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今という瞬間を生きていたい。

2023年のクリスマスにおいても『クリスマス・キャロル』の映画を観て、この一年を振り返っている。毎年同じ作品を見ることで、自分の一年の変化を知ることができる。動くものを知るためには動かないものが必要なのだ。


12月のある瞬間について。

この2023年12月は、私の人生にとって特別な時間だった。
先日のnoteにも書いたように、私はこの2年半、ずっと企業変革をテーマとした本を書くことを目指してきた。そして、先日ひとまず全体を書き上げることができた。独り書き進められないことに苦しみ、いつも、何をしている時も、自分はこの本を終えられないという感覚がどこかにあったように思う。
だから、何をしていても、何を見ていても、自分はここにいてはいけないのではないか、こんなことをしていてはいけないのではないか、という後ろめたさの中で生きてきた。
書き終えて色々な感覚が変わることに驚く。
忘れがたいのは、先日のことだ。今まで感じたことがない特別な瞬間があったのだ。
ある日の夜、所要を終えて新宿駅の近くを歩いていた。街にはストリートミュージシャンの若者の歌声が響いていた。それに立ち止まって耳を傾ける人、足早に帰途につこうとする人、酔っ払ってふらついている人、幸せそうな若いカップル、夜の街に冒険に行こうとする若者たち、独り少し寂しそうに歩く人・・・本当に色々な人達がいた。
それまでだったら「人が多いな」とか「まあ歳末だから飲み会も多いのだろうか」とかその程度を感じるだけだったように思う。
だが、なぜかその時「一人ひとりが人の形をした何か」ではなく、今という瞬間に、私と同じ命を生きる存在であると感じたのだった。
それぞれがそれぞれに思いを抱えて生きていることに、愛おしさを感じ、一人ひとりに命の息吹を感じた。
それは、今まで感じたことがない特別な瞬間だった。

クリスマス・キャロルを再び観る

そのような中、再び『クリスマス・キャロル』を観て、色々と考えている。
クリスマス・キャロルでは、過去・現在・未来を見せる3人の精霊がスクルージの元に訪れる。

過去。
スクルージは苦しい家庭環境の中、貧困と孤独を生きてきた。
父は恐らく貧困の中で、スクルージへの愛情を失った人だったのだろう。愛する妹は貧困が原因で命が失われた。
愛した女性も居た。だが、貧困への恐れから、金への執着が優先され、その愛は失われてしまった。

現在。
スクルージは皆に嫌われ、憎まれている。貧困を恐れ、人を疑い、世の中を恨んで生きている。
使用人のクラチットのみが、彼にわずかばかりの恩義を感じる人物であった。
クラチットには、病を抱え、足が不自由なティムがいる。ティムは小さいながら、健気に自分が生きているということを謳歌している。自分が生きていることは、クリスマスにおけるイエスの伝えようとする奇跡そのものであるということを皆に伝えたいと述べ「神のご加護を。すべての人に!God bless us every one!」と祈りの言葉を唱える。
その姿を通じて、スクルージはクラチットも、ティムも、単なる人ではなく、自分と地続きの存在であることを知る。

未来。
スクルージは誰からもその死を悼まれない。ティムの命は失われ、悲嘆に暮れるクラチットの姿を見る。だが、もう遅かった。自分は何かできたのではないかと後悔に苦しむ。
そして墓場で自らの墓石を目にし、改心することを未来の精霊に誓い目を覚まし、現在へと戻ってくる。

改心した彼は、ティムの病気の治療を支援し、また、多くの世の中の苦しみのうちにある人々を助ける存在へと変わった。そこには生きる苦しみから生きる喜びへと変えられたスクルージの姿があった。

過去の痛みを生きる人、スクルージ

スクルージという人物はとても興味深い人物である。
過去の痛みを生きながら、実は必死に今の時間に自分を助けようとしている人間でもあるからだ。
「貧困こそが人を苦しめる、貧困は人を殺す」ということへの強い恐怖を生き、その恐怖から自分を助けるべく、他者に対してとても強欲な人間として生きている。
貧困への恐れ、過去に負った痛みの中を生きる苦しみが、強欲さという行動を生み、それが孤立を生み、スクルージの人間不信と絶望を生み、余計に痛みが強まっていく。
ここからいかにして人間は生き直すことができるのだろうか。

無価値な自分という苦しみ

私が好きな映画のひとつに、ピクサーの作品である『ソウルフル・ワールド』という作品がある。

この作品は、生きるとはなにかを深く問いかけてくる。
生きる苦しみは「自分はこうあらねばならない」というものから生じる。「これを手に入れなければ、私の人生には意味がない。自分には何の価値もない」という思いは、裏返せば「自分は無価値な人間である」という信念のでもある。
つまり、自分自身が無価値であるという感覚の苦しみが、何かに対する強い欠乏感を生み、生きる苦しみへと変わっていく。
また、仮に努力によって願望が叶えられたとしても「この目標は達成したが、でも、あの目標には未達である」とか、何かの仕事を成し遂げても「次はうまくいかないかもしれない」とか、絶え間ない欠乏感から逃れることはできない。
スクルージももしかすると、「これだけの金を手に入れたが、もし、万が一これが失われたら・・・」という恐れが強欲さを生み出していたのではなかろうか。
そう思うと、もしかすると、スクルージに現れた過去・現在・未来の精霊は、いずれもスクルージの苦しみを投影した幻影であると見ることもできるだろう。
とりわけ未来はそうだ。皆に嫌われ、むしろ、自分の死を皆が喜んでいる未来。ティムも死んでしまっている未来。それはあえて精霊に見せられることもなく、スクルージは暗黙裡に感じていた未来なのではないか。

だからこそ、ティムの存在は、スクルージを現在へと結びつける架け橋となった。
彼の存在を通して、スクルージは居場所のなかった現在の時の中に、自分の居場所を見出していく。それは孤独が氷解する時である。
ティムを助けることは、今、彼にできることであり、それは過去や未来への痛みや恐れから我に返って、彼に再び生き直す地平となったのである。

今という瞬間を生きていたい。

未来の幻影への恐れ、過去の苦しみの幻影、それらの恐れと痛みから、私を救うものは、今、この瞬間である。
先に紹介した『ソウルフルワールド』で、主人公のジョー・ガードナーは、最後の場面、これからどう生きるかと問われた時、こう答える。

「さあ・・・でも一つだけ確かだ。一瞬一瞬を大切に生きる。」
"I'm not sure…but I  do know. I'm gonna live every minute of it."

『ソウルフルワールド』より

生き直したスクルージもこう語る。

「楽しめ!死んだら終わりだ!人生は一度きり」
"Live it up, folks! You'll be a long time dead! Don't let the worms all the fun."

『Disney'sクリスマス・キャロル』より

この12月までの時間を通じ、私は今という時間の一瞬一瞬を生きられたらと思うに至った。
人間には未来も過去もない。あるのは今である。今を生きること、その命を精一杯に謳歌すること。
何かがなければ価値がないことはない。今という瞬間を生きていること、そのことに勝る価値はないのだ。
この先の私は、きっと過去がもたらす痛み苦しみも、未来への恐れや欠乏も、そういうものに今を失うことも沢山あるだろう。
だが、今のこの世界こそが、私もあなたも生きるかけがえのないものだ。
その命の躍動を、血潮を、風を感じて、今という瞬間のこの世界を生きていたい。


参考:過去の『クリスマス・キャロル』からの振り返りのnote


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