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廓言葉と花魁(おいらの姉さん)

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吉原花魁日記
光明に芽ぐむ日
森光子

1926年。大正15年に刊行された本。

吉原に売られた著者の、自分が自分を保つために書き残した約2年間の日記。

吉原花魁の仕組み、どんな世界だったのか知らなかったが、とても興味があった。

思い浮かぶ花魁の世界は、歌舞伎の花魁などに残る優雅で艶美な香りが漂う、美しいイメージに時と歴史と共に変遷されていった事だろう。

私なんては、表面の情報に取り込まれやすく、

「あぁ、今もあったらどんなに行ってみたかったことか」

と、普通に思っていた。そして、ほんとに自分に残念なのだが、読んで尚、それを思ってしまう。

日記の著者は、19歳で家族の借金の肩代わりに周旋屋に騙されて吉原に売られる。

本人は、「何をするのかもわからない」まま。

100年前の事だが、書いてある内容、吉原の仕組みが人身売買のそれなのだ。

全く成り立ちがわかっていなかったが、
一度入ったら簡単には抜け出せない巧みな金銭の仕組みになっている。

今でいうなら、衣食住に、経費、締め日などには通常の二倍以上、お客さんからお金を取らないと罰金など。

とにかく、お金が全てを動かしてお金で全てを買うのだ。信頼も、信用も。なのに自分の借金は、全然減っていかないのだ。

この著者は、自分の気持ち、憎しみを日記として書き残すのが、自分が自分に戻れる唯一の手段として気持ちが折れないように記している。

憎しみ、復讐したい気持ち、同じ店にいる花魁達とのやり取り。

100年前の感情の書きなぐりだが、とても冷静に冷淡に事実を書いている。

ノンフィクションとして読むのなら、こんなに感情が伝わってくるものは、なかなかなく、そもそも人の日記を読んで当時の生活を知るというのが、私という人間は、どこか興味をそそられてしまい、一気に読んでしまうのである。

吉原に売られる人の大半は、家族の借金。何も知らないで来る。

周りの大人は上手くやりなさいしか言わないのだ。

来る男も、身の上話を聞く、花魁も話す。

お金を払ってだ。

何とも言えない。著者は心に蓋をして、話す。
男も親切ぶって話を聞く。

そういう感情も残してあるこの記録を1926年に刊行した意味は、ものすごいのでは、なかろうか。

表のイメージではなく、裏の姿。これは残された人達が判断すべき材料として知るべき事のような気がする。

私は、今までお金を払ってウフフウフフしてお酒を飲んで楽しくお話ししていたが、今岐路に立たされ、帰路に向かう気になっているが迷っている。

そして、東京まで行って吉原という地名はないのだという事を知った20歳くらいの悲しい自分を思い出した。

複雑な気持ちが、あふれでた40歳初春。

なんのはなしですか



廓言葉が頭に鳴り響くでありんす。

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