見出し画像

ミャンマーで働く?ミャンマーと働く?今感じている違和感


こんにちは。

最近、嫌なことが一つ、二つ。約2ヶ月くらい、悶々と考えていて、ちょっと落ち込んでました。

一度や二度ではないのだけど、日本を飛び出して以来、何回か感じるこの違和感。ちょっと文字化して、まとめてみました。これからの私の備忘録として。

それは、

「ミャンマー人は、○○」

「バリ人は、○○」

「こんな国は〜〜〜」

という言葉。

ミャンマー在住の、日系企業に勤めているミャンマー人の方から聞いた話だと、社長は口癖のように

「こんな国に〜〜〜ができるはずがない」

「こんな国に〜〜〜があるはずない」

「こんな国にまともな医療があるわけない」

とまるで腫れ物の国のように扱われることがあるそうだ。

私自身の経験でもよくある。

ちょうど2年前くらいになると思うのですが、私のインドネシア人の知り合いに対して、知人から

「インドネシア人は信じられない」

という言葉を浴びせられた。


確かに、私の友達であるインドネシア人は、何か悪いことをしたのかもしれない。
何か疑われることをしたのかもしれない。

もし、本当に何か悪いことをしていたなら、全力で謝るしかなかったのですが、特にそういう訳ではなく、インドネシア人の知人からの情報に対して、
「インドネシア人は信じられない」の一言。

別に、私の知人が悪かった訳ではない。ただ「インドネシア人」というイメージに対しての言葉。

全員一括りにされたらたまらんよなーーと私は思う。

というよりも、自分が「あなたは信じられない」と無差別に言われたら悲しいでしょ、という人としての話。


インド人は、うそつきだ。

ミャンマー人は、頭が悪い。

そういった偏見や見方が、とてもとても多いように思う。

国境を超えただけで、なぜ、人が言われたら悲しいような言葉を普通に言えてしまうのだろうか?

自分の家族が言われたら悲しくないのだろうか?

私は、自分が言われても、自分の家族がそう言われても、どちらにしても悲しい。

こういったやり取りは、大企業・個人起業家、関係なく起こっていると、よく聞きます。

私自身も、日本にいる日本人と話していると、どうしても「ミャンマー」という国のイメージでディスカッションされてしまうことが多いなあと感じることも多々あって。


「ミャンマーは成長期で今がチャンス」

「ミャンマーの人材はとっても良い」

「もっと大きなビジネスをやろう」

「ミャンマー」のマイナス面だと、

「ミャンマーはまだまだ貧困。」

「助けなければいけない部分がたくさんある。」

「ミャンマーのマーケティングのレベルは低い。」

などなど。

もちろん、全て間違っていないです。正しい見解で、正しい見方、だと思います。

画像1

自分勝手な妄想かもしれませんが、、、

「ミャンマーの生きている存在」

を見る人ってあまりいないのかなあ、と思ったんです。

私の目の前にいるミャンマー人も、日本人も、みんな今、生きているんだけどなあ、と。

ここ最近は、あまりにも、「ミャンマー」という言葉にひとくくりに議論されることが多く、とても大きな違和感を感じてしまい、勝手に押しつぶされてた。

日本にいたら、ミャンマーでの「生きている存在」って映らなくなるのかなあ。

そう思ったものの、ミャンマーにいても、ミャンマーの「生きている存在」は軽視している人も多い。同じ「人間」という扱いをしない人も多い。

人種が違うだけで、「人」として認識されないのはなんでだろう、そんな疑問も、偏見の瞬間への怒りも、ふつふつと湧いてくる。

「ミャンマーの生きている存在を見ているわけではない。」

悲しいけど、そう感じざるを得ないことがここ最近多かった。

当たり前だけど、
全てのミャンマー人は生きているし、一人として同じ性格ではないし、個性も、感情もある。

ミャンマー人の○○さん。

よりも、

○○さんは、ミャンマー人。

の方が、私にはしっくりくると思っていて、
アイデンティティは、本人の一部、という考えです。

画像2

比較的、微笑みは多くて、楽観的な傾向はあると思いますが、悲観的な人だってゼロではない。穏やかな国だけど、犯罪だってあります。

良いことされたら嬉しいし、名前忘れられたら悲しい。

気にかけてくれたら嬉しいし、無関心だったらもっともっと悲しい。

「ミャンマー市場」という大きな視点で国を見ることも、私の役割の1つ。

でも、その市場の中には、
一人一人、人間も、資源も、自然も、全て生きた存在だ、ということは忘れるべきではない、と思ってる。

私は比較的、ビジネスの現場にいる側なので、遠隔でのマネジメントの難しさや、直接見えない場所でのビジネスの大変さって、あまりわからないのだけど、

アジア大陸にいる人は、その辺りうまくやっている感覚の人が多いんじゃないかと思う。

島国だと余計に、
日本と海外、というカテゴリ分断の壁は大きいのかもしれない。

住んでみると、”日本と海外”というカテゴリ必要??

と感じることもしばしば。

ただ、「ミャンマーで働いている」という地理的意識を持って生きるのか、

「ミャンマーと働く」という、関係性の意識を持つのか

によって、使う言葉も態度も大きく変わってくるんじゃないか、と私は思ってます。

何れにしても、こんな不安定な時代に、分断なんて作っている場合ではないと思うので、
「ミャンマーと働く」をそのまま体現している人間でありたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?