森井

生き急ぎ、反抗期パンケーキ。

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社会人1年目冬・23歳・借金860万円

高校2年生の時、父が職を失った。 仕事を辞めてからの父は、なぜだかやる気に満ち溢れていて、 やる気というか、誰かに対する憎悪と戦意に近い何かが溢れ出すようで、 気味が悪かった。 後から聞くと、(父が言うには)不当なリストラを受けたようで、雇用主か何かを相手取って裁判を起こしていたようだった。 その頃私たち家族は(兄は就職していたので父母と私)、俗に高級住宅街と言われるような場所に住んでいたのだけど、 父は職を失ってからも引越しを拒み、執着するようにその地を離れようとしな

    • 動悸

       動悸が止まらない。  良かれと思ってヒーリングミュージックを流してもむしろ心は騒つくし、寝ても覚めても落ち着かない。心臓も頭の中も忙しい。  髪の毛がめっちゃ抜けるのも鬱陶しい。散らかった部屋を片付けようと思ってもやる気が出ない。久々お酒を飲んだら簡単にアルコールを感じるようになった気がして腹が立つ。気のせいかも。  本を読めば若干安らぐようにも感じるけど、物語と比べるとなんて私は薄っぺらい人生を生きているんだろうと思って萎える。  世の中では騒つく心に優しい生き方こ

      • 流れ星を撃ち落せ。

         私を好きになりたい、私が好きになれるような私になりたい、などと願望だけを抱き漫然と生きてきた私だが、「好きな私」とはすなわち何かを考えてみると、好きなことを好きなだけやっている私だという結論に至った。  仕事が終わり、買ってきた弁当を喰らい、スマホでYouTubeなんかを見て「全部飽きたな」などとひとりで呟き、気づけば24時を回って慌てて風呂に入り就寝。そのような生活は到底「好きな私」が送るような生活ではなくて。  ただ、今は少し元気ではないからもう少し元気になれば自然と「

        • 「自分の人生は、自分のものだなァ」と小泉構文スレスレの事実に気づく瞬間が月2周期で来るたび、深いため息 shooting the MOON………

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          4本

        記事

          経過記録。

           上手く言葉に出来ないけど、社会人になって数ヶ月経った頃から、時々ふと「鬱が抜けていくというのはこういうことだろうか。」と感じる瞬間がある。言葉での表現が難しいけれど。  鬱を知らなかったあの頃と同じように、頭が回るようになったり、新しいものを積極的に求めることが多くなってきた。「〜したい」「〜みたいになりたい」みたいな願望だと焦ったくて、「実現するにはどうしたら良いか」って思考が自然と出てくるようにもなってきた。まだまだ嫌な感情?が足を引っ張る時間の方が多いけど、トンネルの

          経過記録。

          ちょっと無理な努力。

           結局才能とかより努力なんだと思う。  と言っても、才能や器用さである程度出来てしまう人がいるのは否めないが、自分が成長できる努力を知っている人に勝る人はいないと思う。  私は昔から英語に憧れていた。理解できないくせに家にある英語の本をずっと手に持っていたし、英語で話すハーフの友達2人が羨ましくてたまらなかった。私は絶対に英語を話せるようになって海外で働きたい、と思って小学5年生から英会話教室に通わせてもらったけど、全く上達しなかった。2年通ってから中学生になったはずなのに

          ちょっと無理な努力。

          みんなと同じが正解。

           『みんなと同じ』というのは、何故こんなにも安心できるのだろう。  小さな頃の私にとって、自分の存在価値を計るものさしは「みんなと同じ」部分が多いかどうかだった。みんなと同じ人は普通。みんなと違う人は変。  三角食べにうるさい担任がいても、みんなが好きなものから食べていたら私も好きなものから食べていたし、みんなが授業中に手紙を回すなら私も回していた。  どれが普通でどれが変なのか自分では判断できなかった。けど変なものと、それを変だと認識できない人はちゃんと排除されていったし

          みんなと同じが正解。

          結局は自己顕示欲。

           生きていると「どう言葉に変換すれば良いか分からない感情や思考」というのが何種類かある。  それを明瞭に表現している文章を見つけた時の心臓がどきんと動く感覚はいつまでも慣れない。例えば、  過去に触れるたび少し心がギュッとなったり苛立ちを感じる感じ(病気になる前の自分には戻れない)や、常日頃何かに焦っている(新しくならなきゃ)ような気持ちになる、あのざわつきは何なのか自分では全く理解できていなかったのに、この文章を見た時はこんなにもシンプルな感情だったのかと拍子抜けしたもの

