番外編1 宇宙人は、健康を一番大切にしていた

 僕は、毎晩遅くまで仕事をし、家に帰ってもロボット工学の勉強に明け暮れた。

 受験のときにもしたことがないくらい、寝る間も惜しんで猛勉強をした。最初は意味不明だったものも、日を追うごとに理解できる箇所が増えてきた。

 僕は勉強の作戦を変更した。基礎的なことを学んだら、もう細かい知識は脇に置いて、最新のロボット事情に精通するようにした。新しい知識を学ぶことは、それだけでワクワクして楽しい。自分の成長もわずかだが実感することができる。

 しかし、そう簡単にうまくいくわけがない。

 通常の業務のほうに、支障をきたすことが出てきたのだ。ちょっとした仕事のミスが増えてきた。取引先に連絡を入れなかったためにトラブルになったり、書類の確認を怠ったために危うく大きな発注ミスをするところだった。

 上司の高崎部長のフォローとチャックで事なきを得たが、僕はみんなの前で怒られてしまった。もちろん、その中には渡辺さんもいたので、僕はとても恥ずかしい思いをするはめになってしまった。自分が悪いのを棚に上げて、「みんなの前で怒らないでもいいのに」と高崎部長をなじったくらいだ。

 仕事のミスの原因は、はっきりしている。睡眠不足による注意散漫だ。毎日、朝方まで勉強をしていたせいで、日中ボーッとすることが多かったのである。

 僕のモチベーションは完全になくなってしまった。最初はロケットのように爆発的に飛び出した僕のやる気は、次第に終息していき、最後にミスという爆発で吹っ飛んでしまったようだ。

 お料理ロボットをつくるということも、儚い夢だったかのように思えてくる。一度悪い流れになると、それがあらゆることに影響する。悪循環というのは、こうやって起きるものらしい。

 いくら夢があっても、モチベーションは続かない――。

 それが、僕の率直な感想だった。

 肉体的にも精神的にもクタクタになって家に帰ると、サラは怪しげな体操をしていた。小さな身体を目一杯伸ばしている。寸胴な身体にしては、驚くほど柔らかい。「骨がないんじゃないの?」と思ってしまうくらいだ。

「何……、何してるの?」

 僕は、上ずった声で尋ねた。ボロ雑巾のように疲弊していたため、声すらまともに出すことができなかった。布団に入れば、一瞬で眠りに落ちてしまいそうだ。

「あぁ、タカシ、おかえり! ちょっと身体を動かしていたのよ。これは、毎日の日課よ」

 長いことサラと一緒に暮らしているが、そのような体操をしているところを見たことがなかった。もう大抵のことには驚かないようになっていたが、身体を不気味に動かしているサラを見ると、やはりビックリしてしまう。

 サラのことはあまり気にしないようにと自分に言い聞かせながら、僕は部屋着に着替え、冷蔵庫からビールを取り出す。平日はあまり飲まないけれど、今日の僕は飲みたい気分だった。いや、飲まずにはやってられないという気持ちのほうが強かった。

 そんな僕の事情を知っているかのように、サラは体操をしながら話し出した。

「今日は、大変だったみたいだね。身体全身からネガティブオーラが溢れ出ているわよ」

 宇宙人のサラでなくても、今日の僕を見れば、何か悪いことがあったことくらいわかるだろう。

「まぁ、いろいろあるんだよ」

 いつも脳天気なサラに、僕の苦悩はわかるまい。そういう気持ちからぶっきらぼうな返答になったのだが、正直に言えば、サラに甘えたい気持ちもあった。

「大丈夫よ! ちょっとくらいミスしても、やる気さえあれば挽回できるんだから」

「ちょっとくらいって……」

「大丈夫、大丈夫! 毎日タカシが頑張っているのはわかっているから!」

「何がわかるって言うのさ!」

 サラに「大丈夫」と言ってもらえて、本当はとても嬉しかった。頑張っていることを認めてもらえて、思わず涙をこぼしそうにもなった。でも、僕はなぜかあまのじゃくな反応をしていた。そんな僕にはおかまいなしに、サラは話を続ける。

「あらら、随分とモチベーションが下がっちゃっているわね。それはダメよ! 本当にダメよ!」

 ダメなことは僕にもわかっていた。だからと言って、何をどうすればいいのか、まったくわからない。悪循環から抜け出す力が、僕には残されていない。最後の力を振り絞るようにして、僕はサラに聞いてみた。

「ど、どうすれば、モ、モチベーションが上がるのだろうか?」

 サラは両手を上に挙げて、身体を前に倒した。屈伸をしているようなのだが、素のままでいるサラの三頭身の身体では、ただ変な姿で丸まっているだけに見える。そう、まるでダンゴムシのように。

 そんな格好をしているサラが、僕の質問にそっくりそのまま質問で返してきた。

「ねぇ、タカシ! モチベーションを維持するために、一番大切なことって何だと思う?」

「やっぱり夢や目標を持つこと?」

「ちょっと違うわね。それがないとそもそもモチベーションは沸いてこないけど、それを維持するには、別のものが必要なのよ」

 夢や目標があっても、それが一朝一夕でどうにかなるものではない。ずっとモチベーションを維持することほど難しいことはない。昨日のモチベーションは、今日には跡形もなく消え去っていることもある。悪いことが起きれば、永遠に姿を現さないかもしれない。僕は素直にサラに聞いてみた。

