マガジンのカバー画像

本部御殿手

27
本部家に家伝として伝わる武術に関する記事です。
運営しているクリエイター

記事一覧

複数敵と戦うということ

競技化された現代空手では、基本的に想定する敵は一人である。組手試合では対戦相手は一人であ…

本部流
2週間前
6

上原清吉のフィリピン武勇伝?

昨年、アメブロのほうで「上原清吉の実像」という記事を書いた。どういうわけか、「上原清吉は…

本部流
2か月前
9

スラ手:沖縄古来の気合い?

前回の「型の中の気合い」の記事は、型の中の見せ場で発する気合いについての記事であった。こ…

300
本部流
2か月前
6

棒高飛びによる脱出

琉球新報主催の本部朝基の「独占座談会」(昭和11年)で、以下のような逸話が語られている。 …

本部流
2か月前
8

本部朝勇の影響力

坂口拳風(三重県古武道振興会、喜屋武朝徳伝少林寺流)の「武道の修練は道を離れず」(1982)…

本部流
4か月前
16

ウフクン

最近(注:2017年)、空手の型の映像をいくつか見返している。先日、「糸洲安恒の改変」の記事…

本部流
5か月前
16

宮城調常 ー上原清吉の弟子ー

最近、昔の資料を調べていたら面白い記事を見つけた。それは宗家(本部朝正)の友人で、昔上原清吉に師事していた普久原朝盛氏の道場「盛道館」が出していた道場新聞『盛道会だより』(第3号、昭和57年6月30日)の記事である。 なぜこれをもっているのかというと、筆者は子供の頃、普久原先生の道場に通っていたからである。 さて、昭和57年(1982)に沖縄から上原先生を招待して大阪で演武大会を開催することになり、それを記念して懇談会が開かれた。そして、その様子が上記の新聞に掲載された。

兼島信助と本部朝勇

以前、『月刊空手道』2009年3月号で「渡山流 究武無限」と題して渡山流の兼島信助についての…

本部流
9か月前
6

沖縄と本土の引き手の違い

昭和40(1965)年頃の話である。本土の全日本学生空手道連盟の選手一行が第一回沖縄遠征団とし…

本部流
9か月前
29

本部御殿手の取手(2)ー対当身と対掴み手ー

「本部御殿手の取手(1)」で、大東流合気柔術やその派生武道(合気道、八光流)では座技が基…

本部流
10か月前
8

本部御殿手の取手(1)ー座技と立技ー

先日の記事で述べたように、大東流合気柔術の武田惣角は明治12年(1879)、沖縄へ渡って「沖縄…

本部流
10か月前
7

松村宗棍の上段蹴り

屋部憲通は本部朝基の親友で、2人は若年の頃より一緒に稽古した仲だったが、本部朝基は息子の…

本部流
10か月前
11

本部御殿手の打撃技法

総合武術 1990年代になって、本部御殿手はさまざまなメディアで紹介されるようになった。それ…

本部流
10か月前
28

昭和30、40年代の上原清吉の弟子たち

「取手は大筑が伝えたのか」の記事で、大筑傳古武術宗家の伊佐海舟先生は、以前上原清吉に師事していたと述べたが、昭和30、40年代にはほかにも後にそれぞれの流派や組織の長となる方たちが上原先生のところへ学びに来ていた。 たとえば、琉手の親田清勇、正道館の當真嗣安、少林流拳真館の喜瀬富盛といった先生方である。 上記の先生方は大筑傳古武術、沖縄拳法、少林流松村正統といった流派の出身で、それぞれの師匠が沖縄古武道協会(のち全沖縄空手古武道連合会)に所属されていた関係で、上原先生のと