ゔぁん

心理学生。本や音楽、自然が好きです。 パンセクシャル/ノンバイナリー

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最近の記事

日々を楽しむ、とは

おはようございます、こんにちは こんばんは。 毎日24時間否応なく繰り返される日々ですが、みなさんはどういった気持ちで生を成しているのでしょうか。 わたしは画像欄のフォルダに人生というタイトルで、心に響いた言葉をスクリーンショットして保存しているのだが、日々を楽しむという点においてかの有名なオードリー・ヘップバーンはこう発言している。 『何より大事なのは 人生を楽しむこと、幸せを感じること それだけです』 『くよくよしても仕方がない どのみち予想した通りにはならないの

    • 優しさ

      いくら愛しても きっと報われない想いがある 誰かの幸せの裏には優しいひとの犠牲があって 気付かれもせず流した涙にはいったいなんの価値があるのだろう、とおもう 優しさは報われないことが多い それでも人に与えることができる優しさを人は強さというのではないか

      • 好きな人がアロマンティックだった

        私には6年間の仲の大好きなパートナーがいます。付き合っている関係というわけではありません。あくまでも支え、支えたい関係のお互い大切な人です。 私は彼がいてくれたからここまで生きてこれたと思っていて、本当にその存在には感謝しきれないほどの恩があります。 一目惚れで、知り合った当時から好きになり交際していた期間もありました。しかし6年経った今、彼がアロマンティック(恋愛感情を抱かない人)だということを知りました。彼自身も最近気付いたことです ストレートの人なら好きで居たらい

        • 電子機器がしんどい

          あー今日は、いや今日も 電子機器を触るのがしんどい。こんな時代に生まれたせいで携帯を触らないと、PCを触らないと生きていけない。 この一年、携帯を触らなかった日なんてあるわけがない。本来人間は携帯なんて持って生きてはいなかったのに。 私は昔から自然が大好きだ。木が、葉が、花が、雲の動きをみることが、季節の空気を感じることが本当に好き。心安らぐ時間はいつも自然と共にいた なのに社会は常に動き、忙しく移り変わり情報がないと上手く生きられない場所となった。特に若いうちは。

        日々を楽しむ、とは

          恋愛対象、結婚対象

          最近気付いたことがあります。 恋愛と結婚対象の差について。このふたつは別!違うよねって言う人は多いと思いますが、実際問題何がどう違うかわからなくない?って思ってた でも今日やっと明確に自分の中で言葉で定義付けることができたので、noteに書き留めます。 まず恋愛。これは、単に相手を神格化していたり幻想や理想に当てはめてみているのね。完璧な人間だと思ってる。だからそのヒトに釣り合った自分になろうと必死でI視点の私を着飾る。更にステップ踏めば自分なりに愛そうと努力したり相手の

          恋愛対象、結婚対象

          宇多田ヒカルの"Stay Gold" 以前パニュキスの黄金期に関して書きましたが、この曲はそれを謳っているかの様。 月日が過ぎても、せめて愛する人の前では無邪気に笑っていられる大人になりたいですね。少年の様な瞳は尊く、真っ直ぐで無邪気な心は人を惹きつけるものがあります。

          宇多田ヒカルの"Stay Gold" 以前パニュキスの黄金期に関して書きましたが、この曲はそれを謳っているかの様。 月日が過ぎても、せめて愛する人の前では無邪気に笑っていられる大人になりたいですね。少年の様な瞳は尊く、真っ直ぐで無邪気な心は人を惹きつけるものがあります。

          縁のある人

          夏の終わり、高校生の頃付き合っていた7年前の恋人と会ってきました。 当時は京都と東京の遠距離で、相手が毎月京都に来てくれていて私は足を向けた事がなかった。そして今年、精神を病んで自殺しようかと思った矢先に思い切って連絡したら、金銭の心配はしないでいいからすぐ来なって急遽半年ぶりの丸一日半の休暇を取ってくれた。早朝の電車と新幹線を乗り継ぎ、いざ初めて彼の居る場所へ。 聞くと、知らない間に同い年にも関わらず副社長になっていた。朝食バイキングを食べ、夜は高層ビルで都内の夜景を目

          縁のある人

          唯一無二の存在がいなくなった。たくさん書き留めておこうと思ったが、綺麗な本のように形作って、その美しさと少女の儚さというものをまた胸の奥にしまっておこうと思った為邪念は排除した。 そんな令和三年、六月上旬の記録

