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反ワクチンをやめた人たちに聞く新しい生活

やめた人といつまでもやめられない人の違い。やめた人はすっきり出直している。やめられない人のコロナ禍以後。

著者:ケイヒロ、ハラオカヒサ

反ワクチンをやめた3人

2021年秋。ワクチン接種2回目終了の人が6割を超え、自治体によっては接種率80%に到達すると言われるまでになった。嫌がらせを受けるのを避け後腐れなく集団を抜ける方法を『反マスク・反ワクチンから抜け出したくなったら』に書いた7月の状況を考えると、まるで別世界のできごとのようにすら感じる。


この記事を掲載する以前から、反マスク・反ワクチンの立場をやめたがったり、やめて新たな生活をはじめた人が現れはじめていた。掲載後に届いた報告や相談の様子から、かなりの人数が直近3ヶ月に集団から離脱したと思われる。

今回はこうした離脱者のうち3人から得た証言を紹介しようと思う。3人のうち2名は2回接種終了、1名は1回終了で近日中に2回目を接種する予定だ。

女性(2回接種終了)は前述の記事掲載前に離脱済み。男性(2回接種終了)と男性(1回終了)は記事をきっかけに離脱している。


からっぽで空虚な反ワクチン

が反マスク・反ワクチンの陰謀論から離脱したきっかけは、一人暮らしをやめて実家に戻り生活習慣を変えなければならなかった2週間の中にあった。新たな仕事と責任、昔なじみとの再開が陰謀論やデマを「どうでもよいもの」に変えていた。

Aは2020年にコロナ禍の影響から仕事が減って経済的に追い詰められるなかデマと出会い鬱の悪化と歩調を合わせて陰謀論にのめり込んでいった、かなり初期からの反マスク・反ワクチン主義者だった。しかし、日々増えて行ったデマや陰謀論の話題を、Aが内容を深く読み込んでいた期間は1ヶ月にも満たなかった。

「リツイートしているばっかりで、あまり内容を読んでなかったことにあとから気づいて、あれは何だったのだろう……」

恐ろしい話や頭にくる話に決まっていると思い、仲間と一体になって応援する雰囲気のなかで反射的に対応していた。ツイートに限らずLINEで交わされる情報もよく読んでいなかったと言う。振り返ると「からっぽな感じ」だったとも表現している。

は医療関係者への接種がはじまった頃、大量に出回った様々な話題を前にしてワクチンは恐ろしいと考えるようになった。反ワクチン論者とSNSだけでなくデモなどで顔を合わせるうちボス格の男性を頂点にした同調圧力に息苦しさと不自由さを感じ、記事『……抜け出したくなったら』を読んで離脱を決意した。

彼もまた、
「わかったふりをしているのに必死だったように思う。嫌になる前から惰性だったかもしれません」
と言っている。

だが当時のBが過激だったのは間違いなく、あまりの攻撃性でアカウントがロックされたり家族内の意見対立で大喧嘩をしている。それでも彼は「惰性」だったと言う。

AとBにとって熱狂的だった数ヶ月間が「からっぽ」だったり「惰性」で過ぎ去った期間なのは興味深い。反ワクチンを主張して絶対接種を受けないと態度を硬化させていた人が、主張の誤りに気づいたとき「あれは無駄だった」と感じるのは当然だろう。だが、それをはるかに上回る空虚さなのだ。

はB同様のきっかけでワクチンを嫌っていたがAやBのように惰性を意識したことがない。Cは迷路に迷い込んだような感覚だった。

「陰謀論を馬鹿にしていたんです。自分はもっと考えなくちゃダメだっていうふうに」


ワクチンを打っても何も起こらなかった

反ワクチンの陰謀論に染まったAやBと違い、はひたすらワクチンそのものと接種政策は信用ならないと感じてきた。しかし入院の予定があった祖母から「ワクチンを打たないなら病院には見舞いに来るな、葬式にも出るな」と一喝されて接種することにした。

「副反応は腕に重たさを感じたのと少し熱が出たくらいでした」

まず接種会場が想像していたのと違い強い緊張感を強いる空間ではなかった。それ以上に多くの人が積極的に来ていることが驚きだった。Cが受付を済ませて接種を受け15分間の経過観察が終わるまでに倒れて運び出される人はいなかったし、腕のしびれを訴える人に看護師が対応しても誰一人として騒がなかった。

そして接種から数日経っても体調に変化がないだけでなく、世の中も以前通り淡々としたものだった。

「別にワクチンを打ったら世の中まで変わってしまうとは思っていなかったですが……悪いことが続くようなぼんやりした感じがありました」

冷静さを失うと因果関係がおかしい心配に取り憑かれる。このような袋小路から出でCは日常を取り戻したのだった。

ではAとBの接種はどうだったのか。

は接種体験を楽しげに語った。片側だけ肩出しのトップスを着て1回目の接種に行くつもりが、打ってほしい側の二の腕と反対が出てしまうので「そっちでまあいいか」と打ってもらった。2回目の接種は問診で「副反応で発熱したが騒ぐほどでもなかった」と答えて「強いんですね」と医師に言われたのがおかしくていまだに忘れられない。

