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四、開拓

市ヶ谷の高台にある復員局は、ついこの間まで陸軍士官学校だった。元軍人や引揚者に開拓入植の仕事を世話してくれる。

古ぼけた木の椅子で待つ。呼ばれて入った部屋は、煙草の煙が充満していた。

元軍人らしい中年の係官は俺を一瞥して、「まぁ、かけろ」という仕草で右手を振った。

北海道、八ヶ岳山麓、千葉の習志野、栃木の那須。係官はぼそぼそと候補地を読み上げる。

「もっと近い所はありませんか。」
係官はいかにも面倒臭そうに書類をめくる。
「あぁ、戸山ヶ原に一つあるなぁ。」
それだ!両親・姉と住む仮宿がある荻窪から近い。

「じゃあここに名前を書いて。」
呆気なく決まった。

新大久保駅と高田馬場駅の中間にある、旧陸軍の戸山ヶ原練兵場。橅や櫟が茂る、約六万坪の土地。ここに俺たち一家を含む十三世帯が入植した。

人形屋が立ち行かなくなって収入が無くなった。今度は百姓だ。両親は何度目の人生やり直しだっただろう。

父には事前に何の相談もしなかったが、「そうか」と一言言っただけで、呑み込んだ。

母は小躍りして喜んだ。
「そりゃあ良い、そりゃあ良い!」
薄くなった白髪、皺だらけの笑顔。

年頃の姉にはなるべく苦労をかけたくないが、しばらくは皆んなで頑張るしかない。さぁ、再出発だ。

十一月、一番電車でやって来た戸山ヶ原は、靄で霞んでいた。ひんやりとした空気。橅の梢の透き間から差し込む、朝の光。

少し歩いた先の科学研究所跡は、瓦礫の山だ。焼け爛れた高射砲の残骸がある。奇妙な静寂。

「戦争が終わっただのん。」
母は溜息をついたが、顔つきは明るい。まだ空に向いている高射砲の砲身を、父は佇立して凝視している。兄の行方は、まだわからない。

生活が一変した。姉が作ってくれる弁当を持って、両親と共に朝早く家を出る。初冬の空には、まだ明けの明星が輝いている。

防空壕を掘り起こし、一坪半ほどの物置小屋を建てた。これで行き帰りに重い農具を持ち運ぶ必要が無くなる。

練兵場の赤土は、訓練で人馬や車両が激しく動き回ったせいで、こちこちに固まっている。生半可な鍬では歯が立たない。

幅の広い唐鍬を打ち下ろし、一寸刻みに土を起こした。木々を目の荒い大鋸で切り倒す。深く長く張った根を掘り起こし、根株を掘った後の大穴を埋め戻す。

木枯しが吹く十二月だと言うのに、全身から汗が吹き出す。

「なーにこれぐらい、何ともないさ。」独り呟く。

零下四十度の地獄。急峻な山を越え激戦地へ向かい、行方がわからない兄。あれから四ヶ月しか経っていない。

「おーい、一服せまいか。」
母が呼んでいる。

行きも帰りも星を仰いでの、通い百姓。体に堪えた。小さくても良い、家を建てよう。

防空壕を掘り起こし、解体した。四寸角の柱、厚い板、トタン類も豊富にある。

父はこれまで、見様見真似の俄か大工で何軒もの家を建ててきた。今回も頼もしい。

何日もかけて十坪ほどの平家が出来た。荒涼とした原の薄暮に、屋根も外壁も黒塗りのトタン張りがぽつんと建っている。

「軍艦のようだのん。」
父がポツリと言った。

土くれの土間に竈を作り、卓を置いた。市場で買った茶釜や鍋釜瀬戸物類を置いたら、ずいぶん家らしくなった。さぁこれで腰を据えてやれるぞ。

入植仲間が次々にやってきた。

戸山ヶ原軍楽隊にいた元中尉。元陸軍法務官で東京帝大出とその法務官仲間。戦時中大いに戦意高揚した行進曲の作詞者。中国大陸を転戦してきた元下士官。特攻の訓練中に敗戦を迎えた十九歳。満州から引き揚げて来るはずの家族を待っている。

皆んな、慣れない鍬を振った。

皆が人生の進路を転換した。商売を始める者、コネにしがみつく者、百姓を始める者。

俺は晴耕雨読でいこうと思った。

軍国少年だった自分に嫌気が指していた。また、流されたくはない。学をつけて、しっかり自分の頭で考えよう。百姓仕事の合間を縫って、古本市で書物を漁った。宮沢賢治、小林多喜二、カール・マルクス。そこに描かれた労働者たちと自身の境遇を重ねた。

この百姓仕事、生半可な気持ちではやるまい。地にしっかりと足をつけて、一歩ずつ、一歩ずつだ。

長屋の共同便所から汚穢を汲み取る。二個の肥樽に目一杯満たしたヤツを天秤棒でヨイショと担ぐ。樽は蓋付きだが、ちょっとした調子の取り方で隙間から飛沫が飛ぶ。

肥溜めで発酵して火傷する程に熱くなった堆肥。そいつをフォークのでっかいので掻き混ぜる。中和したのを畑に撒く。赤土だった畑はすっかり黒く豊かになった。蒔いた種が小さく土を盛り上げる。次の日もう可愛い双葉が芽吹いている。

兄の公報が届いた。

「昭和二十年六月二十四日、マンダレー南方ニテ戦死」

敗戦後一年も経ってからの通知だった。
箱を開けると遺骨はなく、俗名を記した一枚の板切れが入っていた。

「こんな板切れ一枚で、誰が信用するもんかね。」
小さな顔を涙で濡らしながら母が言った。

母は、終生兄の生存を信じた。

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