「別のものって何? どうすればいいの?」

「タカシはどうすればいいと思うわけ?」

 またもやサラは僕と同じ質問を返してきた。ちょっとイラッとしたが、僕に考えさせようとしているのかもしれない。疲れた頭で、僕は思考を巡らす。

 モチベーションを維持する方法――。それは毎日、自分を奮い立たせる工夫をすることだろうか。書店に行けば、その方法が書かれた本がたくさんあるだろう。アファメーションをしたり、日記を書いたりするのも有効かもしれない。

 僕の心の内を覗き見たサラは、変な体勢のまま大きく首を振った。

「いえいえ、そういったことも大事だけど、もっと根本的なことがあるわよ。じれったいので答えを言っちゃうけど、まずは寝ることよ。寝ること!」

「は? 寝ること……?」

「めちゃ当然よ。しっかりと睡眠を取らないと、モチベーションなんて絶対に続かないんだから!」

「寝れば……、寝ればモチベーションが続くってこと?」

「そうよ……。いや、寝ることでモチベーションが続くというよりも、寝ないと絶対にモチベーションが続かないってことかしら。モチベーション維持の大前提みたいなものね」

 確かにそうかもしれない。身体に鞭打って頑張っても、今の僕のように、いずれ燃料が尽きてしまう。短期決戦ならばそれでも気力で乗り越えられるだろうが、長期決戦の場合はそうはいかない。「腹が減っては戦はできぬ」と言うが、睡眠不足でも戦はできそうにない。

「それは身を持って実感したよ」

「ちゃんと寝ていれば、そんな些細なミスは起きなかったかもしれないわね」

 サラは何もかもお見通しなのだ。

「もうおわかりね。モチベーションを維持するのに一番大切なものは、睡眠も含まて、ズバリ健康よ!」

 僕は虚を突かれた。確かに健康は大切だけど、モチベーションにとって一番とは思っていなかったからだ。

「いい、タカシ! 健康じゃないと、何もできないのよ! 例えば、風邪を引いたら、会社を休んで家で寝ているしかない。もし頭が痛くなってしまったら、何も手に付かないんじゃないかしら?」

「た、確かにそうかもしれない……」

 僕は花粉症を患っていた。春先は、いつも鼻水と目のかゆみに悩まされていた。昔は大好きだった春が、今ではすっかり嫌いになってしまった。花粉症が発症してしまうと、頭がボーッとして何もやる気が起きない。身体が健康でなければ、いくら夢や目標を持ったところで、持続できないだろう。

 サラの話に納得した僕は、あれほど疲れていたはずなのに、そのことを忘れてサラの話にのめり込んでいた。

「健康な身体でいると、自然とモチベーションが湧いてくるものよ。身体の健康は、心の健康と連動しているからね!」

 サラは、満足そうな顔をしていた。ただサラは後ろ向きに屈伸しているので、僕から見ると顔が逆さまに見える。それなのに得意顔をしているサラを見て、僕は思わず吹き出しそうになった。

「ワレワレの宇宙船には、医師という専門家は同乗していないのよ」

 サラが何の話を始めたのか僕にはわからなかったが、とりあえずあいづちを打っておく。

「そ、そうなの?」

「簡単な知識なら、乗組員全員が身につけているけど、いわゆる医師ってわけじゃない。基本的に、自分で自分の健康管理をするのよ」

「大きな病気をしたらどうするのさ?」

「いい質問ね。ちょっとした病気なら自分で診て、自分で薬を処方するんだけど、手術が必要なくらい大きな病気になったら、他の誰かが手助けしてくれる」

「でも、医師じゃないんでしょ?」

「当然よ。医師じゃないし、経験もほとんどないから、まるで博打みたいなものね」

 自分の身体にメスを入れているのがずぶの素人だったら、僕は怖くて仕方がないだろう。クラリス人は、その辺が鈍感なんだろうか。

「怖くないの?」

「とっても怖いわよ。だから、滅多なことがないと手術なんてしません。盲腸や腹膜炎といった緊急時くらいなものよ」

「えっ、クラリス人にも盲腸があるの?」

「普通にあるわよ! 何言ってんの、ワレワレの身体は、アナタたち地球人とそれほど大差ないわよ」

 サラはそんなことを言うが、僕には信じられなかった。外見からすると、大きく異なるように見えるけど、身体の中身は同じなのだろうか。

「そんなわけで、健康管理が重要になってくるわけ。大きな病気になりたくないからね。それに、健康で長生きしなければ、ワレワレは滅んじゃうしね。ワレワレに課せられた任務、すなわち子孫を残して地球に辿り着くためには、健康で長生きしなくちゃいけない。途中で死んじゃったら元も子もないから。それはクラリス星であっても、宇宙船の中であっても同じこと。子孫繁栄は、ワレワレクラリス人にとってもっとも重要な問題よ。地球人もそうじゃないのかしら?」