          唯一無二の存在がいなくなった。たくさん書き留めておこうと思ったが、綺麗な本のように形作って、その美しさと少女の儚さというものをまた胸の奥にしまっておこうと思った為邪念は排除した。 そんな令和三年、六月上旬の記録

          僕らのMaison book girl

          時は令和3年 5月30日 千葉県、舞浜アンフィシアター 晴れわたる青空と真っ白な入道雲をよそめに、僕らの物語は突如の雨と共に、最後のページを告げた。 Maison book girl は僕にとって、深夜の月の光に照らされる海面のような美しさを持つ存在だった。それは唯一無二で、普段はキラキラと反射しながらひっそりと佇んでいるが、時に荒波に揉まれて形を失ったり、静かに近付いてきてこちら側まで包み込んでくれるような優しさを纏ったりする。 彼女らもまた、そんなことを6年間繰り返し

          僕らのMaison book girl

          10年前と同じように

          いつみきとてか 恋しかるらむ 眠れない夜ふいに百人一首の一部分が脳裏に浮かんでは消える、そんな時がある。これはけっこう私の中では至って普通の出来事なのだが普段人と接している時はわざわざこんなこと切り出したりしない。 面倒ごとを避ける癖がある。例えばバナナを選ぶ時。本当はどこの原産地がいいだとか甘味がどうとか本数は何本か、とか痛み具合はどうかとか気にしたい所がたくさんある。 だけど、一人で食べる時はみない。いや、少しはみるが途中で諦めてめんどくさくなって籠に放り込んでしま

          10年前と同じように

          眠れない夜、時の片隅で

          人生には、非常に長いと感じる空間が確かに存在する。私の場合、それは家族が寝静まった夜更けだった 広い部屋に一人ぼっちで居ると、もうこの世の慌ただしさの全ては聡い誰かが作り出した、巧妙なテーマパークであったのではないのかと思う程に静かに佇んでおり、そこにあるのは忽然とした沈黙だけだ 今でこそスマートフォンという文明の力を駆使して世の中を操り、この空虚さから目を逸らしたりしているが、いざまじまじと見つめるとそれは恐ろしく自由で可笑しい。あたかも不調な時の胃のようだ。 確か

          眠れない夜、時の片隅で

          花の毒を抜く仕事。

          一昨年。私は18,19の頃社会不安障害、非定型鬱症を患っていました。それから一年と少々、月日は流れ今はもうすぐ21。気が付いたら鬱は消えていました。なにも、本当に知らぬ間にと言ったわけではありません。それに今も100%鬱々しい気分が消えたのかというとそうではない。時々どうしようもなくベッドの上で不安になり、"今"どうしたら良いのか、何をすれば良いのかわからなくなって叫んでしまいたくなる時があります。みなさんはこういうこと、ありませんでしょうか。きっと人の抱えている闇は露出され

          花の毒を抜く仕事。

          眠れないので少し 今日、ある画像から多くの方にSNSでフォローして頂けました。本当にしたかったことはこれだったとなんだかとても腑に落ちる感じがして、生きるのが楽に感じた。 人は変化のある生き物だから、自分も変わる。他人も変わる。だからこそ今一緒にいる人を大切にしたいのです。

          眠れないので少し 今日、ある画像から多くの方にSNSでフォローして頂けました。本当にしたかったことはこれだったとなんだかとても腑に落ちる感じがして、生きるのが楽に感じた。 人は変化のある生き物だから、自分も変わる。他人も変わる。だからこそ今一緒にいる人を大切にしたいのです。

          恋に迷える乙女達

          皆さんは、したことがありますか?片思い。 恋に迷っているということは、とても素敵なこと。自分に芽生えたどうしようもない気持ちをどう昇華したらいいのか、すっごく悩みますよね。大丈夫、絶対どうにかはなります。ここでは私の体験談を元に、今の考え方について書き留めたいと思います。参考になる所も幾つかあるかと思うので、お時間が許す限り目を通してくだされば幸いです🙏 さて、あなたは片思いを伝えたことがありますか?私は何度か伝えたことがあるのですが、振られることもありました。 当時の

          恋に迷える乙女達

          黄金期

          突然だが、初夏の深夜1時41分。私はnoteを書き始めることにした。というのも、自分の内側で燻り凝り固まっているものを自らの手で解そうと思ったからだ。もう私も子供ではない。  20歳。成人。成人とは一体なんだろう。どういった状態が大人なのだろうか。大人とはなるものなのか。それともその人の心の状態が大人という性質を抱いているから大人というのだろうか。はたまた大人なんてどこにもいないんじゃないだろうか。子供が大きい人間のことを勝手に大人と言っているだけで。  こんなの身近な友達