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皆と私が私に出した、第一の結論 (04/10)

私は、もう自分が当事者であることを知ったから、声をあげると決めた。

勉強を怠らず、感謝の気持ちを忘れず、他人に押し付けず。

情報がないなら手に入れる。場所がないなら作る。人がいないなら相談する。

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私は幼少期の、大人の保護下にあった間に、

たった一つ、「正しく理解してもらえなかった」という

それだけの理由で、「歪んで」しまった。

言葉の意味以上に、相当に複雑で、深く。


でも私は、私であるが故に、逃げられない。

暴れられない。泣き叫べない。死ねない。

「自分を傷つけちゃいけない」

「他人を傷つけちゃいけない」

「迷惑をかけないように」

「自殺をしてはいけない」

そういう、周囲の正しい言葉と

「陰口を言ってはいけない」

「他人を悪く言ってはいけない」

「自分を卑下した言い方をするものではない」

そういう、道徳の教科書のような言葉。

そして、自分の発達障害という特性。


私の中にある発達障害という特性が、

正しくそこにあるものとして理解されないまま、

「普通」なものとして扱われ続け、

そういう言葉と期待をかけられ続けた。

実際にはそうではないのに。

結果、発達障害の、特にアスペルガー症候群の

「決まりから逸脱できない」という特性によって

みんなの「理想」なのか「普通」なのか分からないけれど

そういうものが、私の中に絶対化されてしまった。


自覚していても、逃げられないものたち。

守るのなんて現実的には難しいよね なんて、

折り合いをつけることもできない。

そういう風に、私は育ってしまった。


でも私は、誰のことも恨めない。

「他人に対して悪い感情を持ってはいけない」という風にも

教えられてしまったからだ。


自分のことも傷つけられず、他人のことも傷つけられず、

自他の価値観の相違によって、他人に感じる否定的な気持ちもあってはならず、……

そうして溜まったストレスがどのようなものか、

皆様にはご理解いただけるだろうか。


知ってしまった。

私は自分のことを、「自分の余裕のなさ故に皆様に迷惑をかける存在」で、「容易に他人を傷つける存在」だと思っていた。

でも実際にはそうではないと、皆様は思うらしい。

その評価の違いと、裏に隠れた自身を殺すに容易い要因を、

つい最近、本当の意味で知ってしまったのだ。


これからのことに不安はあるけれど、

色々、悩んでみようと思う。


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私は、もう自分が当事者であることを知ったから、声をあげると決めた。

勉強を怠らず、感謝の気持ちを忘れず、他人に押し付けず。

情報がないなら手に入れる。場所がないなら作る。人がいないなら相談する。


前からいつだってそうだったけれど、またそうやって、決めたのだ。

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