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心地よい接客で薄まっていくもの

親切、丁寧な接客を受けての買い物は心地が良い。しかし持ち帰った洋服の物質的な良し悪しと接客の心地よさとの間には一切の関係が無い。物は物であり入手にまつわるストーリーは付加価値だ。あなたは手元にあるお気に入りの洋服を前にして、ただ物として好きなのか、周辺のストーリーが好きなのか、考えたことはあるだろうか?

若くてお金が無い時に、何とか捻出したお金で買った物が後年に経済的に余裕を持って買った物よりも思い入れが強いということがある。この思い入れの原材料には、物としての魅力とは別に、当時おかれていた状況を美化した物(お金が無いのに頑張って買った)が含まれている。

このようにあまり意識することない自分自身の状況でさえも物と向き合う純粋な視線を遮ることがある。

そして物と向き合う視線を遮る物はあらゆるところに存在する。

その代表格がブランドやブランディングである。彼らは実際にあったストーリーをありのままに、時には湾曲させて伝えることで心を揺さぶってくる。捏造することだってある。

ブランドも販売店も接客してくれた販売員もあなたに良いサービスを提供するために努力をしている。しかしその親切心が自分の心を大きく惑わす。他人が自分のために親身になって考えてくれたことは、自分のことを思ってくれる他人の考えでしかない。どこかで聞いたことあるような言葉を添えて強調する。そこにあなたの考えは無い。

自分の買い物に親切に向き合ってくれる人に不信感を抱く必要は無い。しかし手にした物と最終的に向き合うのは自分である。物としっかりと向き合いたいならこういった事実をしっかりと受け止め、物と周辺のストーリーを切り離して考えないと本当に好きな物には辿り着けない。

物に、たかが服に、真摯に向き合っていると真顔で言われたら変態的で気持ちの悪い印象を与えてしまうかもしれない。しかし深く自分を理解しようとする行為を他人に否定される筋合いなどない。

己を知ることは人生を確実に豊かにする。


少し脱線したが最後に自分が好きな物を判断する簡単な方法を一つ記す。

目の前にある物を本当に自分が好きかどうか判断するには、同じ物を自分の嫌いな人間から勧められて購入することを想像すればよい。最悪な環境で最悪な人間から最悪な接客をうけてでも買って持ち帰りたい物ならば、それは自分の手元で永遠に輝き続けるはずだ。

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