見出し画像

紳士、愛について考える

お久しぶりです。
半袖から覗く二の腕に思わず鼻の下が伸びる、ゲートサイド次の日です( ˇωˇ )

時折、『死』やら『生きる意味』やら『幸福』など、すぐに答えは出ないものについて考える時間が私にはあるのですが、その1つの『愛』について今回はお話出来たらなと思います♪

久しぶりの投稿が愛についてって…笑
酔っ払いの戯言だと流して、軽い気持ちで読んでいただけると幸いです\(^o^)/

1.愛とは?
2.愛に対する自分の今までの捉え方
3.これからの捉え方と行動
4.まとめと感謝

1.愛とは

まず、愛ってなんぞやってとこなんですけど
Google先生で調べて1番上に出た物を引用すると

そのものの価値を認め、強くひきつけられる気持

・かわいがり、いつくしむ心。「子にそそぐ-」。いつくしみ恵むこと。「神の-」。
いたわりの心。
・大事なものとして慕う心。

とのこと。価値を認め強く引きつけられる気持ちも愛なのか🤔
強くってどれくらいだろう?軽いと愛とは言えないのかもなぁ。数字で分かったら良いのに、なんて思ったりしますね。

慈しむって、幼稚園や大学がキリスト教系の学校だったので親しみはあるのですが、日常ではなかなか使いませんよね。慈悲、慈善、慈愛…愛の範囲が広く大きいイメージですね。
いたわるに関しては、まだ親しみやすい言葉ですかね。自分や仲間を労わったりしますから。

「大事なものとして慕う心」これが『愛』の定義としてポピュラーな気がします。
自分で言うのもなんですが、私愛情深い人間なんですよ。自分で言うと少し嘘くさいな笑

友人からも「愛情深いよね」「人情深いよね」等言葉を貰う時がありますので、ひとりよがりじゃないと思いたい\(^o^)/

しかし、裏腹に「薄情だ」「冷たいよね」と恋人に言われた経験もあります。わわわ(;・∀・)

愛の意味が何となく分かった所で、私の過去の話をさせていただきますね(´∇`)

2.愛に対する自分の今までの捉え方

小学生の頃は、「愛情って何だか凄く素敵な事のように思えるけど、それだけが全てじゃないんだろうな」「愛には裏切りが付きもの」と思っていました笑
しょっぱい小学生ですよね笑
読んできた小説や両親の不仲を見てそう思ったのかもしれません。

中学生の頃は、思春期男子なので性愛にお熱でした笑 愛してるから、ではなく単純な興味だったのかな笑
本当の愛情についてはまだよく分かってはないですね。フィクションで愛を感じたり、祖父母や両親、友達から愛を感じる事もしばしば。

中学時代に、同級生や後輩とは仲良しだったんですが、後輩に私が慕われるものだから1部の先輩から反感を買ってしまって陰口を叩かれていた経験があります。

その時私は怒りも泣きもしなかったのですが、見かねた友人が「怒れよ!」と私に言い、先生に「こいつがこういう目にあってて」と話してくれたんですよね。

あれは友愛だなぁと今でも感じます。他人の事を自分事のように捉えて、思いやりをもって言葉にするってそうそうできることじゃないですね。

当時の自分は感情を向き出しにする事をどこかで馬鹿にしていて、それは、人の目に怯えてたからなんでしょうね。

高校時代!
初の恋人もどきにギタギタに振られる笑

恋愛迷子は、まさにここから始まった笑

中学時代から同様に、人からの愛情は受けながらも疑心暗鬼で震えていた高校時代。
人と愛を分かち合う代表格、恋愛\(^o^)/
ギタギタにメタメタに振られ、その後「自分から人を好きなるのやめよう…」期間に突入!!

小中高なかなか可愛くないな笑
身近な人に対しては疑心暗鬼でしたが、困ってる人には手を差し伸べられる若者だったと思います。

というのも、小さい頃から父親から
「目の前に大きな荷物を抱えてるおばあさんがいます。おばあさんは歩道橋を登ろうとしています。あなたならどうしますか?」と耳にタコができるくらい言われ続けられてきたからなんですよね。

今思えば、正解のない問いに対して考える力は父親との日常会話から生まれたのかもしれません。

かなり長文になりそうな予感( ˇωˇ )
次回大学生編と社会人編、これからの捉え方と行動、まとめ語りますよ〜٩( ᐛ )و

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?