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神智学と人智学における人間本質の階層

一般の文化、宗教(公教)の多くは、人間の構成を肉体と霊魂の二元論で考えます。

それに対して、秘教や神秘主義的思想の多くは、「霊」と「魂」を分けて、霊・魂・体の三元論で考えます。

ギリシャ哲学(新プラトン主義)やインド哲学などのいくつかの伝統では、もっと多くの階層的構造で考えます。

それらを統合した近代の神智学、人智学では、7階層で考えることを好みます。

このブラヴァツキー夫人に始まる神智学とルドルフ・シュタイナーの人智学における、人間本質の階層論について紹介します。


背景としてのインド哲学、ギリシャ哲学の階層論


ブラヴァツキー夫人は、バラモン系のサーンキヤ哲学や、ヒンドゥー哲学の3シャリーヤ(三身)説、5コーシャ(五鞘)説などの階層論の影響を受けていると思います。

神智学が人間本質に数える「ブッディ(思考・判断)」や「マナス(識別作用)」は、サーンキヤ哲学から、「アートマ」はヴェーダーンタ哲学から、「コーザル体」は、ヒンドゥー哲学の三身説から来ています。

サーンキヤ哲学、ヴェーダーンタ哲学、ヒンドゥー哲学は、下記のような存在の階層、人間本質の階層を考えます。

詳細は下記をご参照ください。


一方、シュタイナーは、神智学と共に、新プラトン主義のプロクロスの階層論の影響を受けていると、私は推測しています。

プロクロスは、新プラトン主義哲学の大成者で、プラトン、アリストテレス、プロティノスらの考えを継承して発展させました。

彼は、以下のように、存在の階層を上下対象の9階層で考えました。

シュタイナーが人間本質を上下対象で考えたことや、人間本質に使う「生命霊」はプロクロスから来ているのでしょう。

詳細は下記ページをご参照ください。


神智学のモナド


ブラヴァツキー夫人の「シークレット・ドクトリン」などによれば、神智学では、人間は素材と生命に、神性としての霊魂が結びついた存在であると考えます。

その神的な霊魂は、「モナド」から生まれ、人間に知性と自我を与えることで、人間らしい本当の人間を生みます。

「モナド」は、神性である「第1ロゴス」が小部分となった分霊(分神)的存在で、「火(霊的な火、生ける火)」とも表現されます。

「モナド」という言葉は、ピタゴラス派やヴァレンティノス派グノーシス主義から来ています。

ですが、その本質は、ヴェーダーンタ哲学の「ジーヴァートマン」であり、サーンキヤ哲学の個々の「プルシャ」でしょう。

また、神話的には、ミトラ教、マニ教における原人間(アフラ・マズダ)が砕けた「光のかけら」、ヘルメス文書「ポイマンドーレス」における原人間アントロポスの分神的な「霊魂」、ディオニュソス秘儀における「八つ裂きにされたディオニュソス」などの神話で表現されています。

つまり、神的存在の死せる一部分が、不死なる霊魂として人間の中に入ったと語るものです。

「第1ロゴス」に由来する「モナド」は、下降して順に「アートマ」、「ブッディ」、「マナス」をまとって人間に入ります。

これが人間の不死なる部分で、「高級自我」、「魂(ソウル)」とも呼ばれる「高級3組(3複体)」です。

アディヤール派では、3重の「ロゴス」が「モナド」においては、「意志」、「叡智」、「活動」として現れ、それが「アートマ」、「ブッディ」、「マナス」に働きかけるとします。


一方、「モナド」は「第2ロゴス」の中にもあり、「モナド・エッセンス」と呼ばれます。

「モナド・エッセンス」は、質料に形態に「生命」を与え、進化する生命の流れを生みます。

これは、個別化されていない無意識的な存在です。

「モナド・エッセンス」は、人間の可死の部分である「低級自我」、「パーソナリティ」と呼ばれる「低級4組」に進化しました。

そして、「高級自我(高級3組)」が「低級自我(低級4組)」と結びついて人間的な人間になります。

・第1ロゴス:モナド      :高級自我(高級3組)
・第2ロゴス:モナド・エッセンス:低級自我(低級4組)


