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day9 hungary 四次元的に


今日のサムネイルは、ブダの丘を眺める謎の英雄です。

<今日のハイライト>
・前の人までお湯出てたシャワーが突如冷水化、ブダペストで滝行
・英雄広場がワンピース感に溢れる
・家が徒歩3分の友達にブダペストで合流
・最高の夜景を前にカメラを忘れ無力を噛み締める

王下七武海?

王宮から眺める鎖橋

ブダペストの夕焼けは凄まじかった。

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さて、今日は教養の必要性について。

トルコからブルガリア、セルビア、そしてハンガリーと、中世ヨーロッパの文化が色濃く残る国々を歩いてきて思うこと。

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我々にとって、教養とは必要か?という問いがあります。

まあこれは難しく言っているだけで、良く言いますよね、「これって勉強する意味あるの?」って。例えば、数学とか、歴史とか。

ここに関しての1つの考えとしては、「教養は、暇を楽しむためにある」と思っています。

例えば観光。

極論、観光とかすべて暇つぶしですよね。別に城見ても、川でカヌー漕いでも、美味しいご飯食べても、特段何が起こるわけでもないです。

自分で言ってて悲しくなってきますが。

でも、その暇つぶしをどう楽しむかに、文化的な生き物である人間としての豊かさを見出すことはできると思います。

例えば、ベオグラードの街並みを見て、遠くから攻めいるオスマンの兵士を想像するとか。

(ちなみに、ベオグラードというのは「白い都」という意味です)

「ようやく空が白んできました。すでに秋も半ばにさしかかったその朝の冷え込みは厳しく、急激に下がった気温と川の水温との落差のために、川面からは乳白色の靄が立ち上がっていたのです。白い靄に包まれた都市は、折から差し込んできた陽の光を受けてキラキラと輝いていました。その美しさに、歴戦の猛者たちも、しばし息を呑んで見惚れたと伝えられています。あまりの美しさに、トルコの将兵は戦意を喪失し、その日の襲撃は中止になった、と。こうして、この都市は、『白い都』と呼ばれるようになったのです」 (米原万里著「白い都のヤスミンカ」『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』所収、角川書店、p.191)

ベオグラードの砦に立つと、左には都市、右にはドナウ川の先に遥かな平原を望むことができます。

※これは右側

ああ、これは攻め込んでくるわと、納得の平原なんです。

そうそう、こうやって、目の風景や建物を「四次元的に」楽しめるようになることが教養の素晴らしいところだと思うのです。

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さて、冒頭の問いに戻りますが、さてこの贅沢なツールは必要なのか?

僕はやっぱり必要だと思いました。

なぜなら、人間はほどほどに暇を抱えて生きているから。

大義に満たされて、がむしゃらに働く時期や、時間もあると思います。

ただ、一方でゆったりと過ごす時間も必要だし、事実、あることにはある。

その暇をどう楽しむかで、人生の時点時点での豊かさが変わってくるのかなと思いました。


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