見出し画像

入院中にあった地震

今日も西日本で大きな地震があったようだ

そういえば、私がチーバくんの口元当たりにある病院で入院していた時に地震があった。震度3だった。
千葉県民はいい意味でも悪い意味でも地震慣れしている。
同じ病室の人は、震度3程度では誰も騒がない。私もとりあえず震源はどこだろうとテレビをつけるために立ち上がった。そうしたら、看護師さんが各部屋に状況確認しに来てくれた。全部の部屋、カーテンで仕切られた一人一人への声掛けをしてくれた。災害時仕事をしてくれる医療関係者の皆さんに感謝しかない。

今日の震源地のあるあたりには、伊方原発がある。今回の能登地方の地震では経団連の十倉会長が早く原発を再稼働させろと、わざわざ言いに来た志賀原発があった。たまたま原発は稼働されていなかったから、大きな被害にもならずに済んだ。福島原発の後を丹念に追い続けている烏賀陽弘道さんのnoteには、3.11のあと。帰れなくなった人たちのその後の人生が描かれている。
読んでいるだけで泣けてくる。有料記事だし高い。だけど、烏賀陽さんはフリージャーナリストだ。取材にお金がかかって電気を止められたこともあるほど困窮したこともあったそうだ。だから烏賀陽弘道さんのnoteは、取材への応援の意味も込めて買ってほしい。

生死を分ける72時間、能登の地震でもさんざん言われていた。
ただ福島の原発被害地の人達にはそれができなかった。
メルトダウンを起こした原発近くの人たちは、強制避難させられたからだ。能登の被害がひどい地域の人で家の下敷きになった人の体験もたくさん目にしてきた。近所の人たちの助けでがれきの下から助けられた人も多い。寒さの中一夜を過ごした後、助けられた人もいる。
福島ではそれができなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?