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参加するから、酸化しない~渋谷らくご 7月11日 19時回~

「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことでもある。

中島らも

 ジョナサン・ウォルドマンの『錆と人間: ビール缶から戦艦まで』を読んでいる。錆が人類に与える影響は凄まじく、下手をするとウイルスよりも恐ろしい存在だと思い知らされる本である。カバーも凝っていて、『錆好き』な人間にとってはたまらない(そんな人間がいるか分からないが)。
 そんな本を読んでいると、私という一人の人間は、地球という惑星の参加者でもあり、酸化者でもあるのだな、などと冗談を思いつく。誰に言うわけでも無いが、参加と酸化の音が似ているのは産科の人間に助けられ、神の傘下に存在する三課の人間にとっては賛歌ではないだろうかと、思いまさんか。
 冗談はさておき、ずいぶんと錆びついたような気のする心に5-56を吹きかける。より滑らかにするためにはインプットだけではなくアウトプットが必要である。芋を食えば屁が出るのと同じで、何かを学べば、何かに活かしたいという気持ちが湧きおこる。もはや生理現象と言っても良いだろう。
 下痢みたいな文章であれ、軟便であれ硬便であれ、何か出さなければこのままでは便秘になってしまう。いっそ、高級車に乗って便通を良くしたいが、あいにく都会は駐車料金が港区女子のプライド並みに高いので所有はしておらず、友情・努力・勝利を感じさせてくれる雑誌と同じくらいの安い電車賃を支払って移動している。
 何かに参加し続けている限り、というか、好奇心を持ち続けている限り心は錆びない。心を酸化させて錆びつかせてしまうのは、何か新しいことに挑戦していないか、そもそも好奇心が無いかのどちらかである。
 そういう意味では、どんな災難に見舞われようとも、私は好奇心を頼りに今を生きている。心が筋斗雲に乗っている感じと言えば良いだろうか。ある人は「坂を転がり落ちているだけだろう」と言うだろう。
 それもいい。転がる岩のように人生を生きていこうじゃないか。

 立川談洲『大工調べ』
 さきほど、大工調べと打ったら『第九調べ』と出てきて、途端に私の頭の中でフロイデン~♪が流れたのだが、残念ながら大工である。
 談洲さんの大工調べは、なんと言ってもリズムが驚きだった。
 読者の中にいるか分からないが、私はYoutubeの動画を2倍速で見ている。いつから始めたか分からないが、2倍速でも容易に情報を処理できるので、いつも動画を再生するときは2倍速の設定である。このおかげで、以前、ゲームセンターでQuizKnock STADIUMというものをやったときに、問題が倍速で読み上げられる設定のクイズモードがあるのだが、一発で意味を把握することができ、CPUが回答に16秒を要するところ、およそ5秒ほどで回答できるという嬉しい能力を身に付けた。(ちなみに、森野はゲームセンターに行くと、クイズ系かメダル落とし系しかやらない)
 それはさておき、談洲さんのリズムは体感で1.5倍速だった。何か仕掛けがあるのかと思いきや、そのままのリズムだったので驚いた。もちろん、私だけがそう感じたのかもしれないが。
 後半に立川流らしいアレンジもあって面白かった。

 お次の鯉昇師匠は、「そんなことありえるのか!?」と思えるような状況を、語りだからこそ成せる豪快さで見事に想像させてくれる。
 老齢になればなるほど、現実を独自の解釈で捉えなおしている人が多く、それが正しいか間違っているかは別にして、単純に面白いのである。やはり老齢になるにつれて、自己の哲学、「俺には世界がこんなふうに見えているんだ!」という考えを持った人間は面白い。みうらじゅん然り、山田五郎然り、良い年の重ね方とは、自己の哲学の形成にあるような気がする。
 思えば、落語こそ、名も知れぬ誰かの創作である。それが、今日まで生きながらえているのは、そこに不変の哲学があるからではないだろうか。そう考えると、私も負けてはいられない。物語にせよ何にせよ、自己の哲学の形成に向けて動かねばならぬのではないか。と勢い勇んで見るものの、すでにそれは開始されていたのだと振り返って気づく。
 話が脱線した。独自の解釈を存分に発揮した鯉昇師匠こそ、正に誰もが目指すべき、哲学者なのかもしれない(大げさにとらえすぎだろうか)

 小八師匠は相変わらずのけだるさと、独特の雰囲気。ちょっとカメレオンっぽいというか、爬虫類っぽさを感じるのは私だけだろうか。普段はのんびりしている蛇やカメレオンだが、餌が目のまえにあると目にもとまらぬ速さで舌を出す。そんな雰囲気を小八師匠に感じる。
 そして、これも私の勝手な考えであり、例えが適切であるとか無いとか抜きにして、小八師匠の高座には稀に喜多八師匠が降臨するときがある。大川隆法もびっくりの、喜多八モードがあるのだ。
 忘れもしない立川左談次師匠の妾馬の後で、小八師匠は『らくだ』をやった。その時の喜多八モードが今でも忘れられない。あんなにけだるそうにしていた小八師匠が、徹頭徹尾、凄まじい語りでらくだを披露した。
 肝心の『お見立て』はというと、喜多八モードはなく、小八師匠のらしさの光る面白い一席だった。

 トリを飾る古今亭文菊師匠は、夏の暑さにぴったりな『質屋庫』。
 前日に鈴本演芸場でのトリ興行を終えており、どんな演目をやるのだろうか気になっていた私にとって、文菊師匠が楽しんでいる様子が伝わってきてうれしかった。
 思えば、19時から21時までの回である。聞く方もかなり疲れている。できる限り脳みそを使いたくないという雰囲気が客席にいても伝わってくるような気がして、そこに文菊師匠の絶妙な語りのリズムがあり、非常に心の落ち着く時間だった。
 鈴本演芸場のトリ興行ともなれば、客席はかなり前のめりで見に来ている。それが渋谷らくごでは、「とりあえず、最初の落語体験として参加してみようか」というお客様が多いように思える。そのような客層の違いの中で、もちろん一席一席、集中して高座を務めているとは思うのだが、文菊師匠のリラックスした、肩の力の抜けた『質屋庫』を堪能することができたのは幸運だった。
 高座に立ち続ける。開かれる会に参加し続ける。磨き続ければ、錆びつくことはない。
 ユーロスペースをひとたび出て見れば、錆びついたビルに、錆びない欲望を持った男女が消えていく。
 今日もどこかでRust Destroyerが放たれて、錆は消えていくのだろう。
 と、書きたいだけの本記事でした。

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