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開業から終戦、そして再開

 札幌中央区宮の森の記念写真館 森田耀峰写眞場の店主です。この時代に、どうして写真館を営んでいるかと申しますと、、、祖父が昭和4年 (1929年) にさっぽろススキノの南6条西4丁目1番地で写真館 森田スタジオを開業したからなのです。その3

 26才で現在のすすきのゼロ番地の向かい側、南6条西4丁目1番地に開業した祖父 森田清次郎 (後の耀峰) は、翌年には早くも北海道帝国大学の指定写真館となったと記録に残っています。

 また、いまとは貨幣価値が違いますので、ちょっと想像つきませんが、当時、昭和10年から昭和15年頃には1ヶ月凡そ1,000円位の売上げでしたが、1年間1万円を目標に営業したそうです。

 写真材科の調達は、昭和6年に写真が好きで写真材料商になったソヤマさんと開業と同時に取引するようになりましたが、材料を多量に持ち込んで来ては市内配達など、 森田写真場から届けるのが常だったようです。ゆえに6畳間の床板が落ちたこともあったと聞いています。

 戦時中は国の方針に従って積極的に社会奉仕に努めたらしですが、終戦に際し感じるところあって、盛業中の写真館を閉じ静岡県志太郡西釜津村(現在の藤枝市)に隠棲してしまったそうです。その時代の清次郎の名刺が残っていますが、なぜか電気会社の社長の肩書きになっています。笑 清次郎、時に42才。

 昭和25年、母の死去に際し再び札幌に帰り、名前を耀峰と改め、昭和30年、札幌市南4条西15丁目1317番地に森田曜峰写真場として写真スタジオを再開し、婚礼やお見合い写真を多く手がけました。

 上の写真は、市電西線の電車通りにあったかつての森田耀峰写眞場です。砂利道と電車車線路が見てとれます。看板には「御婚禮 お見合の寫眞」とあります。今とは隔世の感がありますね。
 また、向かって左側が母屋で、右側が写真スタジオでした。母屋とスタジオは繋がっていて、いつもお弟子さん達がにぎやかにしていたのを懐かしく覚えています。



つづく

思い出を記録する写真館
100年写真館の家族写真 札幌 森田耀峰写眞場



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