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ちょうどよく覚えたいのに

ひとの顔を覚えるのが極端に苦手だ。

たいてい一回では覚えられない。

わたしと面会したことのある方は、
「このまえ、あんなにいろいろお話しして、楽しかったのに、なんで今日はこんなにそっけないのだろう?」
と感じていらっしゃるのではないかと思うのだが、違うのだ。
そっけないわけではないのだ。
覚えてないだけなのだ。

楽しく会話した記憶すら、顔のイメージとともに抜け落ちてしまっている。
「この人誰だっけ?」
と思うから、こちらから話しかけられない。なので、どこにいっても、極力、人と仲良くならないように距離を置いてしまう。大勢のひとといっぺんに会う時なんて、本当に申し訳ないのだが、一人も覚えられない。

たまに先方からニコニコ近づいてきて下さることがあるのだが、私の態度がリセットされてゼロに戻っているため、
「忘れられてる! 私ってそんなに印象が薄いの?」
と思わせてるんだろうなと思う。
そして、いたたまれなくなる。

洋画を見ているときはもっとひどい。登場人物の「男、女」「大人、子ども、お年寄り」くらいの区別はつくのだが、それ以外はほとんどわからないので途中から大混乱する。
「あれ? この人さっき崖から落ちて亡くなったんじゃなかったっけ?」
と、全く違う人を見て思う。間違った思い込みによりストーリーがこんがらがるので、結局、後からネットであらすじを見て復習することになる。

しかし、大河ドラマや朝の連続テレビ小説になると、話が変わってくる。見慣れた日本人の顔なので、誰が誰なのか、ある程度見分けがつくし、毎日(または毎週)同じメンバーを見続けるため、メインキャストは顔と名前が一致するようになる。

そういう意味では、年単位で続くドラマはありがたい。
ありがたいのだが、今度は、その記憶が、新たなドラマを見るときの妨げになる。

例えば。
2022年3月放映中のドラマ『ミステリと言う勿れ』のライカさん。
彼女はNHKの大河ドラマ『麒麟がくる』で最初に顔を認識したので、それ以降、何を見ても
「あっ、大河女優!」
と思う。
『浅草キッド』の中でストリッパー役を演じ妖しく踊っていた時も、
「これ、駒や」
という堺正章の声が頭の中に再生されてしまう。今の役柄、今の話に没入できない。

『ミステリと言う勿れ』といえば、今回(第10回)焼肉屋に押し入った強盗が、『カムカムエブリバデイ』の雑貨屋あかにしのケチエモンだったことにも衝撃を受けた。
「そんなに、店が儲かってなかったのか」
と思った。全く関係ないのに。

ちょうどよく覚えたり、忘れたりができないのである。

ドラマや映画の鑑賞に、徹底的に不向きな人間なのだと思う。
だから、子どもの頃から本や漫画の方が好きだったのだなあ。何度でも、自分の好きなタイミングで繰り返し読み返せるから。

しかし、最近は活字すら危うい。
私のエンタメ放浪は、数年後、どこに着地しているのだろうか。

**連続投稿45日目**

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