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人の部屋は笑えない、だってそいつの心だもん



 ゲイ風俗勤務時代、指名時間中にお客様の部屋を掃除した話をしますわ。


 この話を書くのはちょっと躊躇われた。というのもあたいは基本的にゲイ風俗のエッセイでお客様の話を書かないようにしていたし、書いたとしても特定できないような些末なエピソード(たとえばうんこなどの粗相の話や高齢者のお客など)に留めるように努めていたからだ。いや、うんこって些末か?

 まぁともかく、そういう話は特殊さこそあっても、誰のことを描いたのか分からないくらい秘匿性も担保できる日常茶飯事のものだったし、何より当人・当事者が見たとしても納得できるような嘲笑の無い内容展開にできると思った。

 たとえばうんこに関しても、臓器や体質にまつわる点から問い直すことで性的な身体接触の美化を防ぐ狙いがあったし、高齢男性の勃起問題を通しての話では、男性性や性の規範を解体するケア的な内容にもなったと思う。広義的には人権意識の話である。なので書く意義があったと考えている。あたいも未熟なので上手くは描けなかったけれど。


 反対に、あたいはよくある「風俗のクソ客」というお題目で特定個人をネタにし、晒し上げる形で笑いや賛同を得るような芸風に手を出したくはなかった。

 もちろんそうやって批判的に論うことにも意義はあると思ってる。客はいくらお金を支払っている側だからと言ってなんでも許されるわけではない。それは風俗という業態であっても同様なのだ。だから風俗従事者が看過できない問題を徹底的に論うこと、そして非難の対象として描くことーーそうすることによって従事者たちを守れる場合もあるだろう。

 実際、風俗利用者にはそういった忌憚のない意見を参考にしたと述べる人もいる。たとえば「風俗店にナマモノや手料理を持ってこられても困るというか恐怖や拒否感が勝ってしまう。食べられない」という現場の声を知って、差し控えるようになった人もいたようだった。

 そんな当たり前のことなんて言われなくても誰でも分かるだろう、と思ってはならない。常識なんてどこでどのタイミングで培うかは人それぞれで、接客業やサービス業をやっている人なら、故意や悪意ではなく他人を困惑させてしまう人がそれなりに多いことを知っていることだろう。

 そういった過失の行為を、笑って受け流すことだけがより良い対処法だとしていると、誰も注意できずにその行為者の行動を助長させ、ますます従事者が苦労を被ることになる。だから誰かがハッキリした言葉で指摘し、「問題」として論うことは必要なのだ。「風俗のクソ客」にはエンターテイメント的な部分やガス抜きの部分もあるけれど、そういった喧伝の側面もあると思う。

 だけど、ああいった論い方はかなりの細心の注意とバランス感覚を要するのだ。うっかりすればただただ怨嗟と差別をばら撒く物言いになるし、世間からの共感と一般感覚から乖離していると、「偉そうに言うが、そんなことやってるお前が悪い」「やっぱり風俗やってる奴なんかに慈悲無し」と反感を買い、より一層の分断とスティグマを生み出すことにも繋がる。

 SNSにはいろんな人間がいる以上、賛同や共感しかない意見ってのも不可能で、仮に成立してもエコーチェンバー(というか教祖とシンパ的な)状態にも陥りやすいから、何かを広くへと発信する以上、反感をある程度買うのは仕方がないことだけれど、でも反感を買いすぎのバーゲンセール状態は良くないのだ。自分だけじゃなく、他の当事者にも矛先が向くことにもなる。

 だから言って、それを防ぐために好感度を高めることに傾倒するのも不健全ではある。不条理被ってる人間が、理解してもらうために大衆に媚び諂っておもねる方法を取らないといけないのなら、たぶん不条理はいつまでも温存され、改善されても「愛らしい弱者」への特別措置だけが許される状態となる。


 これも他の困っている当事者に対して「あの人は愛想良く『助けて』って言えるのにお前はなんだ」と矛先が向かうのでよろしくない。まぁこういうのはよく起きてることだけど。


 そもそも書き物にはある程度の意図とバランス感覚が無いと、書いている側も読む側もつらいものになってしまう、と思う。個人的な感情に振り回されて書き綴るものそれ自体にも価値はあるんだけれど、そこで分断を煽ることばかり目指すのならば不心得で、悪手に無自覚だ。

 あえて炎上や分断を煽って書いている人は、それで世界をむちゃくちゃにしたいか、誰かが自分と一緒に傷ついてくれることを望んでいるのか。あるいは話題になればインセンティブのある(マネタイズできてる)立場なんだと思う。ちなみにこういうマネタイズには乗っかったら負けやで。儲かるのはそいつだけで、他は誰も得しない。


 あたいの場合、風俗エッセイを書くにあたって、せっかくだから自ら敵を増やしたり、誰かをせせら笑うような冷笑的な発信にはしたくないと考えた結果、お客の情報や特異さで物を書くのをできるだけ避けるようにしたのだった。


 そうすることによって「身バレしても(多少生きづらくなるだろうけれど)別に悪いことをしたわけじゃないからええわ」と開き直れるし、元お客との遺恨もあんまり残さない。あたいなりのリスクマネジメントでもある。

 ただし風俗について匿名という安全圏から書いていたことや、ゲイ業界というアンダーグラウンドな世界を表沙汰にしたことによる反感を買うのはリスク込みで承知だけれど。


 そもそも大体、「こんな変な奴がいた」と批判的に発信したとしても、それを受け取って反応を示すのは、「無関係だけど心に波風立ちやすい感受性が高い人」か、「ストレス耐性が低く何事も自分が責められているように感じて怒ってしまう人」だけで、マジでヤバい奴は自分のことだと思わずスルーする。そこに響くことはあんまりない。

「風俗のクソ客」なんて描いても、当人は自分のことだとほとんど自覚しない。これはあらゆることに共通しているけれど、ケアや矯正が必要な人間は、名指しじゃないと自分を土俵に上げはしない。

 仮に名指ししても、防衛本能から言い訳して、同情を買うように弁明して、果てには攻撃的になる。こういった矯正は基本的に通りすがりじゃできないのだ。



 さて、本題に入りますわ。


 あたいが20歳か21歳か、とにかくそれくらいの頃だったと思う。当時はゲイ風俗でボーイをしつつ大学に通っていたので今よりも多忙だった。

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8,305字

ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思…

今ならあたいの投げキッス付きよ👄