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エアーを背負わないで

空気を背負う人がいる。というか、僕たちはみな、200kgくらいの空気を頭の上にのっけて生きている。それはいいのだけど、すでに力士ひとり分ぐらいの空気を背負っているのに、さらに空気を背負ってしまう人がいるね、(そして誰かを責める)という話。忘れがちだから、自分自身に言い聞かせるつもりで。

そんな人たちや状態のことを、ここではエアー族と言おう。(友人とカレーを食べつつ命名)

空気を背負うことを「心配する」という。または、「気を遣う」とか「空気を読む」という。

この背負ってしまいがちな「空気」は、「期待」であることもある。

空気を背負わないで、と書いたけれど、空気を背負ってしまうのはそのひとがついつい、してしまうこと。(それは生い立ちや立場や性格、環境などいろんな理由で)なので仕方がないにしても、厄介なのは自分で空気を背負うことを選んでしているのに、「こんなに空気を背負わせやがって。申し訳なさそうにしろ」と怒るひとや「え、なんであなたは空気背負わないの?」と背中に空気を背負わせてくる人たちのことだ。

エアー族がよく使う言葉は、「心配かけさせないで」「(心配させる行動をとることが)まわりに迷惑をかけている」とか「気を遣え」とか「空気読め」「みんなも我慢してるんだから、あなたも我慢しなさい」というものがある。(海外一人旅やヒッチハイク、就職といったことに関連して、とくに)

無理やり背負わされる側は「あなたに空気を背負ってって頼んでない」、つまり「ほっといて」と思う。「そのエアーはあなたが好きで背負っているんだから、人のせいにしないで。しんどいなら降ろしてください」と。

そうやって、空気という名の重荷を背負わせてくるのだ。エアー族は「あなたも私も空気を背負っているよね。」とみんなで空気を背負い、安心したいのである。ときどき空気を背負っていないひとをみると「あいつは浮いている」「地に足がついていない」とか言って、重力をかけようとする。

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勝手にエアーを背負って何かをしたのに「あなたのためにしたのに」と、お礼を強制してくることもある。

僕の嫌いな日本語に「こんなにお世話になったら罰が当たる」というものがある。気兼ね。美徳でもあって、まあ日本らしい光景だなと思うが、気を遣い過ぎて厚意を厚意として受け取れないなんてめんどくさいな、と思ってしまう。「喜んで受け取った方がいい循環になることもあるよね」と友人は話す。してくれた相手の気持ちの本物さを信じて、素直に受け取ること。どうしてこんなに苦手な人が多いんだろう。(気持ちよく受け取るには、普段から我慢してする親切ではなくて、心からの親切をしていることも必要なんだろう。やりたいからやる、とか、見返りを求めない、という種類の。)

その空気はだれのためのものですか?誰にも頼まれていないのに、空気を背負って、しんどい思いをしていませんか。もっというと、あなたを縛っているものに、実体はありますか?わざわざフィクションをこしらえて、肩や頭にのせていませんか。

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いいんです、背負っているのが必要な荷物なら。けれど、誰のためにもならない「人を幸せにしないルール」やしてもしょうがない「過剰な遠慮や心配」なら、それはフィクションです。あなたの頭の中にしかないものに、重さなんて感じないはず。(むしろ、心配しすぎるとその心配は現実化してしまう。そして、エアー族は言うのです、「それ、みたことか」と。)

それは空気です。吸ったり吐いたりするためのものであって、読んだり背負ったりする、ましてや「させる」ものではないんじゃないでしょうか。

なんて偉そうなことを書きましたが、僕だって空気を背負ってることもあります。「誰かからの期待」だったり、友人が気持ちよく僕と過ごしてくれているか、だったり。こどもができたら、そりゃもう、背負うでしょうね。むちゃくちゃに。ただ、それに気づいて「あ、今自分は空気背負い始めてるな」と思ったら、相手と対話すればいいのです。そしたら、案外「え、べつにやってもやってくれなくてもいいのに。」とか「全然リラックスできてるよ」と言ってくれたり、「ちょっと眠くて静かにしてただけ」だったと分かることも多い。

背負ってるものが空気なのか実体のある荷物なのか確かめること。空気だと分かっても背負うと決めたなら自分で背負うこと。お願いされたわけじゃなのに、背負った空気で不機嫌にならないこと。


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