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LGBTQ差別はやめろ!〜デモ〜


『同性愛は依存症』

ちょうど参議院選挙期間中に出たニュース。
多くの自民党員がメンバーとなっている神道政治連盟という団体が発行した冊子に書いてあった言葉だ。

「なんてこの国は遅れているんだ…信じられないし許せない。」
読んですぐに怒りや失望が湧いた。

私はLGBTQ+の当事者ではない。しかし私の根本にある考え方では全く理解することができず、差別的にしか思えない発言で到底許すことのできない考え方だった。

この記事を見つけた時、同時に自民党前で行うデモンストレーションがあることを知った。
デモなど一度も参加したことがない。そして、そもそも日本でデモがあまり行われておらず参加者も少ないと勝手に思っていた。

心の中に抱えた悶々とした気持ち、そして参議院選挙前という期間に起こったというタイミングから、「デモ、仕事帰りに参加してみるか…」
という気になり、開催場所に行ってみたのである。

するとどうだ。
開催場所にレインボーフラッグや掲示物を持った多くの人が並んでいたのだ。代表の方々が今回の件について考えていること、経験や活動について話し、
「LGBTQ差別はやめろ!!」
と声を上げていたのだ。
そして後半になるにつれ、一歩ずつ前に進むように指示される。参加者が増え、開催場所に全員が収まらなくなっていきていたのである。
そしてデモ終了時間には参加者全員の間でなんとなく一体感と高揚感が漂っていたのであった。

今回デモに参加して感じたこと・考えたことはざっくりと3つ。

1つ目。自分のLGBTQ+に対しての考え方が明確になったこと。
特に自分がLGBTQ+当事者でも知り合いでLGBTQ+の人がいるわけでもない。(恋人がバイらしいが、自分でもあまりわかってないらしい)
だからといってそのトピックに無関心でいていいわけではない。私が今回デモに参加したモチベーションをよくよく考えてみると、LGBTQ+の理解を深め声を上げると言うよりは、社会で些末なこと(LGBTQ+なら各人のジェンダーアイデンティティや恋愛対象のジェンダー)がきっかけとなって差別される人たちがいるというのが許せないんだなと感じた。
なんとなく「LGBTQ+だから」という言い方をするのが自分の中で憚られてしまうことに気づいたのだ。
私の今の仕事では障がいのある方と接することが多い。彼らも社会的に差別を受けることがあり、そこに対する憤りと今回の感じ方が似ているような気がしたのだ。
LGBTQ+"にも"平等の権利を、というよりは
社会の人々"全員に"平等の権利を
と言うのが私の中での軸なのかもしれない。
だからLGBTQ+の方々に対して特別な気持ちはない。差別的な文書を出されたということ、そして実際に社会で差別的な扱いを受けることがあると言うことに怒りを覚えるが、彼らが特別と言う感覚はなく自分と同じ、というスタンスを保っていきたいと思っている。

2つ目は、誰でもある部分ではマイノリティになりうるということだ。
LGBTQ+や障がいがある、というのはその人のひとつの個性であって、その2つに当てはまらない人もそれぞれ個性はあるはずだ。
例えば私は女性で身長が175cmある。これは日本社会では高い方で、さらにヒールをよく履くので普段180くらいの身長で街を歩いている。ジロジロみられることもある。身長が175以上ある女性はマイノリティになりうる。
また、もっと大きなスケールで見てみれば、日本語を話す私たちは世界規模で見ればマイノリティである。英語をペラペラ話せる人は海外にしばらくいた人くらいしか難しいだろう。国際社会に出たときに言語的にマイノリティになり得、そしてまたアジア人的な見た目で差別を受けることもあるだろう。(これも許せないことだ)
まだまだたくさん例はあるが、あなたが自分の個性だと思っていること、またはコンプレックスだと思っていることは、マイノリティ的な要素でもあるのではないか。
とにかく絶対に社会から受ける"差別"を容認してはならない。絶対に断固として許せないという立場をとり続け主張していくべきだと思う。もちろん今回のLGBTQ+に関する冊子で触れられた内容は、ただその個性やその人が生まれ持っている特性に対して否定をし差別をしているのだから最低としか言いようがないと思う。(言葉が強すぎるかもしれないが)
そして、今回私が学び、デモの主催者・参加者の方々を尊敬している点は、みんなきちんと主張を声に出し、行動に起こしていること。そして"みんなで"組織して団結して声を上げていることだ。
1人で行う主張はどうしても聞き入れてもらい辛い。そして簡単に折られてしまう危険がある。
その点みんなで集まってみんなで主張し続けること。それは主張を聞き入れてもらうという実的な効果ともに精神的にも安定し行うことができるのだなと改めて実感した。

3つ目はもっと多くの人が(特に若い人が)社会にもっと関心を持ち、フランクに社会問題を話せるようになったらいいなということである。
私は社会問題や政治に関心があり、また参議院選挙前ということですごくこのようなトピックには敏感になっていた。しかし周りの友達はどうだろう。どのくらい関心があるのだろうか?残念ながらその答えを知るのは難しいのではないだろうか。というのも、普段する会話の中でもちろんそのようなトピックは出てこないし、そういう問題を話すのはなんとなく気が進まなかったり意識高い系と思われてしまうような気がしてそういう話題を避けて話をしがしではないだろうか。
実は私もそう感じているし、今も政治や社会の問題を普段の会話に持ってくるのはなんとなく躊躇ってしまう。
だから自然と自分の興味関心も遠のいてしまいがちだし、そういう話題について議論をすることに慣れることができない。
ラッキーなことに、私は彼氏や彼の友達とこういう話題についてよく話したり議論をしたりすることができる。彼らはスウェーデン人なのに私よりも日本の問題スウェーデンの問題世界の問題をよく知っているし、議論の戦わせ方もうまい。いつもコテンパンにやられる。でもそういう話をいつまでもせず無関心を貫き通しているようでは自分の住みやすい社会を作ることはできないし何も変えられない。愚痴をこぼすだけである。
もう少し個人がそれぞれの社会問題について何を感じるか、どう思うか、何が問題であるかなどを話せる環境・コミュニティーを作り、もっともっと普段の会話の中で楽しく話せるようになったら、選挙率や社会活動(デモなど)が増えて結果的に自分達の住みたい社会を作っていけるのではないかなと思ったのだ。


こんな大層なことをここまで書いてきたが、私もまだまだLGBTQ+についてどういう社会問題や出来事があったのかよく知っているわけではない。そしてもちろん他の分野でも知らないことだらけだ。だからこそ、そのとき自分が知り、考えたことを大切に、そして知らないということを曝け出しながらも情報や知識に対して貧欲な姿勢でいたいと思う。そして、自分が今できることをきちんと行動に移して自分に恥ずかしくない生き方をしていきたいものだ。

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