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島日記 また思い出した

胸騒ぎのするような朝焼けが窓から現れた。
スマホを持って外に出たり、入ったり。
他のテーマでnoteを書いていたのだが、急遽変更した。
今書いておかないと胸騒ぎがおさまってしまう。

入学して五月ごろ、寮の屋上で少量の洗濯物を干しながら見た夕焼けが思い出された。
もっと穏やかで広大だった。
涙が溢れ出して、止まらない。

我に返った時は寮監室に座っていた。
誰かが見ていたのだろう。
これ以後、寮監室で何度正座したことか。
次からは注意や叱責だったが。

その時期はよくあることのようで、五月病なのねと優しいが慣れた慰めを受け、数日の帰郷が許された。
私の寮には教授の寮監(有名な文学者と付き合っていたとの噂のある美しい女史)と、管理する寮監(助手だろう)が二人いた。

まだ博多までの新幹線はなく、夜行寝台列車の旅である。
最終日は福岡の大学や予備校に通う友人たちと会い、楽しく過ごす。
夕方、博多駅で派手に見送られ、新たな旅立ちをした。
隣の席にいた年配の婦人が笑っていたのを覚えている。

屋上からの夕焼けと地上からでは違って見える。
仰ぎ見る目線と、同じ目線の違いがあるからだろうか。
もちろん、初めて親元を離れて、慣れない環境もあった。
だけど、あの夕焼けを地上から見たり、誰かと一緒に見ていたら涙は出なかったはずだ。

たまたま条件が重なり、五月病と名づけられてしまった。
帰郷できたのはよかったものの、私としては未だにそうだったのだろうかと疑問に思っている。
乾いた性格なので五月病になるとは思えないのだ。
あれやこれや納得のいかないことが多く、結局大学は中退してしまう。

半分封印してきた時代、最近よくよみがえる。
それも、懐かしく、甘く。
書いて溶解すればと後押しされているようだ。



ダイコン間引き菜が出始める
ニンニクもあった
思わずビールを出す 飲みたくなる弁当



今日も自分語りになってしまった。
いつも読んでくださって感謝しています。

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