神智学の人間の7本質


こうして、人間を構成する7本質が生まれます。

「シークレット・ドクトリン」などによれば、下記の通りです。

1 アートマ(霊、意志、意識)
2 ブッディ(霊的魂、直観、ヌース)
3 マナス(マインド、思考、人間魂)
 -1 高級マナス(ブッディと結びついてコーザル体に)
 -2 低級マナス(カーマ・ルーパと結びついてメンタル体に)
4 カーマ・ルーパ(感情、動物魂)
5 リンガ・シャリーラ(アストラル体)
6 プラーナ(生命、エーテル)
7 ストゥーラ・シャリーラ(ルーパ、肉体)

1~3が高級本質、4~7が低級本質です。

ですが、3の「マナス」は、低級本質の「カーマ・ルーパ」と結びついてそれに染まった「低級マナス(コーザル体)」と、「ブッディ」に向いた「高級マナス(メンタル体)」に分かれます。

ブラヴァツキー夫人はこれらを仏教の説であると書いています。
ですが、ヒンドゥー哲学の3シャリーラ説の用語が使われています。

また、夫人は、ヒンドゥー哲学の5鞘説の対応では、2が「アーナンダマヤ・コーシャ」、3が「ヴィシュニャーマヤ・コーシャ」と「マノーマヤ・コーシャ」、5が「プラーナマヤ・コーシャ」、7が「アンナマヤ・コーシャ」に当たるとしています。

夫人によれば、人間に受肉した「マナス」が、分裂したことが、「天使の堕天」の神話が表現するものです。

また、高級本質である「モナド」は、アフラ・マズダやルシファーに対応し、「低級マナス」がアーリマンに対応すると言います。

また、夫人の歴史観によれば、レムリア期に金星からサナート・クマーラ達が地球に来訪して「世界主」になり、人間の「メンタル体」を準備しました。


しかし、夫人は、晩年のES(エソテリック・セクション)に向けた記事では、4と5を「カーマ体」として統一し、3の「マナス」を高位、低位の「メンタル体」に分けて7本質としました。

また、1の「アートマ」を「オーラ卵」と表現しました。

1 オーラ卵
2 ブッディ体
3 高位メンタル体
4 低位メンタル体
5 カーマ体
6 エーテル体
7 物質体

アディヤール派などその後の神智学では、3を単に「ナマス」、もしくは「コーザル体」、4を単に「メンタル体」と表現する場合もあります。

また、リードビーターのアディヤール派やアリス・ベイリーは、「低級4組」を、4、5、6&7の「低級3組」と見ます。

1 アートマ
2 ブッディ
3 コーザル体
4 メンタル体
5 アストラル体
6 エーテル体
7 物質体

人間は死後、6、7が物質界で消滅し、上位5本質が「カーマ・ローカ(アストラル界)」に入ります。

この世界は、想念(感情、イメージ)が形を取って見える世界ですが、普通の人は自分の思念に囲まれて夢を見ているような状態になり、その外をほとんど認識できません。

人は睡眠中も、肉体を離れて、この世界に遊離して夢を見ています。

しばらくすると、高級3本質(1、2、3)が4、5と分離して、「デヴァチャン界(メンタル界)」に入ります。
ここは、色彩と光と喜びに溢れた世界です。

「デヴァチャン界」でも、自分が作った思念(思考)に回りを取り囲まれた半意識状態になる、ということは同じです。

「高級自我」は輪廻の主体で、その後、転生します。


シュタイナーの人間の9本質


ルドルフ・シュタイナーは、人間の9本質(7本質)について、1904年の「神智学」、1906年の「神智学の門前にて」、1907年の「薔薇十字会の神智学」、1910年の「神秘学概論」などでまとめて述べています。

シュタイナーは、下記のように人間の9本質を考えます。

1 霊人(アートマ)  :インツゥイツィオーン認識(合一的直観)
2 生命霊(ブッディ) :インスピラチオーン認識(霊聴的霊感)
3 霊我(マナス)   :イマギナチオーン認識(霊視的想像力)
4 意識魂       :霊我と一体になった魂
5 悟性魂(自我・私) :覚醒意識(人間的・対象的意識)、思考力 
6 感覚魂       :アストラル体と一体になった魂
7 アストラル体(魂体):夢の意識(動物的意識)、感覚・感情
8 エーテル体(生命体):睡眠意識(植物的意識)、形成力
9 肉体(物質体)   :昏睡意識(鉱物的意識)

