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飲み屋さんで酔っ払いにキレちまった話。


⚠️ヘイトスピーチ・差別表現が含まれます。


 あたいはあんまり怒らない。

 どっちかと言えば、内心はわりとイライラしやすい方だけども、《怒りという感情は6秒経てば収まる》と聞いたことがあるので、怒るようなことがあっても6秒間は努めて我慢してみせるか、あるいは6秒以内に相手を仕留めるようにしてる。そうすれば万事解決……だよネッ。


 そもそも、人との衝突なんて《どちらかがめちゃくちゃ冷静》か、《お互いに前向きで建設的にしようという姿勢》が無いものはほとんど無駄になっちゃうと思う。だからできるだけあたいは怒りたくない。そんな状況あんまり無いし。

 だってそうでしょう。怒ってスッキリしたり、怒って物事がひと段落したとしても、それは大抵が相手や誰かの我慢の上に成り立っているだけに過ぎないのだから。そんなもの無駄だし、稚拙な解決手段で、満足してる人は露悪でおバカさんだ。



 けれども、例えば誰かからアドバイスを求められたり、友人や身内の仲間から相談を受けた場合は、あたいもお節介ながらくどくどと説教したりする。

 あるいは知っている人間が過ちに手を染めたり、その子が持つ自覚の無い悪癖にあたいが気付いたなら、ズバズバと指摘しちゃったりもする。

 しかし当たり前だけども、そこに怒りや侮蔑の感情は絶対に込めないようにしてる。

 指摘や説教は相手のための言葉であって、指摘する側が優越感や優位を感じるための道具じゃないからだ。



 もちろんそれでも相手が嫌な思いをしたり、あたいの言葉から棘を感じたならば、それは完全にあたいが悪いと思う。他人に相談したくなるほど困ったり弱っている相手の心情や傷を察し、距離感を推し量って言葉をかけるーーそういう配慮ができなかったあたい(相談相手)にすべての責任があるわけと考える。

 さらに言えば前提として相談を受ける人間は、決して相談主を攻撃してはならない。時にかける言葉が甘い言葉じゃなくても、常に優しくあらなきゃならないと考えている。



 まぁそんな風に持論を語ったけど、そもそもあたいも人に偉そうに何かを言える人間では無いんよ。

 どれだけ自分を律していても、人間的な未熟さゆえに攻撃性や支配欲に飲み込まれそうになることがある。

 きっとそれで相手を傷つけてしまったり、指摘やアドバイスを飛び越えて《指示》や《嘲弄(バカにすること)》に繋がることもあるだろうし、正直覚えもある。

 十数年前、経済的な事情で困り果てたゲイ風俗の同僚に相談された時、「そういうことは自分で調べて役所か弁護士に行けばいいだけ。どうしてこんな簡単なことができないの」と言いかけたこともある。言葉にはしなかったけど、そういう態度が滲んでいてしまったのか、その子には「お前に相談しても無駄だよな」って失望させちゃった。

 あたいも忘れがちだけど、相談主が欲しいのいつだって正論や叱咤じゃない。ただ単純に、自分の考えを後押ししたり、自分の持つ答えを補強したりしてくれるような激励と自信だ。

 あるいは、自分の中に「悪いことしている」という自覚だったり、「自分はダメだ」という罪悪感や反省を持っている人間が相談や告白をしてきたならば、抱えているその戸惑いや後ろめたさを刺激する《正しい批判》だけが、相談を適切に機能させるのだと思う。(つまり自分が正しいと信じて悪いことしている“確信犯“に説教は通じないということだけども)


 長くなったけど、つまり説教は、嫌われ役を買ってでもいいから相手の反骨心や勇気を沸き起こさせるような《他人思いの言葉》でなければならない。だからあたいは嫌われてもいいと思って他人に説教や指摘をするし、相手の意思を尊重して支配的にならない程度にお節介を焼く。

 そして嫌われたら反省する。それだけ。

 こんな風に慈愛に溢れ、すけべで、優しさと愛しさに溢れ、あと恋しさとせつなさと心強さに包まれたあたいだけども。


 実は今年、キレた。

 行きつけのおばんざいバーで、酔っ払った知人に、盛大にキレ散らかした。


 発端はその知人が言った、


(ウクライナの戦争問題の話題。テレビを見ながら)
「こんなもん◯◯人とか、生活保護受けたりしてる日本にいらん奴らおるだろうが。LGBTとかフェミニストみたいな奴らもや。そういう日本にいらん奴らをみーんな戦地に送ったらいいんじゃ! 一石二鳥や! ガハハ」


 という感じの言葉だった。

 そんなもの、飲み屋特有の酔っ払いが気が大きくなってこぼしてしまうようなよくある戯言だ。本人にとっては酔いで気が大きくなって吐き出した一刀両断系の毒舌つもりだろうけど、タチが悪くてただの笑えない笑い。

 だけどその時、テーブルの先には、以前に在日だと話してくれていたまた別の知人がいて、ものすごく悲しそうな、そして気まずそうな顔をしてその大声を耳にしているのが見えた。(もちろんそういう風に見えたのはあたいの憶測で、勝手な心象に過ぎない)


 なので、あたいはキレた。


 これは酔っ払いのしょーもない失態と、飲み屋という酒の席にも関わらず真面目に説教しちゃうような、しょーもないあたいのお話。

 そして《人前でキレる(怒る)という行為の必要性》、あたいなりの言い訳がましい持論を書き綴る記事です。


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ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思…

今ならあたいの投げキッス付きよ👄