ファン獲得の刃〜無限贈与編〜

最近「作品のファンって何がきっかけで増えたっけ?」と思い返すことがあった。
そこで、記憶を遡って考えてみると…

根回しが9割、作品は1割

ということに気がついた。
作品だけシコシコ作っていても、作品を見てくれる人は増えなかったと思う。
むしろ、ファンになってくれた人との関係性を洗い出してみると、そこにあったのはほとんど根回しだった。

では、具体的にどんな方法で根回しをしていったのかというと、以下のとおりだ。

「無限に余るもの」を配れ

これは、この本の受け売りを自分なりに2年間やってきて実感したことである。

プロ奢ラレヤーのあきらめ戦略~お金に困らず、ラクに、豊かに生きるには (単行本) https://amzn.asia/d/0WzHGmg

根回しとは、贈与の連続である。
何か欲しいものがあるがお金が足りない、あるいはお金では買えないものが欲しい。
そんな時に真っ先にやるべきことは「欲しい!くれ!」と言って回ることではない。
それを余らせていそうな相手と関係性を築き、「この人にだったらあげてもいいかな」と思ってもらうことだ。

そして、関係性を築くのにもっとも有効なのは「贈与」である。
大抵の人は、誰かから何かを貰えばその人に対して大なり小なり興味関心が湧く。
さらに贈与を重ねていくと、少しづつ相手との関係性が構築されていく。
そうやって、関係性が構築された先に初めて「この人だったらあげてもいいかな」が発生するのだ。

「ファンと贈与は関係ないんじゃない?」と思ったそこのアナタ。
「作品に興味を持ってもらう」とは、すなわち「その人の興味関心をもらう」と思われる、ということである。立派な贈与だ。
そうした贈与を受けたいのであれば、まずは自分から相手に贈与をし、関係性を構築することが先決だ。
ワンチャンは向こうからやってこない。ワンチャン狙うには根回しが必須である。

そして、贈与は物量がモノを言う。
なるべく多くの人にたくさんの贈与ができれば、自分に興味関心を持ってくれる人の人数はそれだけ多くなる。
では、どんなものを贈与すればいいのか?

『あきらめ戦略』では「無限に余るものを贈与しろ」と言っている。

無限に余るもの、と言ってもピンと来ない人もいると思うので、2つのパターンで具体例を挙げていく。

一つ目は「あげてもなくならないもの」

順番に具体例を挙げていこう。
まず一つ目の「あげてもなくならないもの」は、私の場合「誠実な関心」だ。

これだけだとフンワリしているので、創作畑の私が「されて嬉しかったorすると好印象だった」ことを挙げると、
・ポストを定期的にいいねやRTする
・ポストされてる作品の「何が良いか」の感想を言う
これを定期的に同じ人にやると、高確率で仲良くなれる。
ちなみに私は3〜4回やられると落ちます。

もちろん、人によって仲良くなるのに必要な回数はバラつきがある。
フォロワーが何万人もいるようなめちゃめちゃ人気のクリエイターはさすがに無理かもだけど、普通の趣味でやってるクリエイターなら根気強く上記のことをやってると好印象だ。

ちなみに「誠実な関心」と言うだけあって、かける言葉は本心から出てきた言葉を使うのが鉄則である。
なので「可愛い」とか「かっこいい」とか単純なものでいい。
そして、クリエイターや作品に触れる時間が長くなればなるほど、いつの間にか相手への誠実な関心は育ち、より豊かな感想が言えるようになってくるので、心配しなくて大丈夫。
というか、言えなくても大丈夫。
たとえば私は「実はこういう意味なんじゃないか」とかって作品を深掘りするような感想は言えなくて「〇〇が素敵だと思いました!」と言っちゃうような人間だが、誠意が篭っていれば、それは通じるものである。

それをいろんな人に繰り返していると、中から「もろこしさんの作品、読みました!」という人が現れる、ことがある。
そこから先はクリエイターとしての技量に左右されるので100%ファンになってくれるとは限らないが、長く作品を楽しんでくださる方は、十中八九この戦法で仲良くなった人だった。

