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『約束の途中』という言葉を考えていたら生まれた物語

花火大会も近い夏前になると、必ず思い出すことがある。必ず、なんて誰にも言えないから、私はそんな素振りを見せたことがない。子供の頃、転勤族の友達「カエデ」と呼ばれる子がいた。三ヵ月しか一緒に過ごしていなかったのに、「いた」と確かに記憶しているのには理由があった。

私の父は、小さい頃から剣道をしていて、大人になった今でも続けているのが唯一の自慢だった。

「一つのことを継続するのは、自慢になるんだ」

と、口ぐせのように言っていた。そして、習いに来る子にもそう伝えていた。私は、その言葉は嫌いではなかったけれど、どこか他人に対しての刺々しく自慢をしているような父のことが嫌だった。

私が剣道を習うようになった思い当たる理由など何もなく、当たり前のように気付いたら習っていた。親にそうさせられたのかも分からない。私自身は、剣道を嫌いではなく、暑いのに道着の上に防具。寒いのに裸足。どうしてこんなことしなきゃならないの、と感じながら、竹刀で防具ごしに打突され、その痛さを我慢して、それでも大声を出すのが好きだった。

父が所属し教えていた教室は、私の小学校の体育館を借りていて、週に二回、夕方から二時間の練習をしていた。

カエデはそこに入部してきた。彼女は私と同じ小学校五年生で、身長が私より十センチ以上高かった。長く少し茶色がかった髪はサラサラで肌は白く、パッチリとした瞳はテレビの中の子役のようだった。

喋らなければ。

稽古しているところに母親と一緒に見学しに来たカエデは、私の父と少し話してから道着に着替え防具をつけ、稽古している私達のところへやって来た。背中に棒が入っているかのように歩く立ち姿は、体幹がしっかりしてとてもキレイだった。その立ち姿を見た瞬間、私は「あ、この子強いな」と感じた。

彼女は、父から皆の前で紹介された。

「今日から少しの間一緒に稽古するカエデだ。スミレ。お前と同級生の五年生だ。カエデは、また転校が決まってるから何回かしか一緒に出来ないけど。剣道が大好きらしい。皆、仲良くな」

父が挨拶を終えようとした時に、カエデはもう喋り出していた。

「スミレって言ったね。あなた。親に教えてもらってるからって、自分のこと強いとでも思ってるんでしょ。顔に書いてあるわ。レベルの違い、教えてあげる」

カエデは、初対面の私にいきなりケンカを売って来た。これまで生きてきて、こんなにも荒々しい言葉をかけられたことがなかったので、私の心臓はドキドキと鼓動を打ち始めた。まさか何もしていない自分がいきなりケンカを売られるなんてこと、想像もしていなかった。周りの子が興味の視線を投げてくるのも恥ずかしかった。

こういうときに怒ってくれる人でも、何か気の利いたことを言ってくれる人でもなかった父に、私は怒りと同時に淋しさも感じていた。

「スミレは強いぞ。カエデ。稽古してみればいい。しっかり準備運動してからな」

なんの前触れもなく初対面の子からケンカを売られ、心の準備も整わないうちから闘うことになってしまっていた。稽古というか、これは試合だ。私は、わけも分からず彼女と対峙し、竹刀の剣線が触れるほどの距離に立っていた。お互いの息づかいさえも伝わる距離だ。それでも向かいあったら私も負けたくなかった。

個人の一戦には必ず勝ち負けがつくものだ。そこに存在するのは、自分が強かったか弱かったか、それしか残らない。私は自分の弱さを認めたくない一心で必死に稽古してきた。その積み重ねこそが剣道に関しての自分の支えとなっていた。

「はじめ」

父の号令で、私たちは最初の剣を交えた。結果は私の勝ち。カエデは別に強くもなんともなかった。負けに納得できないカエデの相手を、その日だけで十回以上して私はそのすべてに勝った。手を抜いて負けるなんてことは相手に伝わるから嫌だったし、まして私だって怒っていた。

