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【クリスマス】三太九郎は何者だ?【民俗学】

メリークリスマス!
聖なる夜に、民俗学の視点からのクリスマス談話はいかがでしょうか。

めくるめくめぐるの世界へようこそ。
書店員VTuberの諸星めぐるです。

今回は、日本における【クリスマス】という習慣の解説。

本編アーカイブはコチラから


今回のキーワード
キリスト教と布教 クリスマスと冬至 
三太九郎と侍サンタ クリスマス商戦と明治


そもそもクリスマスとは?



そもそも、クリスマス(Christmas)とは、キリスト(Christ)ミサ(mass)という意味です。
クリスマスといえば、イエス・キリストの降誕(生誕)を祝うお祭りであるため、しばしば【キリストの誕生日】と思いがちですが、じつはそうではないのです。

なんだったら、実際の誕生日は不明です。(聖書に詳しく載ってないため)

このため、ローマ帝国にて国教としてキリスト教を取り入れるにあたり、数百年後の人々がキリストの誕生日を以下のように設定したと考えられています。

・ローマ暦の冬至に合わせ、4世紀初頭の教会が12月25日と定めた説
・サートゥルナーリア祭というローマのミトラ教の祭りの開催期間に合わせ
た説

なぜこんなことをするのかというと、キリスト教の国教化の際に、他宗教をすべて弾圧することに対する民衆の反発を防ぐために、既にある習慣を取り入れる形で布教していったため、と言われています。なるほど。

ちなみに、この時取り入れられたとされるサートゥルナーリア祭りには、
儀式以外に、祝日である期間中、各家庭でも個別に祝う習慣プレゼント交換会、特別な市、奴隷と主人の逆転給仕、奴隷の賭博開放日が開催されたといいます。
今のクリスマスにも通じる習慣もありますね。

クリスマスと日本

最初の戦国メリークリスマス


日本で最初に表れたクリスマスの記録は、1552年12月25日のもの。
イエズス会宣教師ザビエルが日本から去った後、周防の山口町(現在の山口県)でザビエルとともに日本に渡ってきていたコスモ・デ・トーレス司祭のもとでクリスマスが行われました。

当時クリスマスは、ポルトガル語に倣い「ナタラ」と呼ばれていたそうです。
この日は宣教師や日本人キリシタンによる、創造主や説教が行われ、その後、村人達と共に食事をしただけだったそうです。
他の教会ではその後、合唱団の聖歌やプレゼント交換会などもあったそうな。
ちなみに、有名な逸話である松永久秀のクリスマス休戦は創作の可能性が高いらしいです。
(ソースとされるルイス・フロイスの史料がないため)

ただし、宣教師ルイス・フロイスの記録によれば、合戦中だった松永家中の武士と三好家中の武士のなかにいた一部のキリシタン敵味方の垣根を越えて共にクリスマスを祝ったことがあるそうです。

江戸時代とひっそりオランダ冬至


江戸時代には、クリスマスもなにも、キリスト教は絶賛弾圧中。
そんな中、長崎県の出島に住んでいたオランダ人は、秘密裏にクリスマスを祝うために「阿蘭陀冬至」を行ったそうです。
同じ出島の中国人が冬至を盛大にお祝いしているから、それに倣って行ったとされています。

プレゼント交換会のほか、豚の丸焼きなど、招待した江戸の幕臣らにもめちゃくちゃうまそうな西洋のコース料理をふるまったそうな。
文化は強し!


隠れキリシタンとクリスマス


同じようにキリスト教徒としてクリスマスを禁止されていた隠れキリシタンたち。彼らは12月末頃に「御産待ち」や「御誕生」(冬至の日曜日に行った。)などとして、クリスマスをお祝いしたと考えられています。


その後、明治に入り弾圧は緩和され、大正・昭和を経て現在に至ります。
クリスマスの浸透の変遷は以下のクリスマスにまつわるグッズに基づいてみていきましょう。


クリスマスにまつわるあれやこれ

クリスマスツリー


8世紀にフランク王国にて宣教師が古代ゲルマン民族の風習をとりいれてもみの木に捧げものをつるす習慣を作ったのがクリスマスツリーの始まりとされています。

この習慣が王族を介して15世紀以降浸透し、19世紀に世界的に習慣化しました。

そんなクリスマスツリーが日本で初めて飾られたのは
1858年 函館
在日ロシア領事ヨシフ・アントノヴィチ・ゴシケーヴィチが1859年の手紙で
前年にもみの木を飾った」ことを記しているそうです。
1860年の説もありますが、とりあえずはコチラが最初の様子。



サンタクロース

明治時代にはいり、西洋文化のキリスト教および、クリスマスはどんどん受け入れられていきます。
日本最初のサンタクロースは1874年。
クリスチャン実業家原 胤昭(はら たねあき)による築地にあったカロザースの妻ジュリアの女学校でのクリスマス祭にて、戸田 忠厚(とだ ただあつ)という日本人牧師が侍姿のサンタを演じたそうな・・・

また、物語のなかでサンタクロースならぬ「三太九郎」の姿も、初めて明治期に描かれています。乗り物はロバです。


明治時代ですでにクリスマス商戦は始まる

クリスマスといえば、セールやグッズ販売の商戦も名物。
このクリスマス商戦の始まりは、意外にも明治でした。

明治33年
さっそく、輸入食品を扱う明治屋というお店がクリスマスセールを広告します。

明治43年
洋菓子屋不二家により、クリスマスケーキが販売されます。
ちなみに、砂糖でできたサンタやイチゴのデコも不二家が初だそう。


さらに大正時代にはクリスマスのイベントは年々盛んになっていき、
第一次世界大戦の混乱時代、日本がクリスマス用品生産国一位になったそうです。
当時の子供用のクリスマス・プレゼントで一番人気があったのは、セルロイド製のキュウピー。
すげーな日本。

その後、昭和初期には年中行事として定着しますが、知っての通り、第二次世界大戦勃発。
日本におけるクリスマス関係の記事は一時、1937年を最後に新聞にも掲載されなくなりました。


みんな大好きサンタさん


サンタクロースの始まりは4世紀、トルコの司祭「聖ニコラス」からとされています。

ここから、クリスマスキャンペーンとしてコカ・コーラ社が1931年に作った広告用看板が成功。ここから赤いサンタクロースが定着していきます。

ちなみに、日本の三太九郎のように
各国にもオリジナルの民俗宗教や信仰と習合したサンタクロースが存在しています。
例えば、
イギリスではファザークリスマスという妖精に近い存在で、緑色の服を着ています。
ドイツの古い伝承にあるサンタクロースは双子で、悪い子とよい子にそれぞれ担当が分かれていて、日本のナマハゲのように激励してきます。
他のサンタクロースのなかにも、日本のまれびと信仰のようなサンタクロースたちがあふれていたりします。

いかがでしょうか
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それでは良いクリスマスを!!!