島日記 目クジラをたてないで
相変わらずお元気そうな五木寛之氏のインタビュー記事に、目くじらを立てないでおおらかにいようという文章が目についた。
目くじらがなんとなく気に入ってタイトルにした。
私には怒りのエネルギーはあまりないようだ。
たまに不平を感じることがあっても一過性のものですぐに収まる。
人や世間に関心が薄いからだろう。
島にいれば目くじらたてて文句を言っている人もあまり見かけない。
web上でも目くじらたているところには近づかない。
映画は別として、長いドラマでは演出にせよ気分が悪くなるようだと観るのをやめてしまう。
理解できない怒に出会うと狼狽え、不快になる。
目くじらはクジラには関係なく、目尻を上げる「目くじり」が変化したもののようだ。
般若の面は女性の怨みや嫉妬を表し、鬼女の顔である。
しかし、目じりは上がってなくて、悲しげな雰囲気。
口には牙があり、大きく開かれ怒っている。
二面性を持つ女性の哀を感じる。
なんとも惹きつけられるお面である。
もともと般若は仏教用語でバンニャー、「智慧」の意味だという。
「般若湯」なる、坊さまのお酒の隠語もある。
湯はスープを指すので、身体を温める薬湯として。
飲めば智慧もわいてくるので結構、結構というところだろう。
禅宗のお寺の門前には「不許葷酒入山門」の立て札があるらしい。
葷酒とは酒と五葷(葱、辣韮、大蒜、韮、浅葱)のこと。
それを食べることを禁ずの意味だ。
刺激物を禁じたが、酒は般若湯、知恵のわく薬湯と言い換えて寛容だったようだ。
般若湯も年とるほどに知恵もわかなくなり、そのうち禁じられずとも飲めなくなるかもしれない。
さびしいことではあるが。
クジラのタイトル画像はZenpakuさまからお借りしました。
今日もお付き合いくださってありがとうございます。
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