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大学院を中退してニートになってみた

僕は2020年3月に大学院を中退し
親のスネをかじるニートになりました。

それから約1年が経とうとしているので
これまでの人生なども振り返りつつ

・そもそも僕が何者なのか
・なぜ大学院を中退したのか
・中退してから何をしていたのか
・1年間を振り返ってどういう気持ちか
・今後どうするのか

といったことを書こうと思います。


そもそも僕が何者なのか

東京都出身 無職 24歳
2020年3月まで
スポーツ科学を専攻する大学院生
現在は親のスネをかじりながら
家庭教師のアルバイトをしている。

以上が社会的な立場としての自分です。
以降は生い立ち等の話。

三人兄弟の末っ子
小学生の頃からサッカーに明け暮れる。
幼少期はクレヨンしんちゃんが大好きな
クラスに一人はいるお調子者。
勉強については
3段階評価の「できる」ばかりで
可もなく不可もなく。

中学生になるとクラスの中心にいるよりは
中心にいる子の周りにいる子になる。
サッカー部に入って楽しく過ごすも
今振り返ると、いじめが多い学校で
周りをうかがいながら過ごした気がする。
この頃からサッカーをやるよりも
観たり知ったりすることの楽しみを知り
将来はサッカーの指導者になりたいと思った。

高校受験はそこそこ勉強して
無事、第一志望の高校に入学。
サッカーを続けようかとも思ったが
様々な気持ちが絡み合った結果
部活には入らず、小学生の頃に出会った
フリースタイルフットボールをやり始めた
(リフティングの技やるやつ)。
将来の夢が決まっていたので、
かなり早い段階で志望大学が決まる。
以降、高校は青春を捨てて勉強しまくる。

無事、第一志望の大学に入学。
フットサルサークルに入り
最初の方は飲み会とか合宿とか
積極的に参加していたものの、
一年生の夏休みに入ってから
大学まで行くのが面倒になり(電車+バス通学)
徐々にフェードアウトし、辞めていた。
おかげで大学では完全にぼっちになり
中高でお世話になっていた塾でのバイトが
心の拠り所(?)になっていた。

大学2,3年の頃からぼんやりと将来を考え
その中で指導者の夢を諦めるようになり
大学院進学or就職で迷う。
指導者という夢は諦めたものの
指導者の持つ考えや哲学に興味があったことや
大学院ってなんかカッコいい
などの理由で大学院進学を志す。
(後者の方が実はかなり強かったかも)

しかし、院試が書類と面接だけだったことから
周りが就活を頑張っている中で
何もしていない自分が情けなく感じる。
その空白を埋めようと片手間で就活をするも
全く上手くいかず(そりゃそう)、内定ゼロ。
プライベートもどん底に、この年は暗黒期。

紆余曲折を経て、大学院に進学。
コーチング心理学を専攻し
修士一年から論文閲読や研究活動を
けっこう積極的に頑張った。
先輩後輩だけでなく
教授にもかなり良くしてもらっていた

