お前に中途半端な地方で生きてる辛さなんてわかるかよ

宮台真司は言いました。クソフェミとネトウヨはTikTokで直ると。
それはある意味正しいです。私はクソフェミというか、クソミサンドリーのような気がしますが、その理屈はわかります。私のミサンドリーは、マッチングアプリを介して異性と関わると姿を見せません。

環境に恵まれている云々、の話が炎上しているようです。私のように中途半端な地方に住み、地元から出たことがない人にとっては少し縁遠い話ですが、ちょっと触れてみましょうか。

私は北関東のある県の県庁所在地に生まれました。私が生まれた頃、その市には映画館があり、美術館はありませんでした。それから39年経ったわけですが、今もその市には公営の美術館はありません。そういうところです。
県庁所在地といっても、私が生まれ育ったところはひどく田舎でした。まだネットは発達していません。近くに書店はなく、図書館に置いてある本はすべて古い本でした。
田舎の小学校のわりに、成績優秀な人たちは多かったです。そして、勉強して東京の大学に行けば救われると、思っていました。閉塞した田舎から出られると。
誰も大学のことを教えてくれなかった。大学に行くにはお金がかかること。一定のレベルの高校に行かないと、試験では大学に入れないこと。
結局私は推薦で入るという選択肢しかなかったわけですが、行きたい大学の推薦枠には届かず、無謀にも一般試験を受けて落ちました。努力しなかった私が悪いのですが、某模試が当てにならないこと、推薦で受かる保証がない限り、勉強しておくのが必要だと知らなかったのです。
大学に入れば選択肢が広がるとか、英語が話せたほうがいいとか、そんなことは誰も言わなかった。地方だったら高卒で充分で、手堅いのは専門学校を出て資格を取ることです。

 大学受験に落ちて、私の人生は終わりました。私は部屋でひとつも理解できないショーペンハウエルを読みながら絶望していました。あなたがひねくれず、そのショーペンハウエルが影響された東洋哲学を学ぶ道を選べば、東京での生活は与えられたかもしれないのです。こうして私は、ショーペンハウエルどころかNANAとDEATH NOTEとテニスの王子様の話しか出来ない人々と2年間を過ごすことになるのです。18を過ぎたら、好きなだけ本の話が出来ると思っていました。それは幻想だったのです。

あれから20年近く経ちましたが、私は今日も散らかった部屋でわかんないな、と思いながらフロイトを読むんです。残念ながら大人になっても、好きなだけ本の話をすることは許されません。唯一救いがあるとするなら、たまに許してくれる人に出会えることでしょう。

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