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エビデンスで殴られている から 「買ってはいけない」へ。さらにおしどりマコと鈴木エイトへ。


はじめに

 朝日新聞が[「エビデンス」がないと駄目ですか? 数値がすくい取れない真理とは]と問いかける記事を掲載して、「エビデンスで殴られている」と書きました。
 エビデンスとは「根拠」「証拠」なので、根拠のない主張をして訂正されたり批判されるのを「殴られる」と表現したことになります。そして同記事では、福島第一原発からの処理水放出が例として挙げられました。
 私は自主避難者問題と事故直後からかかわってきました。それゆえ、いつから「根拠」のない「お気持ち」が大手を振るって言論界を闊歩するようになったのか気になります。
 エビデンスのない扇動について考えていると、神保町の「書泉」で平台に山積みされていた「買ってはいけない」を手に取った1999年初夏の記憶がよみがえりました。
 月額版「筋道のタテツケ通信」の第3回は、「根拠」がない不安をでっちあげる大衆扇動について考えます。
 今回は、出来事を過去にさかのぼって整理します。


──⚫︎──

「買ってはいけない」はどこから来たのか

1.郡司篤孝の直系

 「『買ってはいけない』から正しい情報を探し出すのは至難を極める
 「買ってはいけない」を説明するには、この日垣隆の言葉だけで十分だろう。
 製品の危険性を科学的装いで説く同書は、あり得ない用法で事故が発生するとしたり、量の概念を無視して危険と断言したり、もっともらしい説明をするが何ひとつ事実やエビデンス(根拠)がなかった。でたらめで正露丸、電気シェーバー、ヤクルト、ハイターといったありふれた製品が実名をあげて批判されたのだ。
 エビデンス皆無のでたらめ本である「買ってはいけない」が、200万部を売り上げる大ベストセラーになり、発売早々から書店には特設コーナーがつくられ平台に山積みされるありさまだった。
 製品名をあげて批判する姿勢は「暮しの手帖」を模範にしたとされる。だが「暮しの手帖」は製品を購入して使用して批評しているので、同書のやり方とはあきらかにちがう。
 直系の祖先と言えるのは、1960年代半ばから80年代にかけて「危険な食品」「うそつき食品」「怖い化粧品」など多数の著書を残した郡司篤孝の仕事であろう。

郡司篤孝 怖い化粧品 表紙

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