「それは、そうだけど……」

 間違いなく子孫繁栄は重要なことだ。しかし、この現代社会で、どのくらいの人がその重要性を認識しているだろうか。少なくとも僕はこれまで一度も考えたことがなかった。

 子孫繁栄の話は別にして、僕は健康がいかに重要であるかが少しずつわかってきた。サラの話が(僕にとっては)非現実的すぎるため、うまく自分のことに落とし込むことができなかったが……。

 そんな僕の思いを察知するかのように、サラはさらに話を進めていった。

「宇宙船の中での話をもう少ししようかしら。タカシが思っているように、宇宙船の中での暮らしは、確かに退屈かもしれない。同じような毎日の繰り返しだし、新しい刺激が少ないのも事実。でもね、タカシ! それは自分次第でもあるのよ。工夫と創造次第では、宇宙船の中であっても、好奇心旺盛に、そして意欲的に暮らしていくことは可能なのよ。アインシュタインだって、ほとんど研究室に閉じこもっていたって言うじゃない?」

 サラの口から、またアインシュタインの名前が出てきた。よっぽど気に入ったのだろう。“地球人”という枠でくくられると、アインシュタインも僕も同じというのが、少しうれしかった。

「この前、本で読んだけど、アインシュタインは自分の研究室に閉じこもって、研究に没頭していたそうじゃない。それでも、当時の地球人にとっては画期的な科学的業績を数多く残した。それはワレワレにとっても同じことよ! 限られた空間でも、思考は自由なのよね。頭の中の世界は、この宇宙と同じように壮大に広がっているのよ! そのための最低条件として、ワレワレは健康でなきゃいけない!」

「つ、つまり、健康でなければ、新しい発想が生まれないってこと?」

「めちゃ当然よ! せっかく頑張ろうと思っても、健康じゃないとすぐに頑張ろうって気持ちがなくなっちゃうし、新しいアイデアなんて絶対に浮かんでこない!」

「確かにそうかもしれない」と僕は思った。健康な身体に生まれたことに感謝の気持ちも芽生えてきた。

 サラの話はまだまだ続く。

「そもそも、ワレワレの平均寿命が200歳なのは、なぜだと思う?」

「え? 200年も生きられるの?」

「もう! 前にそう言ったじゃない!」

 僕はサラが60歳だと言っていたのは覚えていたが、平均寿命のことはすっかり忘れていた。

「やっぱり健康に気を付けている……から?」

「それもあるわ。でもね、アナタたち地球人がいくら健康に気をつけていても、200年も生きられないわよね。ワレワレクラリス人もアナタたち地球人も、基本的な身体の構造は同じなのに、ね」

 地球人とクラリス人は、根本的な何かが違うのではないだろうかと僕は思ったが、それが何かがわからないので、何も言い返すことができなかった。

「ワレワレの文明では、医学も発達している。だから寿命も延びてきた。でもね、タカシ、どんなに医学が発達しても、万能ということはないのよ! 当然だけど、人は必ず死んじゃう! 生あるものには、必ず死が訪れるのよ! 科学の力を持ってしても、決して不老不死にはなれない! 地球人も同じだけど、ワレワレの脳細胞は、だいたい200年が寿命と言われている」

「え? 脳細胞の寿命は200年! そんなに長かったの?」

「当然よ。もちろん個人差はあるけどね。だから、どんなに医学が発達しても、300年も400年も生きることは絶対に不可能なの! 結局、ワレワレもアナタたちも限られた命で、懸命に生きなければいけないってことよ!」

「そのためにも、健康でなければいけない、と言いたいんだろ?」

「めちゃ当然よ!」

「そ、それで、その変な体操をしているの?」

「そうよ。身体を動かして、よく寝る。それがもっとも大切なこと。あと、食事もしっかり採らないとダメ! 今日のタカシは、ほとんど何も食べてないんじゃない? そんなことでは身体に悪影響しかないわよ!」

 そう言われて、僕はまともに食事をしていなかったことに気づいた。焦燥しきっていた僕は、食べることすら忘れていたのだ。

「そういうわけなので、ワタシはもう寝るわ。タカシも早く寝なさい。すべては寝ることから始まるんだから!」

 サラはそう言って、さっさと眠りについてしまった。さっきまで変な格好で熱く語っていたと思ったら、もう寝息を立てている。なんという切り替えの早さだろうか。

 その場に取り残された僕は、とりあえず取り出したままになっていた缶ビールを空けた。ゴクッと一口飲んでから、何か食べるものがないか探すため、冷蔵庫の中を覗いてみた。一人暮らしの男の冷蔵庫には、食べられるものは何一つなかった。

 僕は棚の奥にしまってあったカップラーメンを取り出した。やかんに水を入れ、お湯を沸かす。僕は台所に立ったまま、「何も食べないよりはましだろう。明日からはちゃんとしたものを食べないとな」と誓ったが、もう上のまぶたと下のまぶたがくっつきそうなくらい眠たかった。

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