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8年前の琴引浜へ

このあいだの週末、京丹後に旅行してきた。琴引浜という、鳴き砂で有名な綺麗な砂浜の海があるところだ。その辺りが地元の友人の案内で、海に温泉に、二日目は丹後から離れて城崎、豊岡と堪能してきた。

琴引浜に来るのは二度目だった。前回行った時は、もう海水浴場が終わった9月の海で、地元の人しかいなかった。8年前、19歳になる年で、わたしはうだつのあがらない浪人生だった。

その夏、予備校の夏期講習が終わる日、わたしは落胆していた。
もうまったく成果が上がらないまま夏期講習が終わってしまったからだ。何もつかめないまま半年を過ごしてしまった。周りの子はぐんぐんと成果を上げているように見えて、自分だけがいつまでたっても光の見えない暗いトンネルの中を穴を掘りながら右往左往しているような気がした。わたしはそんな、ある意味浪人生らしいモヤモヤした焦りを感じていた。

自分には彫刻が向いてないのかもしれない…、そんな不安が頭をもたげた。

「ここじゃないどこかに遠出したい」といかにも青っぽいことを考えて、気が付いたら地元の友達に電話していた。

「海見に行かへん?ヒッチハイクで。」

ノリのいい友人は二つ返事で「ええやん行こ行こ!」と言ってくれ、ヒッチハイクの旅はその場で即決した。

わたしは現役生の時に予備校で一緒だった友達が、地元の海を自慢していたのを思い出していた。綺麗な砂浜で、足で踏むと「キュッキュッ」と音がなるのだと、誇らしげに言っていた。あの京都の海を、見てみたい。


…………………


大阪から丹後の琴引浜まで、というのがなんともビビりな私らしい距離設定だなと思う。
日本縦断!とか目的地はないけどとりあえず行けるとこまで!なんて大胆なことはできないし、女一人では危ないかも、と友達を誘うところも、前もって道路を調べて計画立てちゃうところも、冒険したいわりには保険をかけまくるというか、一歩歩くのにめちゃくちゃ慎重なのが小心者のわたしらしい。

だけど誰に何を言われようと、その時のわたしにはそれは今までの人生で一番の冒険だったのだ。

スタートは森ノ宮の高速の入り口の近くの道路だったと思う。

「豊中方面」とでっかく書いたスケッチブックを掲げて待つ事どのくらいだったろう。30分から1時間くらいだったかな。

1台の乗用車が止まってくれた。とても気さくで親切なおじさんで、わたしたちのことを応援しつつも、本気で心配してくれた。旅行会社に勤めていて、何かあったら力になれるから、もし何か困ったことがあったら連絡してきなさい、と名刺をくれた。

西宮のサービスエリアでご飯を食べながら、スケッチブックの次のページに「天橋立方面」と書き込んだ。スタートがうまくいったことが嬉しくて、だいぶ勇気も湧いてきた。

2台目を探すため止まっている車を回っていると、「わたしら方面違うから乗せられないんですけど、手伝います!」と一緒に車を探してくれる人まで出てきて、きゃ〜っと盛り上がっていたらすぐに2台目が見つかった。

2台目は仕事で鳥取に向かう途中のバンだった。作業着を着た二人組のおじさんが乗せてくれた。わたしたちを気遣って、遠回りになるのに天橋立まで乗せて行ってくれた。

天橋立に着くと、売店でビーチサンダルを買って、まだ目的地じゃないけど海辺を歩いた。9月の海はほとんど誰もいなくて、売店も寂しい感じだった。

この先もご縁がありますように、と智恩寺でお参りしてから再び車を探しに行った。スケッチブックにはもう「琴引浜方面」と書いていた。

ただ、もう高速を降りてしまったので土地勘も方向感覚もないわたしはどっちへ向かったらいいものやらわからず、スケッチブック抱えてガソリンスタンドでどう行くべきか道を尋ねていたら、そこでガソリンを入れていたおばさんが「国道の途中まで乗せてったるよ」と言ってくれた。