しかし、ふと自分に目を向けると
何か心に空白があるような気がした。

2020年3月、大学院を中退。


なぜ大学院を中退したのか

①このままではダメな気がした
②やりたいことがあった

①の理由は、まさに前章の最後の部分。

正直、うまく言葉にできないんですけど
これまでの人生を振り返って
自分の内から湧き出る思いに駆り立てられて
成し遂げたものがないと思ったんですよね。

それぞれのフェーズでは
やりたいことをやっていたつもりですけど
実はそうでもなかったような気がしていて

究極、サッカーを始めた時も
もしかしたら当時の自分は
やりたいと思わなかったかもしれない…
それぐらい自らの主体性(自主性?)を
見つめ直しました。

もちろん今はサッカーが大好きなので
結果オーライではあるんですけどね。

ただ、本当の意味での
好奇心みたいなものに耳を傾けなかった
そんな自分がいる気がしました。

どう言えばいいか分からなくて
意味不明な文章になって申し訳ないです。

失敗しても嬉しい体験

という表現が適切かもしれません。
それが僕には無かった。

居場所を見つけて落ち着くためでもなく
やり続けることが良いこととされているから
やり続けるということでもなく
誰かに励まされないとやれないことでもなく

やりたいから次もやってみること

そんな経験をしてこなかった気がします。

自分が選んできた責任じゃんって
そりゃそうなんですけど

これまでの自分のしてきたことは
「やるからには最後までやれ」
みたいな言葉を恐れた中で
やっていたことなのではないかと思い

このままではダメな気がした

と直観的に思いました。


もう一つの理由は
やりたいことがあったということ。
学部の三年生の頃から
つまり将来を考え始めた時から
なんとなくではありますが
やりたいと思っていたことがありました。

と、まあ普通なら
大学院に通いながら並行してやればいい
と思うんですけど
自分の過去の経験から

何か二つ以上のことを同時にやって
うまくいったことがなく
大抵、何かが疎かになって
めちゃくちゃ中途半端に終わる

という経験がありました。

端的に言えば要領が悪い。

したがって
何かを犠牲にして行動しないと
やりたいこともうまくいかない。

もしかしたら何かを犠牲にしても
うまくいかないかもしれないけど
それよりはうまくいく確率の
高い方を選んだというわけです。

この状況と、
先述した①の理由が相まって
中退に至るということです。

つまり、大学院が嫌だったとか
そういうことではなく
このままだとダメな気がして
やりたいことをやろうと決心した
って感じです。


中退してから何をしていたのか

ここまで読んでくださって
ありがとうございます。
これで大体3分の1ぐらいですかね。
長くて申し訳ありません。

さて、やりたかったことは何か。

一言で言えばYouTuberです。

自分は大学受験の経験から
国語の現代文が得意で好きなので
これをYouTubeでできないだろうか
と考えました。

当初は周りに話すこともなく
ただ頭の中でグルグル回っていて
やってみたら面白そうだなぁ
と思いを馳せるだけでした。

大学院に進学した頃に
どうにか形にしたいと思い始め
先に述べた思いも絡み合って
行動に移しました。

当時はYouTube上で
教育的なコンテンツとしては主に
英会話や数学の動画がありましたが
単に入試の解説をしても面白くない
と思っていたので

内容を要約した後に
そのテーマと附随した雑談をして
・人の話を聞くこと(文を読むこと)
・そこから考えが広がり深まること
の楽しさを伝えようと思いました。

入試現代文には面白いテーマが
意外と多くあってですね

なぜクジャクの羽は派手なのか
(2018年度 岡山大学)

リカちゃん人形から若者文化を見る
(2016年度 センター試験)

暴走して人を殺しまくる民族
(入試現代文へのアクセス 基本編)

とかあるんですよ。

勉強とか入試とか関係なく
話として面白いじゃないですか。

世の中にはこんな人がいる、文化がある

受験勉強の一環として学ぶから
長くて面倒で難しいと感じますが
普段、何気なく思う疑問や
思いもよらない発見などがあって
あわよくば我々の疑問に対して
筆者が答えを出してくれている
そんな文章がたくさんあるわけです。

人の話を聞く
考えが広がり深まる

ということにフォーカスすれば
これほど豊かなことはありません。

それをYouTubeでやろうと思ったわけです。


さて、構想はかなり膨らみまして
あとは具体的な内容や計画の部分。

最初から視聴者を獲得することは無理なので
視聴者が増えるまでの道筋を考えました。

具体的には

秋頃から過去問対策をする受験生が
センターの問題をYouTubeで確認したい時に
自分のチャンネルを訪れると全て揃っている
という状態にしておくといいだろうと思い
夏にセンター試験の問題を10年分撮影

