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空手の歴史

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空手の歴史についての考察記事です。
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記事一覧

松村の弟子:喜友名親雲上

大正7年(1918)、本部朝勇は屋部憲通、喜友名親雲上、知念三良(山根のウスメー)等とともに…

本部流
6日前
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新たに見つかった宮城長順の写真

Facebookをご覧のかたはすでにご存知かもしれないが、少し前に最近発見された宮城長順のハワイ…

本部流
7日前
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空手家最古の肖像画

琉球王国時代の空手家の肖像画というものは少ない。少ないというかほとんどない。唐手佐久川や…

本部流
2週間前
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空手の突きと柔術の突きの違い

空手の突きと柔術の突きの違いについては、以前アメブロのほうで述べたことあるが、最近SNSで…

本部流
3週間前
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嘘の型

先日、名嘉真朝増先生の孫弟子の方から、少林流松村正統の祖堅方範先生が名嘉真先生からピンア…

本部流
3週間前
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山根流棒術の家元と師範

Facebookで山根流棒術の伝系について質問があって簡単な回答をさせていただいたが、改めてブロ…

本部流
4週間前
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型少数主義と松村宗棍の真髄

以前、三木二三郎・高田瑞穂共著『拳法概説』(1930)に記載の屋部憲通の「型の数」の話を紹介したことがある。もう一度、同じ箇所を引用する。 上記によると、屋部先生は20年以上、二つの型しか練習していなかった。三木と高田はこの話を聞いて驚いた。そして、これこそ、空手の達人の有るべき姿であると感動したという。 屋部先生と親友だった本部朝基も「型はナイハンチだけでいい」という考えだったことはよく知られている。もちろん、実際には、白熊やセイサンやパッサイも教えていたが、それでもそ

名嘉真朝増の影響力

空手の歴史を研究していると、こんな疑問を抱くことがある。それはある流派の型がいつのまにか…

本部流
1か月前
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舞方:空手と舞踊の融合

本部御殿手では、以前より空手(剛拳)と琉球舞踊の関係を強調してきた。それは、琉球王国では…

本部流
1か月前
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型の解釈と改変

学生の頃、大学の図書館で『ニューヨーク・タイムズ』の音楽評論を長く担当していた名物評論家…

本部流
1か月前
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宮城長順の新しい写真

新しいと言っても、実は以前Facebookで紹介したことがあるので、そのときの投稿をご覧になった…

本部流
1か月前
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知花朝章と知花公相君

以前、筆者は「知花公相君」という記事を書いた。知花公相君は知花朝章(1847-1927)から遠山…

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本部流
1か月前
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本部朝茂のピンアン

最近紹介している本部朝勇の次男、本部朝茂(1890-1945)の型にはピンアンもある。しかし、こ…

本部流
1か月前
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ナイハンチの原型?

先日紹介した本部朝茂(朝勇次男)は、トマイクン以外の型もいくつか残している。朝茂氏は、戦前大阪から和歌山へ、さらに南洋へ移住して終戦間際にふたたび大阪に戻ってきて、そこで空襲に遭い亡くなった。南洋時代に、先日紹介した内間安勇氏の伯父、内間安壱氏が朝茂氏に師事して、それで朝茂氏の型が伝わっているのである。 それらの型のなかにはナイハンチもあるが、これが大変ユニークで空手史的には非常に興味深いのである。以下にその一部を動画で紹介する。 動画にあるように、「カニの横歩き」のとき