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西郷頼母は大東流を教えたのか

これまで見てきたように、旧会津藩家老・西郷頼母さいごうたのも(のち保科近悳ほしなちかのりに改名、1830-1903)が武田惣角に大東流合気柔術を教授したという説には、様々な問題点がある。たとえば、スタンレー・プラニンは『武田惣角と大東流合気柔術』(2002)で、以下のような疑問を投げかけている(注1)。

惣角が大東流を父・惣吉からではなく、主に近悳から学んだとする会津歴史家もいる。
(中略)
しかしこの説には納得できない点がある。まず、近悳を武道の達人とするのは、歴史的研究から判明したことではなく、彼が武道の大天才・惣角や西郷四郎と親しい関係にあったという推定による。保科近悳の生涯はよく記録されており、彼の日記も残されているが、保科研究家たちからは近悳が広く武道を修め、また教えたという証拠は発見されていない。もし近悳が生来の武道家であったら、その才能と成果を示す記録が残されているはずである。

大東流は会津武田家に伝わる家伝武術とされるが、武田惣角が発行した伝書の系図には父・惣吉の名前がない。その理由として、惣吉は大柄の大関力士であったため、精妙な大東流の技を受け継ぐには不向きと判断され、祖父・惣右衛門は息子ではなく、小柄な西郷頼母に伝授し、そして西郷から武田惣角に伝授されたという。

しかし、この説は戦後大東流の側からなされたものであって、西郷の側の史料からは確認することができない。

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