そのあとは多くの受験生が使用する
入試現代文へのアクセスの問題を撮影

その後はセンターや問題集の枠に限らず
内容の面白そうな大学入試現代文を選んで
撮影しました。


しかし、
登録者数も再生数も全く伸びませんでした。

上記のこと以外にも
Twitterアカウントを作ったり
他の人のチャンネルを成長させた方法や
アカウント運営の方法などを読んで
自分なりにいろいろ考えて実践しましたが
全く功を奏することはなく
結果、12月頃に動画投稿がストップしました。

原因はいくつも考えられますが、主に
①つまらなかった
②信頼性がなかった
③もっと投稿すべきだった
というところでしょう。

解説とその後の雑談を入れると
動画の時間は大体15分ほどになります。
それだけの時間を割いてまで
観る気にならなかったのでしょう。
サムネで釣ろうにも限界がありました。

現代文の成績が上がる裏ワザ大公開!
といったコンテンツでもないので
そもそも高校生のニーズに
合致していなかったこともあるでしょう。

雑談なんてどうでもいいから
さっさと解説だけしてくれ、みたいな。

あとは教育という業界においては
圧倒的に信頼性が大事になるので
肩書きや実績が無いと戦えません。
例えば東大卒とか有名予備校出身とか。

素性もよくわからない人間の動画を
観る気にならないし
仮に観てくれたとしても
別にテストの点数が上がるわけでもない。

そこを乗り越えてでも
人気が出れば良かったんですけどね。

細かいところで言えば投稿頻度でしょうか。

とにかく動画を出しまくるということが
かなり大変でした。
最初は編集に3日かかっていました。
最後の方は慣れてきましたが。

とにかくたくさん投稿しまくる
というのもかなり大事なことなのだろうと
痛感させられました。

もっと続ければ伸びたのかもしれませんが
現状の登録者数から考えると
5年以上は耐えないといけないだろうと思い
断念することになりました。

もちろん、やり方を工夫して
再度トライすることは十分ありますが
かねてからやりたいと思っていたことは
ひとまずここで終わりですかね。


1年間を振り返って
どういう気持ちか

ポジティブなこととネガティブなこと
両方ともありました。

ポジティブなところに目を向けると
まずは、本当に楽しかったです。

めちゃくちゃ親のスネをかじりましたし
今後もかじらせていただかざるを得ないので
(謎日本語ゆるして)
申し訳ない気持ちでいっぱいですが…。


それと未知に向かっていくワクワク感ですね。

明日はうまくいくかな、次はこうしてみよう

という試行錯誤の毎日が良かったですね。

動画編集も一から始めたので
やり方を覚えていくのが嬉しくて嬉しくて。

データ吹っ飛んだり
書き出しがうまくいかなかったり
めちゃくちゃ大変なこともありましたが
今思えばあの時いろいろ試行錯誤したから
達成感とか充実感があるのかなあなんて。

やりたいことに対してなら
たとえできないことがあっても
必死に勉強したり試してみたりして
頑張ってできるようになろうと
必死になれて、前の自分よりも
ちょっとでも成長すると嬉しい。

その辺は人間、単純ですね。


そして自分の世界が深まりました。

他人との関わりがほぼ無くなったので
世界が大きく広がったとは言えませんが
今まで自分が持っていた知識
あるいは考えがより一層深まりました。

というのも、この一年は
YouTubeに専念すると決めていて
バイトもせずに過ごしたので
これまで時間がないという理由で
やってこなかった事をやってみました。

例えば、
積ん読していた本の読破や勉強です。

歴史の勉強は途中で飽きちゃいましたが
政治については気になっていた部分は
一通り勉強できました。



一方、ネガティブな変化もありました。

まずは自己効力感が低下しました。

流石に二十歳を超えているので
やり始めて半年が経ったあたりから
現実を知るわけです。

あぁ、うまくいかないなぁ
俺何もできないなぁ

と、徐々に自信がなくなっていきました。


あとは、自分が情けなくなりました。

そもそも大学院を中退したので
社会的な立場が何一つない。
文字通りニートですね。

周りで仕事を頑張っている人を
見るたびにツラい気持ちになりました。
(親が仕事に向かう姿はかなり心が痛む)


