【コラム】ネクストアイヌ政策。

はい。ラストアイヌといえば「森竹竹市 氏」です。
「反骨のアイヌ歌人」と呼ばれてました。
尊敬しております。お亡くなりになられたのは
1976年8月です。私は1977年8月に生まれました。
ちょうど、1年後です。運命?いや偶然ですけど。
「森竹竹市」も私と同じく公務員でした。
そうとう苦学されたとのことです。
郵便局→札幌鉄道局→村会議員 とのことです。

アイヌ民族初の国会議員といえば、
「萱野茂 氏」です。尊敬しております。
私は、いまから20年以上前に
どうしてもお会いしたくて、二風谷に
行ったこともあります。
さすがに多忙のためかお会いできませんでした。
当時の二風谷の方々に「萱野茂 氏」の
人柄を聞いて歩きました。
素晴しい人望の方だったそうです。
もう、お亡くなりになりました。残念です。

これからのアイヌを代表していくのは
「萱野りえ さん」でしょう。
若いのに、素晴しい女性です。
私など、足元にも及びません。
もう少し若い方々が、増えて来ないかなあ。

私は、「政治」という手段を選びました。
「汚れ役」は私が全て引き受けます。
「道化」も演じます。平気です。大丈夫です。
命までは、取られないでしょう。

若いアイヌの方々は「文化」を伸ばして
ください。「教育」「勤勉」「優しい心」
「自然を愛する心」「世界平和」
アイヌ民族らしさを世界にアピール
してください。よろしくお願いします。
私にはタブーは無い。突き進むのみ。
その代わり、味方もいない。いまは。

いまだに、政治家、官僚、教育界、マスコミ。
差別意識がある。差別意識というか。
差別「無」意識なのだろうか?

いつだったか。お笑い芸人が。
「あっ。いぬ。」と口走り。社会的に抹殺された。
私の正直な感想を言おう。「かわいそうに。」
である。怒りはなかった。無知なだけだ。
問題は、「教育」なのだ。教科書で見た記憶が
ないのであろう。むしろ被害者といってもいい。
問題は、その昔に我々を「旧土人」扱いした
奴らの一味が、一緒になって、お笑い芸人を
叩いていた背景だ。「お前が言うな。」である。

あそこで
怒りの行動をおこすと、また対立を生む。
むしろ。私は彼を応援してる。
最近は、ほそぼそと、YouTubeやXで
活動されてるようだ。
聖徳太子ネタなどが得意なようだ。
がんばれ。がんばれ。

「本物」の「いじめ」を経験してると
そうゆう視点になる。私だって、いつ失言で
全てを失うかわからない。言葉狩りは大嫌いだ。
そんな些末な事は、どうでもいいのだ。
発言ではない。行動で示せ。
私は、「障がい者」より「障害者」の記載で
いいと思ってる。「統合失調症」より
「精神分裂病」のほうが、イメージしやすい
のでは?と疑問に思ったくらいだ。
「統合失調症」と説明すると、
「自律神経失調症」の仲間かな?
と勘違いされてしまうので、面倒なので
「キ◯◯イ」の事だよ!!
といいだす始末。
いばりくさる障害者と政治家は区別がつかない。
私は低俗で下品。とても政治家向きではない。
だが、清廉潔白な役に立たない政治家と、自分の為に
努力をしてくれる小悪人なら、どちらを選ぶか?

昭和は小悪人が多かった。大悪人もゴロゴロいた。
平成は割と常識人が増えてきた。だが日本は
落ちぶれた。令和はどうか?