国道を走りながら「宿は取ってあるの?」と聞かれてわたしたちは顔を見合わせた。

「いや、最悪野宿でもいいかなぁ〜なんて…」

「野宿はやめとき、このへんイノシシとか猿とかでるねんから!」

あっ人じゃなくて、獣ね!?それは怖い!!(いや、人も怖いけど)
急に怖くなってきたわたしたちが青い顔をしていると、おばさんは続けて「わたしの知り合いがやってる宿、空いてるか聞いたげる」と、宿に連絡をしてくれたおかげで、わたしたちはなんとか野宿を免れた。

途中の大宮というところで降ろしてもらい、コメリで晩御飯を買った。

4台目はすぐに見つかった。琴引浜のあたりが地元だというおじさんで、帰るところなので一緒に乗せてくれるということだった。予約してもらった旅館を確認してから、ついに車は目的地の琴引浜へと向かって行った。

誰もいない砂浜は、本当に綺麗だった。
白い砂浜を興奮して歩いていると、さっき乗せてくれたおじさんが、砂を鳴らすコツを教えてくれた、裸足で足を上げずに擦るように素早く歩くと、確かに足元で「キュッキュッ」と砂が鳴った。「キュッキュッて鳴るんよ」と誇らしげに話していた友達の顔を思い出した。

9月の海は冷たいのかと思ったら思いの外ぬるかった。
日はもうだいぶ海の方に傾いていた。わたしは波打際で足だけ浸からせていたが、友達は服のまま胸のあたりまで水がくるくらいのところまでグングン泳いで進んでいって、クラゲに刺されていた。

脇には山から流れてきた川があって、そちらは水が冷たかった、掬って口に含むと冷たくて美味しかった。淡水だった。

ここまで連れてきてくれたおじさんが「向こうに無料の温泉がある」と言うので案内してもらった。

歩いていると、浜辺に突如露天風呂が現れた。松の木の木陰になったところに「突然湧き出ました」と言わんばかりに岩で囲ったような露天風呂があった。
地元の人たちが、若い人からご老人まで男女問わずで4人くらい、すでに先客が浸かっていた。水着のまま入るスタイルのようだけど、水着がないので服のままはいった。

服のままはいることに最初は抵抗があったけれど、入ってみると本当に気持ちよくて、慣れない冒険に1日ずっとドキドキしていたわたしの気持ちがゆっくり解きほぐされていった。

しかも、目の前には海が広がっていた、今まさに夕日が海へ沈んで行こうとするところだった。

来る前は、悪い妄想ばかりしていた。一台も捕まらないのではないか、捕まっても危ないところに連れて行かれるのではないか、車の中で危ない目にあったらどうしよう、金銭を要求されるかも、「ヒッチハイクで行こう」なんて言いだした割にはとにかくビビっていた。

しかし実際には、そんな風に疑っていてごめんなさい、と謝りたくなるほどに、親切な人ばかりだった。もちろん運が良かっただけかもしれない。危ない目に遭わないとは限らない。

だけど世の中には親切な人の方がよっぽど多いらしい。子供で無鉄砲なわたしたちのこの旅路を、いろんな大人たちがサポートしてくれた。

夕日はいよいよ雄大な大海原に飲み込まれようとしていた。
そして空と海面が暗くなっていくにつれ、そこに、ぽつりぽつりと、小さな光が水平線上に少しずつ灯っていった。

イカ釣り漁船の、漁火だった。

夕日から漁火へ光が移り変わっていくその光景が、本当に美しかった。今でもあれを超える絶景をわたしは知らないと思うくらい、あの光はわたしの心に強く焼きついている。

海では地元の人が銛で魚を取っていた。

温泉の流れる音と波の音以外は何も聞こえなかった。静かだった。

光がほとんど漁火の方へ移ってしまって、だいぶ暗くなってきたころ、わたしたちは宿へ向かうべく無料の更衣所でシャワーを浴びて、新しい服に着替えた。
更衣所を出ると、さっき銛で魚を取っていたおじさんに話しかけられた。

「これさっき採ってきたやつ、やるわ。宿に俺の知り合いがおるから、料理してもうて食い。」

渡された袋には、なんと、サザエとトコブシが7個も入っていた。
お礼を言って、興奮して盛り上がっていたら、4台目の車のおじさんがやってきて、旅館までまた車に乗せてくれた。