それと、卑屈な性格になりました。

僕だって人間ですから
やさぐれる気持ちも出てくるわけですよ。

他のチャンネルを観て

顔がいいからファンが集まるだけじゃん
とか
芸能界からYouTube界に来れば
そりゃすぐ登録者一万人いくわ

みたいな。

一度どこかの場でうまくいった人は
すでにいる一定数のファンなどの存在で
場所を変えてもうまくいく構造

うまくいくまではなくても
失敗が数字としてハッキリ分かるから
いろいろ試すことができる。

本当のゼロからスタートする人は
本当の意味でコツコツ地道にやらないと
人に見られることもなく散っていく。

残酷だなあ、と。

0から1を生み出すことは
こんなにも大変なことなのか…

自分が無力に思えたのと同時に
世の中はこういう構造なんだな
と思わされました。

まあ、「世の中そんなに甘くない」ことは
少し考えれば誰だって分かることですが
その言葉だけが先行して何もできずにいるより
実際に経験した世界で痛感した方が
長い目で見た時には良いんじゃないかなと。


と、ここまで振り返って思ったのは

10代のうちに経験すべきなのでは

ということ。

これはポジティブ、ネガティブ両方に
共通して言えることです。

まず、楽しいと思えることは
何歳だろうと価値あることのはずです。

10代の時期にそれを獲得できれば
しかもそれが自らの意志のもとで
やりたいと思っていたものであれば
純粋に喜びを噛み締められるでしょう。


ワクワク感はまさに10代だからこそ
目一杯感じられるものです。
大人になるにしたがって
ワクワク感は減っていきますから(悲)

そのワクワク感は
さらに次への活力を生みます。

10代の持つエネルギーって
もっと発揮されていいと思うんです。

学校だけで収まることのない
未知のエネルギーがあるはずで
それは勉強や部活やボランティア…
そういう形式にはまらずに
もっと発揮されるべきだと思うんです。

もちろん僕が空いた時間にやった勉強も
10代のうちにやっておくべきことの一つ。

でも、それは学びたいと思って学ぶもの。

ふとニュースを見たときに
政治のことが気になれば政治を
スポーツのことが気になればスポーツを
科学技術のことが気になれば科学技術を。

10代だからこそ堪能できる
楽しさやワクワク感、活力を
もっともっと発揮できるような
世の中であっていいと思うんです。

20代でニートになった僕でさえ
やりたいことをやっているときは
本当に夢中になれましたから。


そして、ネガティブな経験も
10代のうちに経験するといいでしょう。

10代なら失敗しても取り返せるし
失敗してもニートにならずに済む。

失敗して自己効力感が低くなるのも
それも人間であれば当然起こること。

卑屈になって、ときに他人に嫉妬したり
うらやましくなったり悔やんだり
それも人間であれば経験すること。

悲しきかな、人間には自我があって
誰しも一度は自分を他人と比較して
自分の存在を問うようになる。

そんな時間も10代であれば
2年3年4年、もしかしたら10年は
猶予が与えられる。

20代にもなると自我を問うてる時間も
刻一刻と削られますから(心も体も)。


語り始めたらキリがありませんが

やりたいことをやって得られる経験は
うまくいこうがいくまいが
本当に価値あることだと思いました。

それが一番言いたいことです。


今後どうするのか

何にも決まってないです。

ひとまず家庭教師のバイトを続けます。

個人的な夢として
中学生や高校生と共に
対話をする場を作りたいと思っています。

中高生って人生を少し経験してきてるけど
まだわからないことがあって
ちょうど自分の世界が広がり始める年代。

そんな子たちと互いに耳を傾けあって
考えや思いを広げ深める。

理想は、
子どもたちが話し合っているのを
大人たちがそばでじっと聞いていて
ふとしたタイミングで
違う角度からの疑問を投げかけたり
時に考えるヒントのようなものを与える。