そして、これはクリエイターではない人にも当てはまる。
私のXのフォロワーにはクリエイターではない人も多く、そうした人たちと対面だったりXだったりで交流を重ねている。
そういう時も「誠実な関心」は作用してくれる。

「もろこしさん、よく人を褒めてるよね」と言われることが度々あった。
これは考えて褒めてるわけではなく「好印象だなと思ったことがあれば率直に言葉にする」のが癖になってるというだけだ。
そういうコミュニケーションが私にとって一番心地よいからやっている。
私にとってはこの方法が一番「誠実な関心」をコストをかけずに運用することができるのだ。

そういう言葉は、届く時も届かない時もある。
届く時は仲良くできるし、届かなかった時も別に損することはない。言うだけタダなので。

そうしたクリエイターじゃない人で作品を読んでくれた人も、そのほとんどが根気強く「誠実な関心」を向け続けた人たちだった。

そして、リアルなりSNSなり、私の周りで「この人はファンが多いな」と思う人は、軒並みこの「誠実な関心」をうまくワークさせていると感じる。
「まず自分から、誠実な関心を贈与している」のだ。
ここはぜひとも見習っていきたいところである。

というわけで、この2年間で作品のファンを増やすのに一役買った「あげてもなくならないもの」は、誠実な関心である。

二つ目は「無限に生産され、余ってしまうもの」

二つ目は「無限に生産され、余ってしまうもの」だ。
これは分かりやすい例を挙げると「料理屋の廃棄」だ。
料理屋はお客さんに確実に食事が回るよう、多めに料理を作るはずだ。
とすると、必ずと言っていいほど廃棄が出る。

食べられるのに、そのままだと捨てられてしまう廃棄。
たとえばこれを「まかない料理」にアレンジしてアルバイトに渡せばどうなるだろう。
店は廃棄を捨てる必要がなくなる。まずこの時点で赤字にはならない。
そしてアルバイトは食費が浮くうえに、美味しい料理を食べられ、店に感謝の念が生まれるだろう。
中には「あのまかないが食べられるなら、もう少し頑張ってみようか」と長く働いてくれるバイトも現れることだろう。

ようは、こういう「活動をしていると余ってしまうもの」を綺麗にラッピングして誰かにプレゼントすることで、元手がゼロで相手に好印象を与えることができる。

私の場合が何だったかというと「イラスト」である。
若干「あげてもなくならないもの」と被る部分はあるのだが、余りものという意味であえてこちらに持ってきた。

まず、私は公務員を辞めてからは
・膨大な時間
・パソコンと液タブ
・「ああ〜なんか自分1人じゃ思いつかないような絵を描きてえな〜」というお気持ち
を余らせていた。

自分のためにイラストを描くこともできたのだが、どうせなら他人にも喜ばれることがしたい。
「そうだ!Twitterで他人からお題を出してもらってイラストを描き、できたイラストは相手にあげちゃおう!」と考えついた。
こうして一時期「鉱物擬人化企画」なるものをやっていた。

人から「無償でやるなんて勿体ないよ」と言われ「そうなのかなぁ…」と思って辞めたのだが、今思えばあれは「無償でやることにこそ意味があった」と思っている。

・無償だったからこそ、ハードルを上げすぎず気楽にやれた
これは、私が「作品に対して責任を感じやすい」という性質があったために起こった問題だ。
お金を介してしまうと、そこには「お金を取るだけのクオリティを担保しなければ」という責任感が発生する。
しかし、それでは続かない。責任に押しつぶされてしまうからだ。
無償にすることで気楽にやれた、というのが、後の私のお絵描きスタイルである「6割の力でやる」のいいトレーニングになったのだ。
・「お金」は稼がない代わりに「人の縁」を稼いでいた
この「鉱物擬人化企画」で繋がった何人かの人たちとは、今でも仲良くさせていただいている。
もちろん、その中からは作品のファンが生まれることもあった。
気楽に楽しくイラストを描いただけでこれだけのアドが生まれるなら、実質元手はタダである。