旅館の方々も、このいきなりの飛び込み客を快く受け入れてくれた。新しい旅館のようで、きれいなところだった。
興奮冷めやらず、部屋で今日1日のことを語り合いながらゴロゴロしていたら、「砂抜きする時間がなかったので、ちょっとじゃりじゃりすると思いますけど…」と、早速料理されたサザエとトコブシが運ばれてきた。
たしかに、砂は残っていた。でもそんなの気にならないくらい、美味しいと思った。

本当に、自分がここまでこれると思わなかった。とにかく出会う人出会う人みんなが暖かくて優しくて、景色が美しくて、ボーッと遠い水平線をみていると、デッサンも塑造もうまくいかなくてオマケに失恋したりもして、そんなどん底でぐるぐるのたうちまわっていた自分が随分と遠く感じた。

悩み事がなくなったわけではない。きっと東京に戻ればまたわたしはぐるぐる悩む。でもこうして、時にはそれらのことからグーンと離れて、距離を取ることもできるんだ。

そう思ったら少し気持ちが楽になった。


…………………


さて、帰りも帰りでいろんな出会いがあったのだけれど、行きほど詳細には語れない。なぜなら、行きの話は当時mixi(!)の日記にことこまかに書いていたおかげで(ここに書いた以上に)ものすごく詳細な記録があったのだけど、帰りの記録は書きかけて序盤で力尽きていたので、記憶を頼りに書くしかない。

帰りもいろんなドラマがあった。まず、琴引浜まで送ってくれたおじさんが、帰りも途中まで乗せてくれた。しかもまさかの海沿いを走って半島をぐるっと一周しながら、ツアーガイドさながら観光のポイントポイントで降ろして案内してくれた。灯台まで登ったり(丹後半島最北の経ヶ岬灯台)美味しい海鮮丼を食べたりした。
窓の外の景色は延々と、海だった。そういえば二日とも良く晴れていた。

どこで降ろしてもらったんだろう。また宮津のあたりで降ろしてもらったのかもしれない。

次に乗せてくれた5台目の車は、作業着の現場のお兄ちゃんたちがいっぱい乗ったハイエースで、車の中はペンキくさかった。ハイエースの荷室に彼らと一緒に車座になって座り、旅の話をした。車のオーディオからは知らないラップの歌が延々流れていた。みんな一様に声のボリュームがちょっと大きめで、つられてこっちも声が大きくなっていく。今まで乗った車とはまた違って面白かった。
威勢の良い彼らは降ろすときも、綾部の高速を出たあたりにポッとわたしたちを降ろして「じゃっ!」という感じでサラッと去って行った。

周りにパーキングも何もないところだったので、ちょっと不安になりつつ「大阪方面」と書いたスケッチブックを掲げていると、そんなにかからず一台の車が止まってくれた。老夫婦の乗用車だった。

品の良い穏やかな老夫婦で、道路脇にスケッチブック掲げて立ってるわたしたちをみて驚き、心配して乗せてくれたそうだ。「あんなところじゃなかなか車つかまらへんわ、通ってよかった。気をつけてね。」と言ってくれた。

最後の一台はイケイケでノリノリな若いお兄ちゃんお姉ちゃんが4人乗っている、5人乗りのベンツだった。

「一人荷台でよかったら大阪まで乗せられるで」

「体小さいんでいけます!」

というわけで、わたしはベンツの荷台に乗って大阪まで帰った。

この先の人生若いイケイケの男女4人が乗るベンツの荷台に乗って移動することなど、あるだろうか。ないだろうなぁ、そもそもベンツに乗ってるイケイケの若い男女と関わる機会がなかなかなさそうだ。

しかしノリの良い彼らはわたしたちの話に食いつき、大阪に着くまでの間わたしたちの旅の物語を熱心に聞いてくれた。車内にはポップミュージックが流れて、テンションは終始パーリーだった。
荷台のわたしも仲間はずれにされることなく、また近づく旅の終わりにしんみりする隙もなく、愉快なベンツはテンションを上げたまま真っ直ぐに大阪へと走って行った。

