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第42話「街おこし」

地域創生や街おこしの話が後を絶たない。

多くの人が、
「社会課題解決のために」
「社会のために」
「地域のために」
と声をあげて、何かを模索している。

僕は、天邪鬼だから、安易な言葉に、
「先ず自分が何より本当にやりたいこと、
やりたい事業を考えてください。
それは、必ず、社会や地域のためになりますよ。」
と話をする。

何人かの人は、
「先ず自分がやりたいことを見つけることが大切だ」
と言うことに、改めて気付かされましたとか
お礼のメールを頂いたりするのであるが、
当たり前のことだが、
その事業は「本当に自分がやりたいことなのか」
が、大切だと思う。

どんないい地域課題の解決方法を見つけても、
本当にやりたいことでなければ、続かない。
実行は、思った以上に大変なことだからである。

その上で、街おこしの話をしたい。
街おこしや地域創生は、
一過性であってはならないと思う。

一時的に人が集まっても、
二度と来ない様であれば、
根付くことはなく、
いずれ消えてしまう。

観光客も、中にはリピートしてくれる人もいるが、
そもそも街が寂れてしまったのは
大した観光資源も無いからであり、
イベント頼みでは限界がある。

できれば、その地に住んでもらい、
来訪者と共に人が増えてくるのが
良いのだろう。

その良い例として国連機関がある
スイスの在り方は素晴らしい仕組みだと思う。

各国から選ばれた優秀な人達が住み、
更に、陳情や総会、そして多くの会議のために、
世界中から毎年、人が大量に訪問する。
住む人、来る人の定着である。

シンガポールも似た様な仕組みだ。
物流の拠点であり、
金融の拠点であり、
更に東南アジアのハブでもあるから、
多くの会社がシンガポールに支社、支店を出す。

駐在員が住み、出張者が絶えず訪問する。
人の循環の定着化である。

とは言え、何十年先までを考えて、
国際機関や国際研究所を作るのは、
未来を予測して大構想を描いて
進むのが不得意な日本人社会では難しい。

結果、小さな無責任な発想の
イベント擬きが主流となるのである。

そして、本気で長期に渡り
骨を埋める覚悟で定住する気もない人が、
かき回して2、3年すると去っていく様な事態が
起きていないか心配になる。

特に、地方に力がないため、
どこか大手と協定を組むだけで
何かをやった気になっていないか?

実はそこはスタートでしかなく、
協定したところで議論するだけで、
そして議論の結果何かを生み出しても
定着するための長い道のりが必要なことを理解し、
協定を結んだ人は
最後まで責任を持つ覚悟が必要なのだと思う。

これは、会社で何かのプロジェクトや
M&Aの契約を結んだ時に脚光を浴びるが、
そこは成功までのスタート地点でしかないこと、
成功までには何十倍も何百倍もの時間と
労苦が待っていることを
知るべきであることと同様である。

さて、話はそれてしまったが、
ではどうしたら良いか?

それは、世界一のものを
つくることなのかもしれない。
そこにしかないもの、
そこに来ないと
見ること、聞くこと、学ぶこと、
得ることができないもの。

例えば、これから自然災害が常態化する中で、
自然災害大国である日本が、
例えば国際災害大学などを
福島に作るのはどうであろうか?

災害をいかに事前に食い止めるか、
最小限化するか、
起きた時にどの様に対応をするか、
そして起きてしまったら
どの様に復興すべきかを学ぶ
国際機関や大学をつくることはできないか?

もう一つ思ったのは、図書館である。
ヘルシンキ中央図書館は、
世界一と認められた図書館である。

建物のデザイン、居住性の良さ、
そして何より従来の図書館のイメージや
持つべき機能を変えたことで
評価されたのだろうが、
これからの図書館とは
ある分野のすべての情報が集まる場所
といった方が良いだろうか?

世界中のあらゆる料理の
レシピ本が集まる場所であれば、
料理人の聖地になるかもしれない。

絵本などは、既にあるだろうが、
例えば木組みをはじめとして
木工に関するあらゆる本や手法
そして道具が集まる場所とし、
更にカンヌ映画祭ではないが、
職人が集まり技能を発揮して
表彰する場も併せて行うと、
その街は世界の木工の街として、
学ぶ人、教える人が集まるのではないか。

そして図書館は、紙だけでなく、
映像媒体も含めて貸し出すのだが、
特殊な道具まで持ち
貸し出すことで
バーチャルだけに留まらず
リアルと結合するのである。

と言うことを書きながら、
所詮骨を埋める覚悟もない
発想だけの徒である自分に
限界を感じるのだ。


森の黒ひげ塾
塾長 早川 典重

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