経過記録。
上手く言葉に出来ないけど、社会人になって数ヶ月経った頃から、時々ふと「鬱が抜けていくというのはこういうことだろうか。」と感じる瞬間がある。言葉での表現が難しいけれど。
鬱を知らなかったあの頃と同じように、頭が回るようになったり、新しいものを積極的に求めることが多くなってきた。「〜したい」「〜みたいになりたい」みたいな願望だと焦ったくて、「実現するにはどうしたら良いか」って思考が自然と出てくるようにもなってきた。まだまだ嫌な感情?が足を引っ張る時間の方が多いけど、トンネルの先で細く光が見えているような、そんな感覚になる日が増えてきた。
そしてそれが、先月の最終週あたりから、1日中良い感じをキープできたり、2日連続で続いたり、となってきた。
少しは前進しているのかな、と思いたい。
あー、長かった。布団から抜け出せないまま一日が終わって、夕日が窓から差し込む光景が変に綺麗なの、死ぬほどうざかったな。別に体は元気なのに外に出なきゃ・人に会わなきゃ、楽しく話さなきゃと思うと何かがもう死ぬほど嫌でたまらなくて涙が出て、そういうのが一つ一つトラウマになって鬱になるより前に出会った友達とは殆ど会わなくなったな。最後に会ってから4年くらい経ってるのに未だに毎回誘ってくれるの、嬉しいけど、それよりもいつまでも元に戻らない自分に腹が立つ方が勝って、もう誘わなくていいよとか変な不貞腐れ方して大川にそういうことじゃないって言われたな。
なんかもう死ぬほど嫌だったな、この数年間。元気なふりしないと社会の一部になれない気がして他人の真似事みたいなことをし続けて、それが結局少し歪で、周りに「なんか変かも」って思われてる気がしてきて、やっぱり私は社会不適合者だって自虐することで自分自身を守って。時々私って昔からそんな人間だったっけ?って思い返してなんか嫌悪感と吐き気みたいなので一杯になって、そういうの繰り返すたびに、ちゃんと沈む自分と、「もうそういうの良いって」ってなる自分がいて、とは言いつつも自分が鬱であることには変わりなくて病んだな。
出来なくなったと認識するものが増えるにつれ、何も出来ないのは決して鬱のせいではなくて、元来自分の個性なんだと愛おしむことで浄化しようとし始めて、それが確かな部分もあれば能動的な思い込みである部分もあって、自分自身の歪さに反吐が出そうな時もあったな。今も続いているっちゃ続いているけど。
でもそうやって守るしかなくて、そうやって守ってきた。自分が終わらないように、自分が終わりそうな選択肢は避けてきた。そういう選択を取れる気力があるなら君はまだ大丈夫と言われて、症状は大したことないっていうのが言葉裏に感じるたびに、そうじゃないんですけど...って苦しくなったけど、そうなりながらもここまで自分を繋いだ私はえらい。
とまあここまで自分を肯定してきたけど、同時に、振り返ると直近でも自分の状態を言い訳に、人との関わりをおざなりにしている部分がありすぎていて、あまりにも失礼だな、と。改めます。
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