まだ、答えは出ない。
利益誘導に反対しながら、自分には
利益誘導して欲しい国民性。
自民党を批判しながら、自民党の決めたルールで
生きている。NISA、iDeCo、ふるさと納税に夢中。
右翼か左翼か親米か親中か。
改憲か違憲か。実にくだらない。

アイヌ民族が「遅れてる」と思っている皆さん。
残念でした。アイヌ民族は「1,000年」は
進んでいるでしょう。私の見解だとね。

たとえば、宗教戦争。
アイヌ民族に言わせてもらえば、
「文字(聖書・聖典)」と「聖地」を作るから
こうなるのだ。当然の結果である。
どんな立派な三大宗教かは知らないが、
歴史的には数千年程度だろう。
アイヌは数万年だ。桁違いなのだ。

アイヌ民族の宗教とは、「アニミズム」
である。自然信仰だ。
海も川も山も人も動物も植物も、
鉛筆の1本に至るまで、全てが神(カムイ)なのだ。
殺しに来る相手も神。上司も神。部下も神。
男も神。女も神。老人も神。子供も神。
ホームレスも神。天皇陛下も神。
全て神(カムイ)であると、仮定しよう。

それが、全世界で信仰したと仮定しよう。
戦争は起きるだろうか?まあ、わからんが。
私は宗教家でも憲法学者でもない。
大学すら出ていない。それでも
このくらいの意見は出せる。
これが、アイヌ民族だ。もし本気で
勉学に励むアイヌが、何万人もいたら?
多分。悪い方向にはいかないと思う。
その前に、「絶滅」しますけどね(笑)

皆さん。「知里幸恵」をご存知ですか?
このレベルになると、100年先もお見通しです。
下記は「知里幸恵」1923年の作品である。
いまの「日本人」には意味すらわからないかな?
意味が分かる方が多いようなら、期待できます。
「知里幸恵」はアイヌ民族の「偉人」です。
では、どうぞ。

「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」

という歌をうたいながら人間のを見下ろすと、昔の貧乏人がお金持ちになり、昔のお金持ちが貧乏人になっていた。
海辺で子供たちが弓矢で遊んでいた。子供たちは私を見ると競って射当てようとした。私はお金持ちの子が放った矢をかわしたが、貧乏で虐められていた子を不憫に思って、その子の矢を手を差し伸べて取った。
舞い降りた私を、貧乏人の子は第一の窓からに迎え入れた。老夫婦は「貧しく粗末な家にお越しいただき有難うございます。大神様を御泊めすることは恐れ多い事ですが、日も暮れましたのでお泊り頂き、明日はイナウだけてもご用意しましょう」と申しながら何度も私に礼拝した。
家族が寝入ると、耳と耳の間に坐っていた私は起き上がり「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」という歌をうたいながら、家の中を宝で満たし、家を大きく立派に造り変えた。そして家族に夢を見せて「不憫に思ったので、この家に泊って恵んでやった」と伝えた。夜が明けると老夫婦はとても驚いて声をあげて泣き、老人は私のところに来て繰り返し礼拝した。
老人は酒を用意し、村人たちを酒宴に招待した。村人たちは貧乏な家族を馬鹿にしてやろうとやってきたが、家を見て驚いた。主人は村人たちを家に招き入れてわけを話し、「こうしてお恵みを頂いたから、これからは村人皆で仲良く交流したい」と述べた。村人たちは老人に今までの無礼を謝し、そして私にも礼拝した。
それから酒宴が始まり、私は家の神々と話をしながら人間の舞いを眺めて楽しんだ。酒宴が終わると、人間たちが仲良くしているのを見て、私は安心して神の国へ帰った。
私が家に帰ると、私の家は捧げ物で満たされていた。私は神々を招待して酒宴をひらいた。神々に人間の村を訪問した時の話をすると、神々は私の事を誉め讃えた。人間の村を見るとみんな仲良くしており、主人は村の頭になり子供は親孝行をしている。酒を造ったときは、いつも私にイナウと酒を送ってくる。私も人間たちの後で、人間の国を護っています。
と、ふくろうの神様が物語りました。


道産子新党代表 本村徳人
ハンドルネーム 道産子のりちゅん

ありがとうございます!政治資金と寄付金の廃止を訴えています!矛盾しておりますが、現在、私は無職で生活保護の受給を、真剣に考えております。私は誓います。サポートしていただければ、北海道と日本を変えます!金額など、いくらでも構いません。活動費と生活費が必要なのです!お願いします!