は2回目の接種を終えたあと、久々に気の利いた飲食店でおもいきり食事をしたくなった。

「肩の荷が下りた感じがすごかったです」

接種の帰り道、飲食店ではなくデパ地下に寄って家族との夕食用に惣菜を丁寧に選んで買った。

3人ともワクチンを打っても何も起こらなかった。そこには日常があっただけだった。


日常のなかのコロナ禍

3人が反ワクチンの主張にこだわっていたとき見ていた風景は、私たちが見ている日常とまるで違った。AとBは不安や怒りに急かされる世界に生きていて、Cは不信感の袋小路に迷い込んでいた。

私たちにとってコロナ禍は靴のなかに入り込んだ小石だった。日常があって、そこに闖入者ちんにゅうしゃの新型コロナ肺炎があった。3人は日常が消え去り、靴のなかに入り込んだ小石ではなく石ころそのもの中に封じ込められていた。

だが、いまは違う。

は「今めちゃうまくいってますよ」と言う。彼女なりに難しい問題があるみたいだが、入眠剤を飲まなくても眠れるようになった変化がすべてを物語っている。

「コロナがよくなると実家でやっている仕事が少しずつ楽になります。友達と話をすると楽になっている人もいるし、まだつらそうな人もいます。もう少し我慢だねってみんなで言っています」

は「コロナのことばかり考えていたこっちのほうがよっぽどコロナ脳だったかもしれなくて」と自己分析した。

「解像度が低いって言うじゃないですか、反ワクチンのことばかり見ていて低い解像度で世の中を知った気になっていました」

は約束の2回目接種が終わっていないため、まだ祖母の見舞いに行けない。祖母と電話で話をしたり見舞いに行った家族の話を聞くと、病院や医師を悪者に仕立てて考えていた当時の自分がわからなくなる。コロナ禍以前も、そんなふうには思っていなかった。

「おばあちゃんには感謝してます。その一瞬を待ってて言ってくれたが気がします」

3人ともコロナ禍だけに囲まれた生活から、コロナ禍は日常のなかの異物に変わった。

はワクチンを接種済みなので世の中の動向を見ながらもう一度東京に出て以前の仕事をしたいと準備をはじめた。反マスク・反ワクチンで関わった人が記憶に残っていても思い出したくないし、あとから登場した同傾向の人たちにはまったく興味が持てない。

は家族に心配をかけたことを後悔しながら「マイナスになった分」をどうやって取り戻そうか必死だ。A同様に反ワクチン論者と関わる必要性をまったく感じないし、「風向きが変わっているのに気付いていて、間違いだらけなのがわかっていてもやめられない人たちに何を言っても無理」と言った。

はコロナ禍明けに自分が対応できるか新たな不安を覚えることがあり、そのときの自分を想像できない。「みんな暇すぎるか、うまく世の中と結びつけないんですよ。自分もそのけがあるので」と言った。

陰謀論者で目覚めた人を自称する者が目立つが、3人のほうがよっぽど目覚めた人たちではないだろうか。


その違いはどこから生まれたのか

個人情報などが関係して記事には書けないものの、二つの世界を行き来した経験者だけが知る有意義な情報がいくつも得られた。そのうちのひとつが「みんな暇すぎるか、うまく世の中と結びつけないんですよ」というCの言葉を別の角度から語ったAとBによる説明だった。

それは3人があちらへ行った理由であり、戻ることができた理由だ。筆者の解釈を書いてみようと思う。

うまく世の中と結びつけない人が陰謀論、反ワクチン、反マスクを介して社会と関わりを持とうとしている。AもBもCも、コロナ禍や別の原因があって世の中との結びつきが不安定になり、反ワクチンの立場を利用して社会と関係を再構築しようとした可能性が高い。

社会と関わる名目や立場が必要で、選ばれたものが反ワクチンだったというだけかもしれない。

社会との関わりと言っても貢献したり、交流したり、調整しあったりすることは端からお断りだ。持論をぶつけ、相手の感情をネガティブに動かし、優位な立場にあることを知らせるのが彼ら彼女らの社会との関わりかただ。

SNSで発言するだけでなく子供の学校に乗り込む人、接種会場でビラを配ってワクチンを打たないよう説得していた人など、実生活と世の中との結びつきやルサンチマンの実態がAやBからいくつも明かされるたび、この人たちにとって今が最高に輝ける時代で反ワクチン以前に戻るなど論外なのがわかった。いつまでもコロナ禍に囲まれ続けていたいのだ。

暇すぎたり、うまく世の中と結びつけない人をカモにして親分風を吹かす、名声を得ようとする、代替医療に巻き込みたいといった人々がいる。高額な診察料ややけに法外な価格設定の通販で客を選別をしている例がある。こうした権力圏や商圏はコロナ禍が終わるとき、看板を少し書き換えてとりこにした人々を連れて新天地へ向かうのだろう。

家族など周囲の人々がどうにかしたいと考えるなら、本人の潜在的な弱者意識と世の中に対して抱く恨みや嫉妬心から気を逸らしたり、根本から解消しなければならないだろう。こうした気持ちにつけ入られた理由として、持て余すほどの暇がなかったか検討してみるのもよいだろう。

まとめ1

(前述した理由だけで反ワクチン主義や陰謀論に陥るわけではありません。可能性のひとつとして参考にしてください)


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