結局カエデは、その日私に負けるだけ負けて何も言わずに帰って行った。そして、その次の日からが大変だった。

転校初日、皆の前で挨拶を済ませたカエデは、私を見つけるやいなや早速話しかけてきた。

「久しぶり。あれから私、強くなったから今日また試合してくれない?」

昨日初めて会ったというのに、カエデは「久しぶり」なんて気軽な言葉をかけながら、試合の催促をしてきた。

「何言ってるの。昨日初めて会ったばかりなのに『久しぶり』だなんて。しかもまた試合の話?」

私は、戸惑いながら正直に伝えた。

「そんなの、あなたの感覚でしょ。私の感覚なら一晩寝たらもう久しぶりよ。そして、私は昨日よりも絶対に強くなってる。私ね、また転校するの。もう決まってるの。だからその前にあなたに勝たないといけないの」

どうして私がカエデに付き合わなければならないのか、まったく理解ができなかったのだけれど、ほんの少し嬉しい気持ちもあった。剣道に興味のある子なんて私の周りには誰もいなくて、ダンスとかバスケットボールとか。みんな流行りのスポーツを習っていた。だから剣道を好きって正面からぶつかってくるカエデを断れなかった。

その日から、私達は「久しぶり」と声を掛け合い、一緒に稽古した。何度も何度も剣を交えた。言葉より多くぶつけ合った。もちろん、たまに一本取られることがあっても私が負けることはなかった。

夏休み前最後の稽古は、近所で花火大会が開催されるのと同じ日だった。花火や縁日が大好きな私はその日を心待ちにしていて、なんとなく「カエデと一緒に行けたらいいな」と思っていた。

「久しぶり…って、昨日も会ったけどね。ねぇ、カエデ。今日一緒に花火大会行かない?」

「久しぶり、スミレ。私、言ってなかったけど…引っ越すの。花火大会が終わったら。」

夏休みのうちに次の土地へ行き、少しでも生活の基盤を作っておきたいという両親の考えからだった。「夏休みも一緒に遊んで、稽古しよう」と当たり前のように思っていた私は、体に電流が走ったように動けなくなり、胸がチリチリと痛むのを感じて言葉を出せなかった。

「スミレ、私だって花火大会に行きたいよ。でも、お願いがあるの。明日、私と試合してよ。久しぶりに、ね?」

大事な花火大会だったけど、迷いは何もなかった。

「久しぶりって、昨日も稽古したじゃない。わかった、お父さんに言ってみる。大丈夫だと思う。もともと稽古の日だったし、花火より稽古だなんてお父さんが聞いたら泣いて喜ぶかも」

私は父に事情を話して、父立会いのもと、カエデと二人だけで稽古した。街中が花火に夢中のこの日、学校で二人だけで花火より大きな竹刀の音や声を響き合わせるのは、まるで違う世界にいるようだった。結局何度闘っても私の勝ちで、最後にカエデはぐっと下唇を噛んで私の目を見つめた。

「スミレ。私が初日にケンカ売ったの覚えてる?あれ、ごめんね。私、剣道しか出来ないし強い子と最初に戦っておけば一目置かれるって知ってたから。そうすれば誰も何も言ってこないって知ってたから。だけど、本当に負けるとは思ってなかった。嘘だって思うかもしれないけど、勝てないのが嬉しくて、剣道がもっと好きになった」

私は、なんとなく感じ取っていたことを直接カエデに言われ、眼の奥に熱いものが込み上げてきた。その大変さや辛さを何も考えていなかった自分が恥ずかしくなった。

「カエデ。私に勝てるまで剣道やめないって約束できる?」

私は、カエデを真っ直ぐに見つめ問いかけた。

「当たり前じゃん。スミレ。今は『勝ち』に行く途中だから。私は負けてなんてないから」

すごい強い子だ。初めて分かった気がした。父は、一言だけ、こう言った。

「一つのことを継続するのは、自慢になるんだ」

いつもの通りそれしか言わないのが、私もカエデも可笑しかった。間もなくしてカエデは引っ越して行った。

私は、高校生になった今も剣道を続けている。夏前最後の引退試合を迎え、他校の転校生に、すごく強くてキレイな「カエデ」って子がいることを聞いた。毎年のように私が「久しぶり」の友人を思い出していたのは、この日がいつか来ると、どこかで思っていたからかもしれない。

向こうは、私のことを気付くだろうか。私はカエデを見つけてこう言った。

「久しぶり。私、あれから強くなったから。今日また試合してくれない?」

久しぶりのカエデは、昔の面影を残しつつもキレイと思わせるには充分の笑顔でこう言った。

「久しぶり。もちろん。『勝ち』へ行く途中だからね」












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