすれば、いくらでもできそうだし、宮﨑駿監督の生涯や個人的体験になぞらえて、探求することもできるだろう。
それに、宮﨑監督の意図はキャラクターの一瞬の表情や、動きのタイミングにも、随所に鏤められているハズなので、もしかしたら繰り返し観れば、新たな発見があるかもしれないし、いつか宮﨑監督から語られる日が来るかもしれない。

しかし、宮﨑監督としては、恐らく、幅広い年齢層の多くの観客に対して、まずは1回観れば、伝わるだけのメッセージを込めたハズだとも思うのである。

マニアックに深堀りするのも悪くはないが、先ずは「ファンタジー」の映画として、1回観た印象を、純粋に、素直に、それぞれの心に響いたものを大切にすればいいのではないかと思う。

今観るべき、宮﨑駿監督の「君たちはどう生きるか」という問いかけに対する感想として書いてみました。

読んでいただいたみなさん、ありがとうございます!



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