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20年後の1号線

今日たまたま池袋のこの場所を通りかかったら色彩が綺麗だった。

昨日通りかかった池袋のGLOBAL RING。コロナ禍の少し前に出来た

クリスマスの飾り付けはお役御免らしく、正月飾りへと急いで変更する仕事をしている人たちがたくさんいた。
そうだよな、そういう仕事をする人がいて、季節感みたいなものも感じられるんだよなと思う。この電飾もそう。そう考えると、なんだか全然違って見える。
お仕事ありがとうございます。

沢木耕太郎さんの毎年やっているラジオも終わったから、なんだか一年の行事が終わってしまった感じがひしひしとする。

沢木さんのクリスマスイブの深夜ラジオを聴き始めたのは、2003年くらいからだった。あの頃は、父親の健康状態が日に日に悪化している頃で、本当に辛かった。
それまでも色々やりたいことがあっても、家庭環境を考えて諦めるのが大人になる事だと思い込んでいた。でも、父親が死んじゃったら、いよいよ自分はどうなってしまうのかなと思っていた頃だった。
その年の放送で、沢木さんは確かベトナムに国道1号線というまっすぐな道があるみたいな話をしていたように記憶している。
みんなまっすぐな1号線を歩みたいと思うけれど、なかなかそうはいかない時もある。でも、回り道をする術を身につけていけば焦らずに生きられるよ、というメッセージだったはずだ。

当時、この先、生きるか死ぬかみたいな緊張感の中にいた自分は、そんなに呑気なこと言ってられないんだけどなと思いながらも何か印象深く残る言葉だった。そして、ここではないどこかに旅に出たいなと思った。
この3ヶ月後の父親の死から始まった巨額のバブルの敗戦処理は、今でも思い出すだけで辛い思い出だ。でも、20年前に自分も大きな回り道をして、何度ももう死のうと思ったりしながら、それでも道を歩んできたのだよなと思う。
その後の人生で1号線に戻ったのか、それとも全然違う方向なのか、よく分からないし、それでいいと思う。多分それはどうでもいい。
それよりも、何かを求めて、時に諦めかけながらも歩みを続けたという事こそ大事な事なんだろうな。
多分、自分はちゃんと旅に出たのだ。

今年の沢木さんのメッセージは、努力は報われないかもしれないけれど、無駄にはならない、というものだった。その努力は自分の背丈を高くしてくれるものだよと。
街を飾る人たちの仕事も、自分のやってきたことも、報われないかもしれないし、報われているのかもしれない。それは見方にもよるだろう。
他人からの評価も大切かもしれないが、努力したことは身体に刻み込まれ、忘れようとしても忘れられないものになる。それがいいとか悪いとかじゃなくて、それが生きるという事だよねと思ったりもする。

そんな事を思っていたら、そうかこういう事を毎年この時期に考えているよな、ということは今年も本当にあと少しなんだよなという実感が増してきた。そうしたら、なんだか過ぎ去っていく時間が急に現実味を帯びてきて、もう少し待ってくれよと言いたくなってしまう。
でも去っていくことを寂しく思うのは、そこに何かがあったからなんだろう。どうでもいいと思えないのは、そこにかけがえのない時間があったからだ。
それは、私は生きるということをしたという事かもしれない。

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