わたし

「どうして今まで、知ることができなかったのだろう」


小学生の頃、「睨まれているようで嫌だ」と泣かれた。

みんなの前で、大声で悪口を言われた。

私が発表した後は必ず、誰かにくすくすと笑われた。

誕生日でもらった級友からの手紙に、

「私、あなたに何かした……?」と書かれた。

学校で体温が38度以上まで上がり、早退し帰宅すると 一気に36度台まで下がるようなことが多かった。

「浮いている」という、漠然とした自覚があった。


中学生の頃、悪い意味を持つ言葉を見て 意味が分からず先生に聞き、

ぼやかして教えてくれた先生の真意を読み取れず、大声でその言葉を使ってしまった。

その時隣で言葉の意味を一緒に聞きに行ってくれた友達も、その事件を境に離れていった。

中学生の頃、級友からも先生からも「自意識過剰だ」「被害妄想が激しい」と言われた。

「浮いている」という、漠然とした自覚があった。


高校生の頃、文化祭の準備中、悪口や陰口を言われるようになった。

わざと仲間はずれをされるようになった。

私が発言すると必ず、静まり返って、変な空気になった。

私の机を誰かが運ぶ時、わざと音を立てて引きずり、蹴り上げた。

改善しなければいけないと思った現状について仲間に話をしたら、

「悪いのはあなただ」とぽつり言われて、立ち去られてしまった。

「浮いている」という、漠然とした自覚があった。


ほかにも色々あるけれど、どれも結局 どうして なのかが分からなかった。

対処法を教えてもらえたものもあったが、うまく実行できなかった。

きっと周りにとってはとても不愉快で、理解しがたいことばかりをしてしまっていたのだろうと思う。

周りがこれだけネガティブな反応を返しているのだから、きっとそうなのだろう。

でも、どう直せばよくて、どういけないのかが、まったくわからないのだ。


自分のなかでは当たり前のことが、周りにとっては ただ「受け入れられない」「非難されるべき」ものなのだという 現実のみを感じ取る日々。

「浮いている」という、漠然とした自覚があった。


でもその自覚と向き合い続けていても、 どうして なのかを

自分では どうしても見出せない。

かといって教えてもらえるわけでもなく、変えられるわけでもなく、

ただ心をすり減らしてしまうだけだったので、

早いうちに、向き合い続けることをやめた。


ただ、「私が悪いのだ」という明確なものを残して。

何かあると必ず、その 明確さ を自分に返すようにして。


その明確さが生み出したのは、

「みんなと同じかたちに見えるように 自らを取り繕わなければ」という

年中無休の不明瞭な焦りであった。



でも、今ならわかる。

実際周りには 被害妄想 であり 自意識過剰 であった、あらゆる方面への「過敏さ」は、

発達障害(特にアスペルガー症候群)に起因するものが、非常に多かったのだ。


実際、発達障害の診断を受けた後になって、自らの感覚過敏に気づいている。

大きな声やざわめき、怒鳴り声といったものや、明るさについて、

他人より非常に 大きく 受け取っていることが判明したのだ。


つまり今までの「過敏さ」は、

騒がしい音への対処や、授業への理解等に精一杯で、自らの脳の少ないリソースを限界以上に使っていた結果からくるものであり、

曖昧なニュアンスが理解できないことや、言葉を言われた通りに理解する特性からくるものであり、

誰も「知らなかったこと」が起こしたものでもあるのだった。


どうして今まで、自らの特性を 知ることができなかったのだろう。

どうして今まで、誰も悪くないことなのだと 知ることができなかったのだろう。

どうして今まで、自分を楽にする方法を 知ることができなかったのだろう。


誰が悪いということではないからこそ、誰のことも責められないからこそ、

今となっては、もう遅すぎて、重すぎる言葉たちだ。

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