3分説では、1から3が「霊」、4から6が「魂」、7から9が「体」です。

そして、4と3、6と7が一体なので、実質的に7本質となります。

5が「自我」だと言う場合、この「自我」は日常的な「自我」ですが、目覚めた「自我」は、5と4が一体の「自我」と捉えられます。

また、5の「自我」を中心にして、上下が対象の構造になっています。

つまり、「自我」は7から9を感覚によって知覚しそれを言語化し、1から3を直観によって知覚しそれを言語化します。
そして、7、8、9は、それぞれに、3、2、1が変化したものであるとも言うことができます。

「自我」を3「霊我」で満たすと、それが7「アストラル体」を照らし、それによって「自我」が「アストラル体」を支配することで、そこに「霊我」が現れるのです。

つまり、「アストラル体」を意識化して働きかけることで、その部分が「霊我」になるのです。

こうして、「アストラル体」は変化していない部分と、変化した部分(霊我)から構成されるものになります。

2と8、1と9の関係も同様です。

この上下対称性は、ブラヴァツキー夫人の神智学にはありません。
先に書いたように、プロクロスときわめて類似しています。

ただ、シュタイナーがプロクロスについて語っているのを知りませんし、プロクロスには下位のものが上位のものに変化するという関係はないと思います。

「魂」は「体」を通した「体験(印象)」を「表象」に作り変え、それを「霊」に受け渡すと、「霊」はそれを「能力」に変換して成長します。

また、シュタイナーは、「人間は思考存在であって、思考から出発するときにのみ、認識の小道を見つけることができる」と言い、「悟性魂」が行う「思考」を重視します。

ですが、単なる「抽象的思考」は超感覚的認識の息の根を止めると言います。
「生きた思考」が、超感覚的認識の土台を築くのです。

超感覚的認識というのは、「魂」、「霊」の諸感覚で、それぞれ、魂的、霊的存在を直接、知覚します。

思考を「生きた」ものにするには、外界に対して偏見を排して帰依する態度で、自分自身を空の容器にして、事物や出来事が自分に語りかけてくるように、外部のものに思考内容を作り出させることが必要です。

シュタイナーは、霊界の法則が思考存在としての私自身の法則と一致している時、はじめて私は霊界の法則に従うことができる、と言います。

そのような「魂」の中の不死なる部分、真・善を担うのが「意識魂」です。

そして、「私」として生きる霊は、「自我」として現れるから「霊我」と呼ばれます。

また、独立した霊的人間存在が「霊人」で、「霊人」に働きかける霊的生命力、エーテル霊が「生命霊」です。

ちなみに、動物の「自我」はアストラル界に1つの種類の動物の1つの群魂という形で存在します。
同様に、植物の「自我」は低次の神界に、鉱物の「自我」は高次の神界に存在します。

シュタイナーの歴史観によれば、「太陽ロゴス」である「キリスト」が、
ゴルゴダの秘跡で「地球霊」になって以降、「意識魂」を育てる時代になりました。

シュタイナーは、ブラヴァツキー夫人と違い、アフラ・マズダをこの「太陽ロゴス」と同じものと考えます。
シュタイナーはマズダ教(ゾロアスター教)に従い、神智学はより古いミトラ教に従っている点が、二人の大きな違いを生んでいます。


シュタイナーによれば、睡眠時、「自我」と「アストラル体」は、「エーテル体」と「肉体」から離れます。
また、夢を見る時には、「アストラル体」が、より「エーテル体」と結びつきます。

睡眠時の「アストラル体」は、宇宙的なアストラル界から法則を受け取り、それをエーテル体の建設に使います。

死後の人間は、まず、「肉体」を脱ぎ、次に「エーテル体」を脱ぎ、最後に「アストラル体」を脱ぎ、それぞれの死体はやがて消滅します。

アストラル体を脱ぎ捨てた後は、霊界を認識してその世界を体験しますが、また、地上世界にも働きかけて、それを変化させます。

その後、やがて、霊界から流れてくる諸力を受けて、新しくアストラル体を形成し、再生します。



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