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好きなバンドのライブと海外旅行に行った後なら悔いなく死ねるのか。

 たとえば今私が死にそうになったとして、
「まだやり残したことがあったのに。」という理由で生きることに縋るだろうか。
 今年はライブのチケットをもう7枚取っているし、海外旅行にも3回行く予定だ。けど私は、それに行けなくなるからといって、その死にそうな瞬間を恨むだろうか。

 では反対に、既にチケットを取っている7公演全てに参加して、3回の海外旅行からも帰ってきた後に死にそうになったとすれば、
「もう今年のやりたいことはやり終わったから死んでもいいや。」と思えるだろうか。


 なんだか私は、別にいつ死んでもいいやと思うのです。これは、以前抱いていたような「死にたい」とは少し違って、死ぬ機会が無いなら楽しく生きておくけど、生きることに縋る必要性も感じない気がしている感じです。
 こうやって文章にするとネガティブに響くけど、決してそういうわけではなく。

 私は今までの人生もそれなりに濃くて面白かったなと思うのです。全てが楽しかったわけではないし、むしろ、今この瞬間から振り返れば殆どが嫌悪と羞恥で埋め尽くされるような感覚すらあるけど、私はその時々の瞬間を頑張って生きてきたから、もうこの人生に悔いはない気がするのです。

 それに、「まだやりたいことが沢山あるのに。」という理由でいちいち生に縋っていたら終わりが無いような気がしますが、皆さんはどう思いますか?
 先程、「7回のライブと3回の海外旅行が終われば私は悔いなく死ねるか」という話をしていましたが、どうせ今予定しているイベントが終われば新たなイベントや夢を組み立てていそうなものです。やりたいことをどれだけ叶えても尽きることがないなら、いつ人生が終わっても結局同じような気持ちで死を受け入れるしか無くなる気がします。


 少し話は戻りますが、いろいろ考えて私は「いつ死んでも悔いはない」と思っています。反対に、いつ死が来るか分からないし、ひょんなことで自分から死を選ぶかもしれないから、やりたいことがあれば先延ばしにせず、生きる気がある今のうちにやっておこうとも思います。
 貯金をしてもそれを使う老後が来るかは分からないし、「いつか痩せたら地中海で水着着てはしゃごう」と思っていてもその前にデブのまま地中海にも行かず死ぬかもしれないし、というか明日を迎えられないまま今夜寝たらそのまま死ぬかもしれないし…。
 それなら生き急いでるように見えるくらい全てを「今」に詰め込んで、いつ人生の終わりがきても「死ぬの早すぎワロタw」くらいの気持ちで死んでいきたいものです。



 方向性を少し変えて。
 たとえば今刃物を持った強盗に襲われて殺されそうになったとすれば、私は間違いなく恐怖を感じてやめてほしいと叫ぶと思います。けどそれは「生きたいから」なのでしょうか。「痛いのが嫌だから」でしょうか。

 以前見たドラマで、毎日を無気力に生きるホームレスが連続殺人鬼に殺される時、「生かしてくれ」と叫んでいました。
 生きることに何のメリットがあるのでしょうか。これはホームレスの人生を軽んじているわけではなく。「生かしてくれ」と叫ぶほど、生は死と比べて尊いものなのでしょうか。
 私は正直、生と死を天秤にかけて生が選ばれるような風潮を理解しきれていない気がします。生きている方が辛いと思う瞬間だってあるはずなのに、それでも生きている方が良いに決まってるという考え方。命は尊いということは理解していますが、理解しているからこそ、無理をしたり辛い思いをしてまで命を長らえるのは本当に幸せなことなのか疑問に思ってしまいます。

 死には痛みや苦しみが伴ってしまうことが多いから避けるべきものと考えてしまうけど、それは痛みや苦しみを避けたいだけであって「死=人生が終わること」という点だけを拾えば、別に悪いことではないように感じます。

 いずれも私は死を経験したことが無いので、死の方が良いに決まっているという主張までするつもりはないし、そんな極端な思想を持ち得ないのですが、あまりにも生だけが尊いとされているこの空気は死が可哀想なので書かざるを得ませんでした。



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