島日記 誰が風を見たでしょう
島はいつも風が吹いている。
めげそうになる風が吹き荒れる日もある。
強風に煽られてハンドルをとられそうになった時、小学生か中学の音楽の教科書にあった唱歌を思い出した。
何かが動いた時風が見える。
誰が風を見たでしょう
僕もあなたも見やしない
けれど木の葉をふるわせて
風は通りぬけてゆく
クリスティナ・ロセッティ 西条八十訳詩
先日書いた「朝はどこからくるかしら」と同じように、オルガンかピアノの伴奏で大声で歌っていた頃。
その記憶も曖昧だが、突然思い出すことがある。
こういう歌は、おそらく他のことを忘れてしまった状態の時でも覚えていそうだ。
三つ子の魂というが、無垢な子どもに意味もわからず繰り返し歌わせると、潜在意識の中にたまっていくのだろう。
ある意味怖い面もあるが。
宮崎駿「風立ちぬ」で二郎が口ずさむシーンがあるので、知る人もいると思う。
映画では通りぬけてゆくの後に二行付け加えている。
風よ翼を震わせて
あなたの元へ届きませ
宮崎駿なりのメッセージだろう。
堀辰雄「風立ちぬ」の小説では、巻頭にポール・ヴァレリーの詩の一節が書いてある。
「Le vent se lève, il faut tenter de vivre.」(青空文庫にある)
この一節を堀辰雄は「風立ちぬ いざ生きめやも」と訳しているが、これを誤訳である、ないの論争が続いているということだ。
文法的に言えば、生きようか、いや生きることはないととるが、堀辰雄は生きねばならないという意味を込めている。
有名な作家が文法を知らないわけではないだろう、何故そうしたか聞いてみたい気がする。
風が吹いても吹かなくても、生きなければならない。
今日もまた仕事だ。
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