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別れと札幌へ

露呈

希望に満ちて北海道にやってきた私でしたが、

描いたような生活にはなりませんでした。

私の目標は新天地で家族で力を合わせて生きていくことでした。

私は好奇心旺盛な性格ですし、

どこに行ってもそれなりに打ちとけて

新しい友人の輪を作ることは得意です。

けれども、元夫はそうではなかった。

家計を考えて支えていくこと、食事、子どもの送迎、父母会、

何もかもが私の負担になりました。

元夫は次男でかなり自由気ままに振る舞っている

と思っていましたが、

それはあくまでも与えられた枠の中でそうだったのです。


ようやく今になって思うことですが、

夫には新しく自分で何かを築いていくことは大変難しいことで、

劣等感から私にモラルハラスメントをしていたようです。

それでも何とか頑張ろうともがいていましたが、

私は身体も心もボロボロになっていきました。


暴言は、エーテル体をかなりボロボロにするのことです。

当時、あまりにも必死でその自覚はありませんでした。

この間、子ども達にどのくらい配慮していたのか

あまり記憶にありません。

自然の中で過ごすこと、食事に気を付けることはやっていました。

この頃、娘は人のオーラが見えていました。


脱出

こんな生活を2年送った後、私はこの状況を打開するために一人で札幌で生活を始めました。

この時の費用は父に出してもらいました。

父とはこの後、再び色々揉めることになりますが、この時は感謝でした。

一人で生活してみると、自分がどれだけ自分のことを後回しにし、

家族のために時間と労力をとってきたかがよくわかりました。


2人の子どもの母親として喜んでしてきた部分はあります。

子ども達は笑顔や好き~と言ってハグを返してくれました。


夫はやってもやっても感謝、労り、思いやりの言葉の一つもなく、

まるですべてが当然のことと、とらえているようでした。

まるで砂漠に水を撒いているような・・・

エネルギー観点から言うと、

自分のエネルギーを一方的に差し出している

そんな感じでした。

このことに気付けたのはとても良かったことです。

自分を大切にすることを

意識的に考えることができるようになりました。


話し合いほぼ喧嘩 笑

元気を取り戻した私は夫との離婚を決意します。

離婚を切り出しますが、夫はもちろん反対です。

食事作り、家事、他、いろいろなケアをして

もらえなくなるわけですから 笑

夫は力(強く言う)で押し切ればなんとかなるという

いわゆる男尊女卑的な態度を無自覚にしてきました。

今までも話し合いはうやむやになって終わってきました。

その態度の根底には「自分は悪くない」

というまるで小さな子どものような考えがあったようです。

人の考えを受け入れない、

俯瞰的な目を養って自らの現実を素直に受け入れようとしない


こうなると私も力(強い言葉)で押し切るしかありません。

「は~!!○○かくかくしかじか」

この部分はご想像にお任せします。

元夫は懐柔と暴言を交互に繰り返しますが、

大きな決断に迷うことのない性格の私は、ぶれることなく押し切りました。

けれど、かなり消耗したことは確かです。

なんせ、相手も必死ですし 笑

この後、ど貧乏シングルマザーの時代が始まります。


続く

本日もお読みいただきありがとうございます。


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どうしてこの世に生まれてきたのかをずっと知りたかったのです。 あちらこちらに頭を突っ込んで、楽しかったり、ドツボにはまってもがいたり、 その全ての体験が笑ってしまうほど愛おしい。 これからの人生は、自分流、気ままに楽しく創造しちゃいます。