【解説】これを読めば大河ドラマも戦国時代も更に好きになる!花押の世界
みなさんは「花押」、読めますか?
押し花のことではありません。
めくるめくめぐるの世界へようこそ、書店員VTuberの諸星めぐるです。
戦国時代に最盛期を迎え、
静かにアツく、
静かに主張する
影の歴史の証言者。
それが、花押です。
古くは平安時代から現在まで(!)存在している日本のサイン、花押(かおう)について、紹介していきます。
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それでは、学校では教えてくれなかった「花押」の世界。
はじまりです。
歴史
花押は、別名「書き判」とも言われ、その形が花文様に似ていることから「花押」と呼ばれている。
エモい。
安定の平安時代:貴族と庶民
中国から伝来し、平安時代には存在していたとされる花押は自署(サイン)の延長線上にあり、もともと草書で署名していたものが符号化したものである。
本来、花押の使用には書き手を証明すると同時に他者が真似ることを防ぐ目的があった。
もともと伝統的に自身または父祖の実名の一字、またはその部分の組み合わせを複雑に図案化した花押としてきた。
当初は貴族社会に生まれた花押だったが、11世紀後期ごろから、庶民の文書(田地売券など)にも花押が現れ始める。
当時の庶民の花押の特徴は実名と花押を併記する点にあったが、これは貴族社会と違って花押のみでは誰の署名か識別できないために生まれた方法であった。
鎌倉時代から戦国:武士と上下関係と再輸入
鎌倉期以降の武士には、実名とは関係なく父祖や主君の花押を模倣する傾向にかわる。
北条氏では北条時政または義時の花押の類型をとり、足利氏やその臣下の花押が流行し、室町時代以降はそのまま定型化した。
室町時代には各地の大名が足利将軍に倣った花押を使用していた。
ところが、戦国期になると古代・中世以来の原則にとらわれず、苗字や通称を取り入れたり、自分の名前に含まれない一字を選んだり、さらには全く文字を離れた題材を図案化したりする新様式が生まれた。
その背景には様々な階級の武士が登場したことや、暗号の複雑化などの政治的な要因が考えられる。
そのほか、主に中世の禅僧が宋・元代の中国から輸入した花押を用いたが、前節で述べたとおりこれらは単純な形を示しており、禅僧様(ぜんそうよう)と呼ばれる。
また、戦国時代の武将が自分で手紙を書くことはほとんどなく、最後の花押で本物かどうか判断していたのも面白い。
そのため変更するときは相手に「変更届」も出していたという。
当時の文章は「祐筆(ゆうひつ、右筆とも書く)」という書類作成担当の文官が、武将の指示をうけて手紙を書いていた。(今でいう司法書士さんだね)
戦国時代の職業とか本当に面白いからおすすめ。
戦国時代には「権威」の表れとしての花押のポジションが存在したから
「相手とおんなじ花押をかいて返信したら侮蔑」
「主人を裏切って寝返ったら花押変える」
みたいなドラマが生まれる。
このため、戦国時代の花押は、史料の時代背景と時期をほとんど正確に判別することができるのである!すげ!!!
江戸初期と花押の縮小
豊臣政権が衰退し、徳川家の覇権が確立すると、今度は徳川家康の使った明朝体の花押が普及することになる。
明朝体の花押とは、先ず天と地の両線(上下の二線)を横に引き、天地二線(上下の水平線)の間に自分で考えた文字を簡単な形にした、図案を入れる形式をいう。(徳川判)
このように、時の支配者や時勢によって戦国時代までは様々な形の花押が存在する。
前田利家の花押とかめちゃくちゃ変わってておもしろい。
また、江戸時代以降にも庶民の間に花押は存在したが、識字率や印鑑の普及によって衰退していく。(〇や△を使って描かれていたらしい、それなんて七人の侍)
ここで推し花押クイズ
正解は、、、
①徳川家康 ぶなんよね
②織田信長
信長のは麟を裏返してくずした花押、かっこいい
ちなみになんで麒麟なのかというと、「麒麟は太平の世に現れる伝説の生物」だったから、それを花押につかって天下統一のフラグとしたのです!
かっけー!!
③伊達政宗 まあかっこいい。鳥のセキレイを模しているというオシャレっぷり
現在の花押
ハンコが簡略化されるされないの議論のときにも実は登場している「花押」。
閣議書に閣僚の意思を表わす花押を毛筆で書くことが内閣制度創始以来の慣習となっている。
なんだったら内閣府のHPで閲覧可能。
(ただし、遺言状などの場合には自署にあたらないとする判例もある、ややこしい)
だれかAIで花押作れるようにしてくれないかな。。。
いかがでしたでしょうか。
今回はここまで!
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それではみなさん、さよなら×3