大阪に戻ってきたのは、もうだいぶ暗くなり始めたころだった。
ベンツの彼らは、わたしたちを乗せたことを「楽しかった」と言って、旅のゴールを祝ってくれた。最後まで派手でテンションの高い彼らと、ハイタッチして手を振って別れた。

賑やかな旅の終わりだった。

…………………

降りたゴールは、肥後橋のあたりだった。

なんだか不思議な気持ちでしばらく放心した気がする。ゴールを祝ってどこかにご飯を食べに行くでもなく、わたしたちはその場で別れた。わたしはヒッチハイクで旅行に行くことを家族に隠していたので、スケッチブックは友達にあげた。

一人になって、少し歩いて靱公園まで行った。
あっというまで、幻みたいな2日間だった。

だけど、目を瞑ると、わたしの目に焼きついたあの光がー海に沈んでいく夕日と、ぽつぽつと灯りだす漁火の光がーしずかにゆらめいていた。

一瞬の非日常を体験して、自分が何か変わったのかどうかは、わからない。結局なんにも変わっていない気がした。ちょっと冒険したからって、それで世界が変わるなんてことはない。デッサンが急に上手くなることもない。

靱公園の芝生に座ってしばらくボーッとしていた。でも、わたしはこれからまた戻って、デッサンを描いたり粘土をこねたりするのだ。浪人生に、受験生に戻っていくのだ。こうして距離をとって離れてみても、結局わたしはそこから逃げられないし、逃げたくないのだ。

彫刻が向いてるか向いてないかは知らないが、それがやりたいんだろう。そこから逃げたくないから、また戻っていくんだろう。

そんなこと考えていたら、足が痒くなってきて、見たら周りに蚊がいっぱい飛んでいることに気がついて、慌てて家に帰った。

家族には「友達の家に泊まって、今日は須磨の海まで遊びに行ってきたわ」と嘘をついた。

ビーチサンダルは、捨てられなかったからだ。


…………………


8年ぶりに行った琴引浜は海水浴客がたくさんいて、賑わっていた。海の家も開いていて、少し大人になったわたしはビールを飲んで、浮き輪でぷかぷか波に流されながら泳いで遊んだ。人がたくさんいる浜は、砂が湿って上手く音が鳴らなかった。

地元の人が採ってきたサザエとトコブシではなく、近くの美味しい居酒屋で、お酒を呑みながらお造りの盛り合わせを食べた。イカが甘くてトロトロで美味しかった。
「イカ釣り漁船いっぱいあったもんねえ」と友達がいうのを聞いて、ああそうだそうだ、とあの光景を思い出す。


8年前、「彫刻向いてないのかも…」と悩んでぐるぐるしていた19歳のわたしよ。8年後のわたしはとりあえず彫刻を続けているよ。

これから先のことはわからないし、大人になっても毎日やっぱり不安はあるし、当たり前に悩みもして、ぐるぐるぐるぐる考えたりするけれど、それでも作ることは続けているし、方向音痴のわたしだけどとりあえず前に進んでないことはないみたいだよ。

だがらどうってこともないけど、今のわたしが言えるのはそのくらいだなあ。今のわたしも、もっともっと未来の自分に「大丈夫だよ!」って背中押されたいんだけどなあ。

またいつか、何年かたって未来の自分が今のわたしに「大丈夫だよ」って言えるように、がんばるか。次来るのは何年後かな。そんなことを思いながら、丹後半島を後にした。


…………………



わたしもいつか自分の車を持った時には、若いヒッチハイカーに是非とも出会って、乗せてあげたいと思う。それはひとつ、わたしの夢だ。


8年前、わたしの旅路に付き合ってくれた友人と、赤の他人にもかかわらず親切にしてくださった全ての人に、そして琴引浜のことを教えてくれた友人に感謝を込めて。

読んでいただきありがとうございます。 お恥ずかしながら常に(経済的に)カツカツで生きています!サポートでご支援いただけるとめちゃくちゃありがたいです。