池上彰じゃないですけど
「いい質問ですねぇ」みたいな感じで。

「じゃあ、こういう時はどうだろう」
「それって本当なのかな」とか。

あるいは
「今、君の言ったことは○○という言葉で
表されることの多い考え方でね…」
「でも、最近はそれとは違う〇〇という
言葉も生まれているんだ、君はどう思う?」
みたいな。

もちろん子どもの方から
大人たちに教えることがあっていいし
大人たち自身にも常に主体的に
対話に参加する姿勢があるとなおいいです。

でも、基本的には子どもたちが
より人生や世界に対して開放的になること
それを大人たちと積み上げていく場。

その場にいる大人は
その分野の専門家がいいとは限らない。
共に学びが深まる点で
大学生もいいかもしれない。
サラリーマンもいいかもしれない。
主婦もいいかもしれない。

とにかく10代の話しているところを
じっと見守りながら耳を傾けて
ときに広げ深めてくれる人、年長者。

大人が教えようとしない。
あくまで10代が主役の場。

そんな場所を作りたいなあって思っています。


ただ、今は実家暮らしでなんとかなっても
いつか自立するタイミングが来たときに
それだけでは生きていけない。

どうしましょ。

ただ、やりたいことだけでは
生きていけないという現実が目の前にある。

幸い僕は実家暮らしなので
路頭に迷うことなく生きられています。

しかし、これが例えば地方から上京して
一人で暮らしているような人であれば
否が応でもどこかの企業に
就職しなければならない。

どんなにやりたいことがあっても
生きていくことが必要条件ですから。
住む場所を確保するための家賃
食費や光熱費、現代はネット回線も不可欠…
そのためには安定してお金が必要。

やりたいことなんか大学生のうちに
やっておくものだろ

そりゃそうなんですけど
見つからない人もいる。
見つかっていても大学が忙しくて
できない人もいる。

もちろん暇な大学生は多いですが
みんながみんなそうではない。
バイトしなきゃいけない人もいる。

やりたいことでお金を稼げばいい
と言う人もいるかもしれませんが
お金を稼ぐのが得意な人もいれば
苦手な人もいるのが現実。

もちろん、それも
勉強してこなかったお前の自己責任だ
といった主張があるでしょう。

確かに、貧乏でも必死に勉強して
特待生で学費免除になって
勉強でもスポーツでも生きていけて
その中で芸能界を志すようになって
そこで戦うためのトーク力を磨くために
六本木?銀座?で毎日のように
芸人さんの集まる場所に行って
ボイスレコーダーで録音して
暗唱できるぐらいに研究して
今ではテレビで大人気の
武井壮さんのような人がいますから
何も言い返せないんですけど

みんながみんなそうではない。

嫌でも必死に働いて税金納めて
年金払ってる人もいるんだぞ
やりたくないことでもやれ


はい。その通りです。
おっしゃる通りです。

何も言い返せません。


でも、親のスネをかじりながらですが
やりたいことを一年間やってみた僕は
やりたいことをやる
その尊さを感じたんです。

やりたいことがあっても
それぞれ何かしらの事情があって
行動に移せない人が
たくさんいると思います。

1年、2年あるいは3年は
お金も何も気にせず
やりたいことに打ち込む

特に10代、高校卒業直後
なかなか見つからないのであれば
大学卒業後もいいかもしれない。

そういう期間が
人生のどこかで設けられても
いい気がしました。

なかなかそんな贅沢な社会は
当分かないそうにないですかね…



さて、自分に目を向けて…


これからどうしよう…。


バイトの家庭教師含め
今できることから見つめ直します。

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