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幻の型「トマイクン」

本部朝茂もとぶちょうも(1890-1945)は、本部朝勇の次男である。あだ名はトラジューと言った。虎の尾のように俊敏で強かったことから付いた。この人も大正時代に大阪にやってきて、一時期本部朝基と行動を共にしていた。本部朝基が大阪で道場を開いた際は、師範代のような役目もしていたらしい。

本部朝茂

のちに和歌山に移住し、上地完文先生とも交流している。ちょうどその頃、上原清吉が本部御殿手を継承してもらうために、朝勇先生から和歌山へ派遣されて、朝茂先生に半年間にわたって御殿手を伝授している。

本来は長男の本部朝明が御殿手を継承すべきだったのだが、継ぐ意思を見せなかったので、次男の朝茂が継ぐことになった。一度、朝茂先生は大阪の貝塚に住む兄・朝明を訪ねたことがある。

そのときの様子を、宗家(本部朝正)の母・ナビが見ていたのであるが、「兄上、ご機嫌麗しゅう存じます」と言いながら、家来が主君に接するように平伏したので、御殿(うどぅん)の兄弟はこんなふうに接するのかと驚いたそうである。

さて、朝茂先生は、御殿手以外にも一般の空手の型もいくつか知っていた。といっても、糸洲以降の体育向けに改変された型ではなく、いわゆる古流型である。それらのうちの一つに、「トマイクン」と呼ばれる型があった。

筆者は以前、伯父が本部朝茂に師事したという内間安勇氏にこの型の話を聞いた。最初、筆者は「泊(方言でトマイ)のクーサンクーのことしから」と思った。上原先生はクーサンクー大を「ウフクン(大君)」と呼んでいたから、「クン」は公相君(クーサンクー)の君のことだろうと思ったのである。

しかし、トマイクンは、クーサンクーとは構成が違って別の型である、とのお返事であった。残念なことに、トマイクンは奥義型だったのであるが、忘れてしまって失伝したという。ただ普通の型と違う特徴が一つあって、それは正拳ではなく、第二関節で突く、いわゆる平拳に近い握り方で突く型だったとのことである。

実はこの突き方は本部御殿手にもある。

トマイクンは本部朝勇から伝わった型だが、型の構成も含めて、いまとなっては詳細は不明である。本部家には、こんなふうに今日では見られない一風変わった型も伝わっていた。

出典:
「幻の型『トマイクン』」(アメブロ、2018年3月9日)


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