雪が降った。
その辺の十代くらいにはテンションがあがる。
いいものだ。
『スノウ・クイーン』というなつかしい曲を聴く。
聴きながら思い出したのだが、
年末にツタヤの宅配DVDで、
これまたなつかしのアニメ『雪の女王』を観た。
(DVDが送られてくるっておもしろい。)
とにかく主人公の女の子ゲルダがすごくて、
ものすごくて、ものすごかった。
あの子の手の冷たさは、
雪の女王に勝つためにますます冷たくなっていって、
着ているものもどんどんどこかに忘れて来て、
どんどん寒くなるのに、どんどん丸腰になって、
もう本当に、もうだめだっていう、
もうろうと、スローモーションのなかで、
猛吹雪に向かってまだ這って進もうとして、
とにかく、なんというか、
久しぶりに観たら信じがたいほどのゼルダの気合に恐れ入った。
子供の話のはずなのに。
ただ見ているしかなかった。
置いていかれないよう必死で見ていた。
親など子供になんにもしてやれないわけだ、とあらためて観念した。
セリフじゃなくて動きが物語っていた。
これがアニメーションというものなのか…。

小学一年生くらいのとき、近所の友達と、
映画館で見た『雪の女王』は、そのロシア版のアニメではなくて、
日本版のアニメだったと思うのだが、
ずっと気になっているけど、探しても見当たらず謎のままだ。
子供の指に、氷が刺さって、
真っ赤な血が出る大写しのシーンを、
鮮明に憶えているのだが、
あれはなんだったんだろう。
何かと同時上映の短い作品だったかもしれない。

雪女というのもいる。
女王のように位は高くなさそうが、
村になじんで子育てをし夫や姑につくし、
最後は自分からした約束を律儀に守って、
すべてを手放して人間界を去る。
並大抵のことではない。
やっぱり人間じゃなかったんだ、と、
思いそうになるけど、とてもじゃないが、
雪女にも人間の女にも、かわいそうで言えない。
だから雪女の降らせる雪も、
もっと厳しくて悲しい感じなんじゃないかと思う。

今日の帰り道、雪のなかで思い出していたのは、
『雪の女王』でも『雪女』でもなく『シャイニング』だった。
なんか反省。
ダニーが蹴り上げる雪のはねかただろうか。
雪の質が、あの巨大迷路からのラストシーンを思い出させた。

本当に夜に歩きながら見た、雪が降ってくる様子が、
普段の道を夢の世界のようにして、とてもきれいで、
口を開ければ入ってきたし、傘の上にもすぐに積もって、
風が吹けば遠くの木から落ちる雪の、
バサバサという音や、
サーッという音。
踏めばコクコク鳴るタイプの雪。
音を吸い取る雪。
体温を奪う雪。
財布もスマホも取り上げて身体ひとつにしてしまう雪。

『スノウ・クイーン』は高校生のとき、
友達に教えてもらって、
ロジャーニコルズ&スモールサークルオブフレンズのカバーで知った。

「あなたは自分が勝者であると信じているかもしれないけど、
彼女(雪の女王)にかかれば、すぐにうちのめされて、
自分がただの初心者であることに気づくだろう」

みたいな歌詞が出てくる。
続きはもっと怖い。
今日雪のなかでわたしは自分がただの初心者であることに気づいたから、
(まさにその言い方が正しい)
雪の女王はいたのかもしれない。










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