そして今でも、フォロワーさんからお題をもらってイラストを描くようなことは何回かやっている。
これが継続できるのは、ひとえに私が「6割の力で描く」を徹底しているからだと思う。
これは、イラストを描くことに情熱があればあるほど難しいことだと思う。
「イラストをコミュニケーションの手段と割り切る」
「どんなイラストも常に6割の力で楽しく描く」
ということを徹底しているからこそ、私の中でイラストは初めて「無限に生産される余りもの」として機能してくれるのだ。

まとめると…

自分にとっての「あげてもなくならないもの」と「無限に生産される余りもの」を見つけよう、ということになる。
これが何であるかは本当に人による。
他の人を参考にしつつ、自分に大喜利をするような気持ちで探してみるとよいだろう。
思わぬところから棚ぼたしてくることもあるので。

最後に、この2つを見つけるにあたって、個人的に大事だなと思うことを2点挙げて終わりとしたい。

自分の欲しいものを明確にすること

これが意外と明確じゃない場合が多い。
今回の場合だと「作品のファンが欲しい」というテーマでやっているが、じゃあその「ファンがいる」ってどういう状態?ということを明確にするのがとても大事である。
自分の作品に定期的にいいねをしてくれる人?
自分の作品に定期的に言葉で感想をくれる人?
自分の作品のファンメイド作品を作ってくれる人?
自分の作品にお金を落としてくれる人?
彼らとは、どんな距離感でいたい?
何人いると自分は満たされたと感じる?
そうやって具体的に言語化することで「自分は誰をターゲットにすればいいのか」が決まってくる。

もちろん、最初に下心を持って相手に近づくということ自体に忌避感を覚える人もいるだろう。
しかし、まずは「相手と仲良くなりたい」という気持ちを大切にすれば、下心が悪さをしてくることは起きづらいという実感がある。
それに、こちらは余りものを贈与しているだけなので、受け取られなくてもさしてダメージはない。

贈与も、実践を重ねることで少しづつだが「うまく」なっていく。
次第により相手が喜ぶタイミング、喜ぶ形で贈与できる回数が増えてくる。
もちろん、数をこなせば失敗も起こるが、むしろ失敗こそ大事だ。
失敗をリカバリーし、次に生かすことでこそ人は自信を得られる。
失敗しても、現代はちょっと笑われたり、ちょっとお金がなくなったりするぐらいで、命まで取られることはほとんどない。
失敗していきましょう。

自分が「満たされていること」に気づくこと

もう一つ、これは大前提として持っているといい考え方。

残酷な話だが「余裕があるように振る舞える人」に、人は集まっていく。
ここは私もつい忘れてしまいがちなところで、最近も人から「最近のもろこしさんは、ちょっと”乞い”のモードが強いですね」と言われ、ギクッとしたところだ(ここの出力の方法は私も模索中。結局は「リアル人間関係をちゃんとやっていく」に尽きるなあ、と結論が出つつある)

余裕を持つのは難しい。
お金だっていくらあっても足りないし、人間関係は難しいし、すぐ不都合なことは起こるし…
しかし、逆に考えるのだ。
「事故に遭わなくてすごい」「仕事辞めさせられなくてすごい」「清潔な水、栄養のあるご飯が食べられてすごい」「今日も一日無事に終わってすごい」
…と。

私たちの生活は、なんと豊かで満ちたりているのだろう。
それが言葉ではなく心で…いやむしろ身体で理解できるようになると、余裕が生まれてくる。

私は生活保護になってから「働けなくなっても生きていけててすごい!!」「働けなくなっても人間一人なら問題なく生きられる日本の福祉制度ってすごい!!」と実感した。
それが実感できるようになってから人生の楽しさが倍増し「明るくなったね」と言われることが増えた。

そして、今月に入って思うのは「いま自分と人間関係を持っていただいている全ての人への圧倒的感謝」である。
先月のもろこしは新しいことを始めてバタバタしていたが、いざ落ち着いてみると「当たり前にそこに存在している人間関係の、なんとありがたいことか。なんと私は満ち足りているのだろう」という実感が湧いてきた。
今月のもろこしは、今の関係を大切にしていくフェイズなのだろう。
「既に私は満ち足りている」という実感を深めていくことが、余裕ある振る舞いを手助けしてくれる。そう感じるのだ。

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