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安里安恒は本部朝基の家庭教師だった?

以前、筆者は「ヤカー」という記事を書いたことがある。ヤカーは「守り役」を意味する沖縄方言で、貴族の子弟のための家庭教師、守護職、養育係、遊び相手のような多義的な意味がある。

本部朝基が幼少の頃、糸洲安恒はヤカーとして、ほぼ毎日本部御殿を訪れて空手を教えていた。また、宗家(本部朝正)は子供のころ、父・朝基から他の有名な武術家たちも糸洲先生同様、本部御殿に教えにきていたという話を聞かされた。

本部朝基

さて、同様の逸話が、大家礼吉『続 空手道入門』(1955)に紹介されている。該当箇所を以下に引用する。

本部朝基先生
喜屋武先生、富名腰先生と同年配。
本部朝桂(朝基先生のお兄さんで、有名な大家)と共に、幼少の頃から松村、松茂良、安里、糸洲、佐久間の諸先生について、空手の修業をされております。
本部家は本部御殿と呼ばれて貴族でしたから、そのため前記の先生方が交互に家へ教えに来られたとのことで、松村、松茂良先生等は既に老年のため、充分な稽古は出来なかったそうです。尚昔は名前に朝の字を許されたのは、士族の上席の部で、王家の血統といわれています。

206頁

本部朝桂ちょうけいは、本部朝勇ちょうゆうの誤記である。上記の先生たちの中で、松村、松茂良、糸洲、佐久間の先生方は、確かに本部朝基の先生である。しかし、安里安恒は、本部朝基に空手を教えたのだろうか?

安里は糸洲先生の親友だったから、ときどきは一緒に教えに来たことがあったのかもしれない。もしそうだとすると、本部朝基と富名腰先生は共に兄弟弟子ということになる。

著者の大家礼吉は、本部朝基の弟子、山田辰雄と交流があったので、上記の話は山田先生から聞いたのだろう。

ところで、松村先生は老齢だったが、松茂良先生はそれより一世代若かったから、本部朝基は松茂良先生とは充分な稽古ができたはずである。

出典:
「安里安恒は本部朝基の家庭教師だった?」(アメブロ、2019年7月14日)。

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