          結局は自己顕示欲。

          つまらない大人にはならない。

           やっぱり私は、大人ってつまらないと思う。  何でも分かった風に振る舞ったり、学生や若者の悩みを「初々しい」や「懐かしい」だとかで勝手に淡く彩ったりして、無意識のうちに自分の知っている型の中に無理やりはめ込もうとしたりするところがつまらないと思う。  一つ一つにいちいち悩んだり、腹を立てたり、落ち込んだり、そういう暗い感情を静かに噛み締める空白をずっと持ち続けるような大人でありたい。

          つまらない大人にはならない。

          死にがいを求めて生きているの。

           自分には恋人がいないことを周りには言っているので、食事の場などでは「その後彼氏出来た?」と聞かれることが多い。その時私は、「自分は異性愛者に見えているんだな」と安心と落胆を同時に覚える。いや、それはあながち間違いではないのだけど、当然のように「人間は皆異性愛者であるはずだ」的な空気を目の当たりにすると、どこかがチクっとする。  人間は異性を好きになることが多くて、恋から生まれた関係性が結果的には「家族」という、人生の柱となるような構成を生み、それらを包み込むのはやがて「愛」

          死にがいを求めて生きているの。

          好きなバンドのライブと海外旅行に行った後なら悔いなく死ねるのか。

           たとえば今私が死にそうになったとして、 「まだやり残したことがあったのに。」という理由で生きることに縋るだろうか。  今年はライブのチケットをもう7枚取っているし、海外旅行にも3回行く予定だ。けど私は、それに行けなくなるからといって、その死にそうな瞬間を恨むだろうか。  では反対に、既にチケットを取っている7公演全てに参加して、3回の海外旅行からも帰ってきた後に死にそうになったとすれば、 「もう今年のやりたいことはやり終わったから死んでもいいや。」と思えるだろうか。  

          好きなバンドのライブと海外旅行に行った後なら悔いなく死ねるのか。

          奨学金、1年分返済した。

          えらい。非常に。 上の記事の通り、私は大学時代におおよそ860万円の奨学金を借りて、昨年10月から返済が始まりました。 860万円借金あるんだなと思うと、日常を過ごしてても頭の中ではお金のことを考えてしまいがちですし、この調子で行けば歳食っても返済してるのかと思うとめちゃめちゃ萎えます。 けど自分の意思で借りることを決めたし、兄と母親には1円も出してくれるなと偉そうに言ってしまいましたので、黙って働いて返すしかないのですが。 とは言うものの、私は返済だけに若い頃の時間を

          奨学金、1年分返済した。

          最高,,

          音楽に勝るものは無いですわ、ホンマに,,,(最近大川さんとハマっている「ホンマ」) 急に失礼。この記事はほぼ脳を通さずに書いているので、後日消すかもしれないです。 映像も絵も小説もエッセイもブログも何もかも好きですが、 私の中ではやはり音楽が一番です,,優勝,,, 以前、いろんな人に好きなものを語って欲しいという記事を書いてしまったかと思うのですが、 私は音楽を語れません,,すみません。 自分の言語力で表現しようとするのが烏滸がましく感じてしまうので無理です,,, ただ

          最高,,

          生活下手、愛おしい域。

          私は本当に生活が下手。 普段生活をしている時の自分の行動を見ると、ほんといい加減にして、、となります。 上手いこと隠そうとしているので、「一人暮らしちゃんとしてそう。」と言われることが多いのですが、旅行などで着々と露呈しているので、そろそろ潮時か、、私の「一人暮らしちゃんとしてそう」キャラは、、となっています。 最近まで結構真剣に悩んでいたのですが、悩んでも改善できるレベルでないので開き直って愛おしく思うことにしました。 ということで順番に挙げていきましょう。私が出来ない

          生活下手、愛おしい域。

          反抗期。

          「頑張りたいのに頑張れない」 と、大学時代の私は自分に嫌気が刺す度言っていた。酔っ払ったわけでも無いのに、やけ酒を飲んで全てどうでもよくなった奴のように泣き叫んでいた。 「頑張りなさい」が口癖の母と「頑張る」が口癖だった私との真面目な親子関係は、冒頭の私の言葉で混乱を極めて、正常な意思疎通がまるで出来ていない4年間だったと今振り返って思う。 行動は感情によって生まれるもので、感情もまた行動により生じた事実によって突き動かされそうなものであるのに、 何故かその狭間に、大きな

          反抗期。

          どうやって生きたいかとか分からないよ。

          気怠さと共に迎える朝には慣れた。 自分の体だけじゃなくて、厭に重みのある何かと一緒に生きているような感覚。 ああ、慣れたと言いつつ、私は晴れやかに朝を迎えられたことがあっただろうか。 小さな頃を思い返してみても、全く見当がつかない。 自分のネガティブ思考には飽き飽きしているのだけど、これがデフォルトなのだから仕方ない。 なんだかもう、感情の移り変わりとかよく分からないし、必死になって生きていきたいと思えるような何かも無い。ただ仕事があるから朝は起きるし、明日も仕事があるから

          どうやって生きたいかとか分からないよ。